続 恋は導きの先に
おまけ (駿輔視点)



両手に抱えたダンボールを慎重に指定の場所に置き、駿輔は上体を起こした。

「荷物はこれで終わりです。確認印をいただけますか?」

駿輔は脇に挟んでいた用紙を、顔見知りの男性社員に差し出した。

「へーい。はんこはんこっと。お、あったあった。ほい」

ポンポンと弾みをつけて印が押され、駿輔は用紙を受け取ると、その場をすぐに後にした。

いまはバイトの身分だが、大学卒業後は、この会社で働くことになるかもしれない。

この会社は、日曜と水曜日が定休日。
開いている平日と、土曜日は丸一日ここでバイトしている。

店舗の設計、内装を請け負っている会社だ。
要望があれば、インテリアまで引き受ける。
いま運び込んだ荷物も、喫茶店の店内に飾るオブジェだった。

一店舗を創り上げてゆく作業は、駿輔にはたまらなく魅力的な仕事だ。
その代わり、下働きの身は、多様な用事でこき使われる。

駿輔は、今日のスケジュールを書いた紙をポケットから取り出して確認した。
用事も多いが、頻繁に電話などで予定の変更を余儀なくされる。

変更があるたびに、予定を書き換えてゆくものだから、スケジュールの紙は余白まですぐに真っ赤に染まる。

駿輔はざっと目を通し、次にやることを確認して、紙をポケットに収めた。
今日の仕事は後ひとつ。予定より早く終われそうだった。

弥由のプレゼントも買いに行かなければならない。

姉の彼氏がサプライズを計画したから、どんなに忙しくても、駿輔も参加しろと、莉緒から命じられている。

弥由の彼氏の篠崎とは、そろそろ逢って話がしたいと考えていたのだ。
今日のパーティは、いい機会だろう。

足早に企画室に向かっていた駿輔は、鳴り出した携帯をすばやく耳に当てた。

姉の弥由だった。

「何?いまバイト中なんだけど、急ぎの用?」

「あの、あのね。わたしのどこが好き?」

「はあっ?なんだぁ、突然」

「だからね。わたしの好きなところってある?」

この姉は…
賢いのか馬鹿なのか、時々分からなくなる…

「…あのな。俺、バイト中なんだって、じゃあな」

駿輔はためらいなく携帯を切り、仕事に追われて、それきり姉のことは頭から消えた。





今日の仕事を終えた駿輔は、会社の駐輪場に置いた自転車にまたがって、どこに向かうか思案した。

彼の車は大学の駐車場に置いたままだ。

会社は、バイトにまで駐車場を提供してはくれないから、いつも大学から自転車でバイトにやって来る。

一度大学に車を取りに戻ろうかとも思ったが、車を使うと当然ガソリンが減る。
駿輔は自転車で、10分ほどの距離にある駅前に向かった。





世の中には、やたら愉快な偶然があるものだ。

デパートの店内で、駿輔と一緒に弥由のプレゼントを探しているのが、姉の彼氏の篠崎だなんて。

表通りを自転車で走っていて、連れの男と話している篠崎に気づいたのだ。

駿輔はいったん、彼らを素通りしてから自転車を停め、ふたりの様子を伺った。

数分しないうちに、ふたりが別れ、駿輔は考えるより先に自転車を走らせていた。

一度、お互いに顔を合わせているのだが、あの程度の出会いでは、篠崎の方は覚えていなかったらしい。

弥由の弟だと名乗っても良かったが、偶然も過ぎると疑われる。

駿輔は篠崎の様子を目の端に置きながら、店内を見て回った。
ここまでの会話から、篠崎の人格は充分合格点だ。

疑いようもなく、篠崎は弥由に心底惚れ込んでいる。

正直に言って、四つ年下の駿輔や莉緒より、かなり精神的に未熟な弥由の恋がうまくゆくとは思っていなかった。

