恋は導きの先に
その6 誤解の氷解



ふたりはファミリーレストランで食事しながら時間を潰し、十時十分前には本屋に戻り、駐車場で約束の時間になるのを待った。
十時十五分くらいになってやっと長沢が出てきたのを見て、駿輔は車から降りてこっちというように腕をあげた。

長沢はしぶしぶ、別れのきっかけになった日のことを簡単に語ってくれた。

「去年のクリスマスイブの日、でっかいツリーのある広場で待ち合わせしたんだ。約束の場所に行ったら、彼女、違う男と腕を組んでそのままどこかに歩いて行った。それで終わり。…彼女からは、それ以後なんにも連絡なかったし、もちろん僕もしなかった」

弥由は駿輔と顔を見合わせた。その日のことを、駿輔もはっきりと思い出している顔だ。

イブの日、莉緒は駿輔と弥由とともに、午後から買い物に行った。
彼氏とのイブのデートに、気に入る服がないからと、駿輔と弥由に服を買って欲しいとねだってきたのだ。
あちこち歩き回らされてへとへとになった弥由といい加減不機嫌になった駿輔だったが、彼氏との待ち合わせである大きなツリーのある広場で時間まで莉緒に付き合い、やっと開放されて帰途に着いた。

「その男、俺だ」と駿輔が言った。

「莉緒と思われたのは、私だわ」と弥由も言った。

数秒、三人の時が止まった。

「どうしよう」と弥由は夜空に向かって呟いた。

莉緒が不憫だった。
いったいどんな気持ちで、来ない彼を待っていたのだろう。
彼の好みのかわいらしい服を着こんで、幸せを無邪気に発散していた莉緒の笑みが思い出されて、弥由は居たたまれないほどに切なかった。

「自分の好きな女、間違えるかぁ?」

呆れたように駿輔が言うと、「似すぎだろ。双子の筈のあんたとはぜんぜん似てないくせに」と、噛み付くように長沢が言った。

「原因がわかって良かったよ。それじゃ、戻ろうぜ弥由」

「ちょっと待てよ。そっちの都合ばっかで勝手すぎやしないか」

「誤解が解けたんだ、良かったじゃないか。この事態については誰にも非はないだろ。お前、文句のためでもいいからあいつに電話でもしてれば、こんな誤解、簡単に解けたんだぞ」

長沢が痛そうに顔を歪めた。

「いまからでも電話してくれれば、莉緒喜ぶわ」

取り成す様に言った弥由に、駿輔が首を振った。

「喜ぶかはどうかな? あれから半年過ぎてるんだ。こいつも莉緒もあの頃の気持ちのままじゃないさ。まあ、よりを戻すのも、二人次第だろ。誤解がときたきゃ、俺達が世話焼かなくても、こいつか莉緒がそのために動くさ。俺達の出番はおしまいだよ、弥由」

弥由は唇を尖らせた。
弟の思慮深さには甚だ参る。そして同じだけ自分に落胆する。
ぷっと、自分に向けて頬を膨らませた弥由を見て、駿輔が今度はやさしく、ぽんぽんと頭を叩いた。

「困った事態になってるってたしか言ったよな。どういうことか聞かせてもらえるよな」

いらだった長沢は、八つ当たりでもするように駿輔に聞いた。
珍しく駿輔が困った顔をした。

「話していいか? 弥由」

弥由はしぶしぶ頷いた。

「いいけど、…口外しないって約束してもらえるなら」

話を聞いた長沢の反応はかなり薄く、現実として受け入れられないようだった。

「莉緒が漫画家? お姉さんに成りすまして…なんでそんなこと」

「あの子があそこまで思い込みが激しいとは思わなかったわ。筋金入りの強情さだし。わたしの名前で幸運が来たとかって言って聞かないの。いつまで経っても名前返してくれなくて」

