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その5 行方知れず
「おっ、うまそう」
いつの間にやらキッチンの中に入ってきたらしい祥吾の声に、遥輝は手を止めて振り返った。
「つまむなよ」
「わかってるよ。良い匂いがするから言ったまでだよ」
「どうだか。それで飾りつけは終わったのか?」
「いま半分ちょい前ってとこかな。びっくり箱作りはなかなか大変だよ」
「びっくり箱ってなんだ?」
「部屋をまるっと全部、びっくり箱にするんだ。作業はけっこう楽しいんだけど、体力が持たなくて」
「そんな力仕事が必要なのか?」
なんだか自分の部屋が心配になってきた。
さすがに、壁に穴など開けてはいないだろうが。
「お前、いったい何やってるんだ」
自分の居間を覗きに行こうとした遥輝の前に、祥吾が立ちふさがった。
「駄目だよ。見るのは完成してからにしてよ。僕の楽しみが減るだろ」
そう言うと、祥吾はドアの向こうに消えた。
「…まあ、部屋に穴でも開けてなきゃいいけど」
いささか不安だったが、ひとり呟くと、遥輝は調理の仕事に戻った。
破壊音などは聞こえて来ないようだから、大丈夫だろう。
料理は苦手ではないが、かと言って、それほど凝ったものが出来るわけでもない。
料理の本を買い込み、彼でも作れそうで豪華に見えるもの、さらに弥由の好みに合いそうな料理を前もって選び、この日のために一、二度試しに作ってはいた。
テキパキというほどではないが、煮込みの料理も作ったし、肉の類も焼くばかり、軽くつまめるようなオードブルも用意した。
スナックの類は、最後に紙皿に盛ればいい。
男の手料理だし、男の盛り付けでは繊細さに欠けるだろうが。
…彼女は喜んでくれるだろうか?
祥吾のいる居間の方から、携帯が鳴る音がした。
微かな話し声が聞こえていたが、ドアが勢い良く開き、血相を変えた祥吾が飛び込んできた。
「遥兄、莉緒が、弥由さんがいなくなったって」
「いなくなった?…どういうことだ?」
「なんかいつの間にかいなくなってたって」
「電話して連絡取れば良いだろう」
「それ、僕も言ったんだけど、携帯、充電器に繋いだまま、置いてってるって…どうする?」
「慌てるな。弥由がひとりでそんな遠くに行くわけがないさ。どっか近所にでも買い物に行ってるんだろ」
「それが、莉緒もそう思って、2時間待った後だって」
遥輝と携帯を耳に当てたままの祥吾は、目を合わせたまま固まった。
サプライズパーティーの準備は着々と進んでいるというのに…
準備が整った段階で、何も知らない弥由を莉緒が連れてくれば完璧だったはずなのに…
「僕らの方が、サプライズ気分だね、遥兄」
そんなことを口にして、うまいことを言ったとほくそえんでいる能天気な祥吾を、遥輝は睨みつけた。
祥吾のポケットで携帯が鳴り、祥吾は慌てて携帯を取り出し、着信表示を見て笑顔になった。
「遥兄、莉緒からだよ。見つかったんだよ」
確信を込めて言う祥吾に、遥輝も一度はほっとした。
けれど、電話の内容はそんなものではなかった。
「遥兄、莉緒が遥兄と話したいって」
遥輝は眉を寄せ、受け取った携帯を耳に当てた。
「何かあったのか?」
「あの、携帯のアドレスに載ってた番号に片っ端から掛けたんですけど…そしたら、鮫島って人が…行方不明なら、すぐに警察に届けろって怒鳴りつけてきて」
「警察…君、まさか電話したのか?」
「とんでもない。してませんよ。分かりましたって切って、知らんふりしとこうと思ったんです。なのに5分毎にその人から電話が来て…。いったい鮫島って誰だったんですかぁ?声とかすっごい怖かったんですけど…」
遥輝はなぜか笑いが込み上げてきた。
パニックに陥り、彼の精神も少々壊れてきているのかもしれない。
あの鮫島ならば、自分から警察に届けを出しそうな気がする。はやいとこ、手を打つ必要がありそうだ。
「鮫島さんは僕が引き受けるから。それで、結局見つからなかったのか?」
「はい。すみません」
「莉緒君、君、家には掛けたのか?」
「家?ああっ!掛けてませんでしたぁ」
「いますぐ、掛けてみてくれ」
遥輝は莉緒との通話を打ち切り、自分の携帯を取り出して鮫島に掛け、警察だのなんだのの話に、なんとか決着を付けた。
「行方不明ってわけでないなら、なぜ森川の妹は切羽詰ったような電話を俺に掛けてきたんだ」
遥輝の説明で警察の必要はないと理解したものの、不機嫌の頂点らしい鮫島の、もっともな質問だった。
「今日、彼女の誕生日なんで、サプライズパーティーをしようと計画したんですよ。本人はもちろんそんなこととは知らずに出掛けたわけですけど、僕らは困ってるってわけです」
「ほう、サプライズパーティーか。そいつは面白そうだな。それで彼女の行方は分かりそうなのか?」
「まだ実家に電話してないらしいんで、いま確かめてみるように妹さんに言ったところです」
「そうか。まあ、遅くなってもいずれ帰って来るだろう」
「ええ。明日は休みだし、なんとかなるとは…」
「残念だな。そっちにいたら、参加したんだが…」
「そっちって、今どこにいらっしゃるんですか?」
「平林を、ハンググライダーのスクールに連れてきてるんだ」
「ハンググライダーですか。それはずいぶんと…平林さん、楽しんでらっしゃいますか?」
「ああ。バンジージャンプより一億万倍楽しいってはしゃいでるよ。どういう定義か知らないが…」
笑い声が洩れない様に口元を強張らせたまま、最後まで話を続け、遥輝は携帯を切った。
鮫島との会話を終え、遥輝はその場に座り込んだ。
サプライズなど計画したのが間違いだったのだろうか。
彼女を驚かせることより、ただただ楽しませてやればよかった。
弥由は、今日が自分の誕生日だと気づいているだろうか?
彼ら3人は、今日が弥由の誕生日だということに触れないようにしてきた。
もしかして、彼女は気づいているのかもしれない。
自分の誕生日だというのに、友達と出かけるから逢えないと遥輝に言われ、ひどく哀しい思いをしたのでは…。
それでヤケになって…
「どうしよう…」
「遥兄、弥由さん、遅くなっても帰ってくるって」
本当にそうだろうか?
祥吾の手で派手に飾られた部屋が、胸に重かった。
遥輝は目に両手を当て、頭を抱え込んだ。
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