振られて傷つく弥由を想定して、駿輔も心を痛めていたのだ。

そんなことを考えながら店内の品物を物色していた彼は、可愛らしいデザインながら、色合いのシックな写真立てを目にして手に取った。

サプライズパーティーの時に、篠崎と弥由ツーショットの写真を撮ってやろうか…
デジカメは莉緒が持っていたはずだ。

買い物を済ませた駿輔は、店の片隅に立ち竦んでいる篠崎のもとに近づいていった。

「どうですか?何かいいものありましたか?」

「ああ。うん。これにしようかなと思ってる」

篠崎が手にしていたのは、魚の置物だった。駿輔は怪訝な顔をした。
たしかに、その魚も可愛らしかったが、他にもっと可愛らしいものが山ほどあるのに…なぜ魚なのか。

「へーっ、クリスタルの魚ですか?彼女さん、魚が好きなんですか?」

弥由は特別魚が好きというわけでもない。
その魚の置物より、こっちの天使の方がと、口にしたかったが止めておいた。





同じ女性への贈り物を買い、篠崎に軽く手を振って駿輔は自転車で大学に向かった。

駿輔にパーティで逢ったら、篠崎の方がサプライズ気分だろうと考え、笑いが込み上げてくる。

車に乗り込んだ駿輔は、莉緒に電話を掛けた。

「もしもし、俺。莉緒、デジカメ持ってたよな。今日のパーティーに…」

「駿、大変なの。お姉がいなくなっちゃったの」

「いなくなったって、電話すればいいだろ」

「掛けたよ、そしたらお姉の部屋で電話が鳴ったんだよ。充電器の中に収まってた」

「友達のとことか…おい、篠崎さんのところに行ったんじゃないのか?」

「えっ。ど、どうしよう。篠崎さんに、お姉を見張っててくれって言われてたのに…駿、どうしよう。怒られちゃうよ」

「篠崎さんの家の住所知ってるか?弥由が行ってないか、俺が確かめに行く」

「確かめに行くって、行ってたら一緒じゃん。もうバレてるよ」

「いや、篠崎さんはまだ買い物してる。アパートにはいないよ。弥由がうろうろしてたら連れ戻してくるから、早く住所言え」

「買い物…なんで買い物…」

「いいから。早く!」

駿輔は住所を控え、すぐさま車を走らせた。

バイト仕事で地図を片手にあちこち回っているせいで、目的地を見つけるのは得意だ。

20分後、駿輔は篠崎のアパートの前に辿り着いた。
けれど弥由らしき姿などどこにもなかった。

留守だから帰ったのだろうか?
それとも篠崎のアパートには来ていないのか…

こんなところでぐずぐずしていられない。
篠崎たちもそろそろ帰ってくるはずだ。

駿輔は、莉緒のところにひとまず行くことにした。

莉緒は自分を責めて、かなりパニックに陥っていたようだし、顔を出して、なだめてやらねばならないだろう。

「駿、どうしよう。失敗しちゃったよ。パーティーがあるから少しでも仕事頑張って置こうと思って、夢中になりすぎちゃってたよ」

「それで、弥由の友達のとことか電話したのか?」

「だって電話番号知らないもん。掛けれないよ」

「お前、馬鹿か」

駿輔がそう言った途端、莉緒は叫んで立ち上がった。

「うおーっ、そうだったぁー。お姉の携帯だー」

凄い勢いで飛び出してゆく莉緒を、彼は苦笑しながら見送った。

二卵性とはいえ、莉緒と彼の脳内は、繋がっているらしい。

弥由の携帯に控えられていた名前の中で、莉緒も知ってる友達に、莉緒は片っ端から電話を掛けていった。

けれど、みんな弥由のことは知らないと言う。

「莉緒、篠崎さんに電話しろ。このまま黙ってるわけには行かないぞ」

莉緒がしおれた様子で頷いた。