「それ、俺のせい…なのかな?」
駿輔に向けて、長沢は気まずそうに言った。

「さあな。それじゃ、絶対に口外するなよ。いま弥由は莉緒の名で会社勤めしてるんだ。まあ、バレたら辞めちまえばいいだけのことだけどな」

最後はひとり言のように呟くと、駿輔は「ははっ」と気軽く笑った。

「簡単に言わないでよ。仕事の責任があるんだから…」

「莉緒、携帯の番号変わってないかな」

弥由のことなどどうでもいいらしい長沢が、駿輔に聞いた。

「いまの番号なら、これだ。ほら」

駿輔は莉緒の番号を長沢に教えると、弥由を促しながら自分も車に乗り込んだ。

「長沢、お前、帰りは?」

「電車。駅まで歩き」

「乗れよ。送ってってやるよ。莉緒の元彼のよしみだ」

後部座席をひょいと指差して、珍しく駿輔が他人様への親切心を出した。
迷いを見せたものの、長沢は乗り込んで来た。

長沢の家に向かいながら、駿輔はバイトのことや大学のことをさりげなく長沢に聞いている。
世間話のようだが、弥由にはなんとなく、駿輔がさりげに長沢についての情報収集をしているような気がしてならなかった。

長沢の案内で二階建ての大きな家に着き、車を停めて駿輔は長沢に向いた。

「ここでいいのか?篠崎って表札掛かってるけど」

車から降りた長沢が頷いた。

「伯母の家なんだ。下宿させてもらってる」

「あのぉ、長沢さん?」

遠慮がちな弥由の呼びかけに、長沢が「何ですか?」と丁寧に聞いてきた。
駿輔に向けては礼儀などないが、弥由には礼儀正しい。

「もしかして、篠崎遥輝さんって…知ってます?」

答えは見えていた。すでにそういうことかと弥由は思っていた。

「遥兄のこと、なんであなたが知ってるんですか?」

長沢が不思議そうに問い返してきた。
駿輔まで弥由の答えを待ってじっと見つめてきた。

「それが、いまの会社の先輩で…」

「へぇーっ、奇遇ですね。ここんちの次男です。家は出て一人暮らししてるから、ここには住んでないけど」

そう言った直後、長沢の表情が複雑に揺れ動いた。

「遥兄、莉緒のこと…。忘れてないよな。僕の十倍くらい記憶力いいもんなぁ」

情けない顔でそう呟いた後、長沢が弥由に向き、言いにくそうにもぐもぐした挙句、やっと話を切り出した。

「遥兄、あなたに失礼な態度とか…やっぱりかぁ」

弥由の表情に、答えが顕著に現れていたらしく、萎れた長沢がひとり言のように叫んだ。

「彼に取り成しておいてくださると、わたしも毎日が生きやすいんですけど…」

「生きやすい」の言葉に、長沢が頬を引くつかせて反応した。

長沢がわかったというように頷いてくれ、弥由はあからさまにほっとした。

長沢に別れを告げて車が走り出し、弥由は久しぶりの、開放されたような心地よい気分に浸っていた。いつのまにか車中に流れているメロディーに合わせて、ふんふんと口ずさみまでしていた。

「遅ればせの、弥由の初恋か」

「え?」

「初恋は実らない場合が多いけど、かなりの晩初恋だからな。うまくゆくといいな、弥由」

「な、何言って…」

「あからさま過ぎるんだよ。そんな様子じゃ、職場のひとみんな気づいてるな。もしかすると…」

「も、もしかすると…何?」

弥由の胸に、不穏な靄がかかった。

「聞かないほうがいいよ。忘れとけ」

忘れとけと言われて、忘れてられるだろうか?

「気になるじゃないのっ? 寝れなくなっちゃうわ」

「どっちにしても眠れなくなると思うけどなぁ」

肩を揺すって笑う駿輔の眼は、愉快そうにきらきら輝いている。

「篠崎とかって本人も、気づいてるんじゃないかなと思ってさ。弥由の恋心」

「ま、まさかっ」

弥由は青くなった。
自分自身が気づいたのすら、この数日のことなのに…

「弥由、致命的な恋愛音痴だからなぁ」

同情を込めて駿輔が嘆いた。
弥由は胸がムカムカしてきた。

「なんか、気分悪くなってきた」

突然の吐き気に襲われて、弥由は口を覆った。

「おいおい、大丈夫かよぉ。間違ってもここで吐くなよ」

「車の心配かい」

思わず突っ込んでしまい、弥由はうっと込み上げてくるものを押さえた。




   
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