恋は導きの先に
その10 若葉マークの恋


弥由と篠崎が、鮫島と平林に合流したのは遊園地の門の前だった。
時間より少し早く着くと、すでにふたりがいて、互いに反目しあってそっぽを向いていた。

弥由は、鮫島と平林の服装に呆気に取られた。
鮫島はいつものスーツ姿だし、平林はこれから格式高いパーティーにいけそうなほどシックななドレスを着ている。

「森川、…場違いという言葉はこういうときにこそ、ふさわしいな」

「やだ。そんなこと言わないでください」

「笑ったら駄目だぞ。ふたりして帰るって言い出すぞ」

ふるふるふると篠崎の胸が震えている。
彼は笑いを回避するためか、変な咳を繰り返している。

「あぁあ、平林さんに見つかっちゃったぁ。こっち向いて手を振ってます。行かないと…」

半泣きでそう言った弥由は、次の瞬間、笑いの種をみな捨て去った。
篠崎がぎゅっと抱きしめてきたのだ。

「さらに超える衝撃は、たいがいのものを打ち消す力を持ってる…だろ」

耳元で彼の声がした。

「笑い…消えた?」

「きっ、消えましたっ」

「よし。それじゃ、行こう」

弥由をさっと放すと、篠崎は弥由の背をポンと強く叩き、その手を彼女の肩に乗せたまま、鮫島と平林の方へと歩き出した。

そっぽを向き合っていたふたりが、面白そうに弥由と篠崎を見つめている。

「なんか、間違いな気がするんですけど」

「間違い? 場違い?」

一番間違いで場違いなのは、篠崎かもしれない。と弥由は思った。

「何か、行き違いでもあったんですか?」

篠崎が平林に聞いたが、先に答えたのは鮫島だった。

「行き違いじゃなくて、聞き間違いしたらしい。ちゃんと言ったのに」

「遊園地だとは思わなかったのよ。聞き間違えたんだって思ったの。鮫島がこんなところに来るはずないって。それに鮫島、いつでも二度聞きすると、軽蔑したような顔するんだもの」

鮫島を睨みながら平林が畳み込むように言った。

「顔なんかみえなかったろ。電話だったんだから」と、鮫島の冷静な指摘が入り、平林の表情が悪化した。

「鮫島、何着てくのって聞いたら、スーツだっていうんだもの。やっぱり遊園地じゃなかったんだって思うの当たり前でしょ?」

「スーツのどこが悪い。一番着心地がいいし、しっくりくるのに」

「鮫島には第二の皮膚でしょうけど、普通は堅苦しいもんなのよ」

弥由は息を止めた。笑いが喉を這い上がってくる。

「俺、券買ってくる」
息を止めたまま話しているに違いない篠崎の声だった。

「わ、わたしもっ」

「ちょっと待って、悪いけどわたし帰るわ。こんなとこ、こんな格好で歩いてたら好奇の目にさらされて笑いものよ」

「平林」

「なによっ」

「なんで怒るんだ。その服、よく似合ってるし、今日のお前、ずいぶんときれいだぞ」

ぽかんとした平林の頬が、ぽっと紅色になった。
鮫島のストレートな賛辞は、驚くほど平林の女心を揺さぶったらしい。

「当たり…だな」
弥由にだけ届く声で、ぼそっと篠崎が呟いた。

「それに、俺はあれに乗ってからしか帰らんぞ。今日はそのために来たんだからな」

鮫島が「あれ」と指差したのは、フリーフォールという、40メートルの高さから一気に垂直落下する絶叫マシンだった。最近出来たばかりで、遊園地の門のあちらこちらに、フリーフォールの大きなポスターがいくつも貼ってある。

体が拒否反応を起こし、弥由は無意識に両手を握り締め「だめだめ」と言いながら後じさった。

「気が合うじゃないの、鮫島。わたしもテレビで見てから一度乗ってみたかったのよ」

「だろ。あれはひととして生まれた以上、体験してみるべき代物だよな」

「ふたりとも、遊園地には良く来てたんですね」
篠崎が意外そうにふたりに聞いた。

「いや。俺は中学の修学旅行以来だ」

「さすがの鮫島も、スーツ姿でひとりじゃ来れないようね。ふっふ わたしは姪っ子とけっこう来てるわ」

いやに、優越感を交えて平林が言った。

「バンジージャンプやスカイダイビングよりは、爽快感が味わえなそうだからなぁ」

遠目にフリーフォールを見ながら考え込むように言った鮫島に、目を丸くした三人の目が向けられた。

「そんなものやってるんですか?」

「ああ、今度みんなでやるか?」

顔を引きつらせて首を振った弥由の横で、篠崎もあきれたような苦笑いを浮かべて、遠慮するというように鮫島に手のひらをむけた。

「あの、まさかとは思うんですけど…鮫島係長、バンジージャンプとスカイダイビングはスーツじゃないですよねぇ?」
弥由は、膨れ上がった好奇心に負けて鮫島に尋ねた。

「スーツだぞ。何の問題もない」

弥由の中で、いくつかの常識がガラガラと音を立てて崩れた。

それまで悔しそうに唇を噛んでいた平林が鮫島に一歩近寄った。

「あの」

「なんだ?」

「わたしも、連れてってくれないかしら?」
仏頂面で平林は鮫島に頼んだ。

「お前、行きたいのか?」

素直さのかけらもない表情で、嫌々平林が頷いた。
気持ちが二つに割れて、戦ってでもいるようだ。

「連れてってやるよ。だが足手まといになるなよ。よくいるんだよ。直前になって竦む奴が」

その言葉に平林が剣を向けようとした時、鮫島が付け加えた。

「でもお前は大丈夫そうだ。今度必ず一緒に行こうな、平林」

漫画のコマが変わってゆくように平林の表情が変化し、最後に破顔した。


一連の長話のあと、四人はやっと遊園地の門をくぐった。

鮫島は平林と、弥由が目にしただけでめまいと吐き気がする絶叫マシンへと、腕を組み嬉々として歩んでいった。

「なんか、よくわからないまま、うまくいったな。森川?」

弥由は頷いた。
篠崎が絶叫マシンに乗るそぶりを見せないことが、涙が出るほど嬉しかった。

弥由は篠崎とふたりきりで遊園地のアトラクションを楽しんだ。
ジェットコースターくらいが恐怖の最たるもので、その他、健全なものばかり弥由が選んで楽しんだ。

喉が渇いたなと思った時には、篠崎が冷たい飲み物を買ってきてくれたし、美味しそうなものが売っているところに出くわすと、言葉にする必要もなく篠崎が買ってくれた。

時間が経つほどに、こんな幸せに身を置いている自分に、弥由は怖さを感じた。
篠崎は過ぎるほどやさしく、気配りがきき、弥由の胸が破裂しそうなほど輝く笑みを向けてきた。

「おい。篠崎、森川」

列に並ぶ人々のざわめきをしのぐ大声で名を呼ばれ、ふたりは振り返った。
彼らの少し後方で、鮫島と平林が同じ列に並んでいる。

すでに夕刻近くになっていた。
暑さが少し和らいできたところだったが、さすがに遊びすぎて疲れを感じたふたりは、水を豊富に使ったショーが行われるアトラクションの列に並んでいたのだ。

「あのふたり、絶叫マシンだけじゃなかったんだな」

「せっかくだから、篠崎さん、おふたりとご一緒しましょう」

「まあ、そうだな。一緒に来たんだからな」

少し嫌そうに篠崎が頷き、弥由はそんな篠崎に笑いながら後方に移動し、ふたりと合流した。
鮫島と平林はテーマパークのどこかで買ったらしい黒っぽい帽子と上着をペアで着ている。

「似合ってますよ。おふたりとも」
そう言った弥由の声には、少し羨ましさが混じった。

「こいつが買うって聞かなかったんだ。服が恥ずかしいとかって。おまけに俺も着てくれないと、自分だけが浮くとか言って聞かないし」

文句をたらたらと述べるわりに、鮫島はずいぶんと愉快そうだった。
鮫島を睨んで不平そうな目をしている平林も、口の端がご機嫌に上向いている。

ストレートな性格の鮫島だから、平林の方も同じようにストレートに向き合えば、ふたりの仲はとてもうまくゆくだろうと弥由には思えた。

水のショーはとても迫力があり、見ごたえがあった。舞台全体が躍動している。何色ものライトが光の帯を作り、観客までも音と色彩の饗宴に巻き込んでゆく。

魂を取り込まれたように宴に見入っていた弥由は、何かを感じてゆっくりと篠崎にむいた。
舞台を見つめている篠崎の顔が、淡い水色の光で染まっている。

触れたい。彼の頬に、そして彼のすべてに…

胸の底から湧きあがってきたその思いの強さに、弥由は愕然とした。




   
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