「祥吾でいいかな?」

「ああ」

祥吾に伝えて電話を切り、莉緒は床にへたり込んだ。
駿輔は莉緒と自分のために紅茶を入れた。

「残りの…掛けてみるか?このまま行き先がつかめないんじゃ困るしな」

莉緒はまず今津という女性に電話をし、栗田、佐野、鮫島という名前の相手に順に電話を掛けていった。

「え…は、はい。そうなんです。え、分からないです。ひぇっ、警察?と、とんでもない。あの、あの、もう知らないならいいです。失礼しましたぁ」

莉緒は電話を切ると、携帯を放り投げて駿輔に抱きついてきた。

「いったい、どうしたんだ?」

「そ、それが。…駿、すっごい怖かったよー」

下唇を突き出し、莉緒は恐ろしさにわなないている。

「いったい誰に電話したんだ、お前?」

「そんなの知らないわよ。なんであんな怖い男の人と知り合いなのよ、お姉ってば…怖かったー」

駿輔は意味が分からぬまま、莉緒の恐怖を取るために頭を撫でた。
そうしているうちに、弥由の携帯が鳴り出した。

「やだ。わたし出ない」

「篠崎さんかも知れないぞ。弥由が向こうに来たんじゃないか」

「う、うそー。どうしよう。サプライズがぁ〜。わたし、篠崎さんに殺されるぅ」

「なわけないだろ。莉緒、落ち着けって」

駿輔は抱きついたまま離れない莉緒を無理やり引き剥がし、弥由の携帯を取り上げた。

「鮫島…」

駿輔が呟いた途端、莉緒は「ぎゃーーーっ」っと叫び、部屋を飛び出て行った。

「はい」

「私は鮫島というものだが。君は誰だ?」

「弥由の弟です」

「警察に電話したか?」

「いえ。その必要は無いと思います。お騒がせして申し訳ありませんでした。そのうち見つかると…」

「姉が行方不明になったというのに、何を悠長なことを…」

「失礼します」

駿輔は相手の言葉に被せるように丁寧に言うと、電話を打ち切った。

大袈裟でなく、鼓膜がびりびり振動した。
莉緒を震えあげさせたただけあって、かなり鋭さと迫力のある声だった。

「駿…」

振り向くと、柱の陰から身体を三分の一だけ出して、こちらを伺っている莉緒がいた。

「もう掛けて…」

来ないさと言おうとした矢先に、電話が鳴った。
もちろん画面には鮫島と表示されていた。

「莉緒。篠崎さんに電話して、こいつをなんとかしてくれって頼め」

「ええーっ。殺され…」

「殺されない。莉緒、早くしろっ!」


駿輔の珍しい怒号に、莉緒は飛び上がり、やっと長沢に電話をかけた。

ほっとしたことに、鮫島という人物からの電話もいまは切れ、部屋は静けさに包まれた。

「家?ああっ!掛けてませんでしたぁ」

駿輔は、莉緒のその言葉に自分の携帯をさっと取り出した。

なんて間抜けなんだろう。
弥由がこれだけ長い時間いなくなるとすれば…


「あら、駿輔」

能天気な姉の声に、駿輔は脱力感に見舞われた。
駿輔は莉緒に向けて、唇だけ動かし、いたぞと伝えた。

莉緒は泣き笑いの顔をして、こくこくと頷いた。

駿輔は弥由に悟られないように、弥由を迎えに行く手筈を整え電話を切った。

「あーっ。良かったぁ。もうどうなることかと思ったよ」

「それじゃ、俺は弥由を迎えに行って直接連れてく。何時頃がいいか、弥由が見つかった報告ついでに篠崎さんに聞いてくれ」

「分かったけど。わたしは?」

「ここに連れて帰ってからまた出かけるより、話が早い。それに、サプライズを成功させたいなら、道はまっすぐな方がいい。お前、わけを話して、篠崎さんに迎えに来てもらえ」





篠崎のアパートに向かう間に、うまい具合に、弥由が寝てしまい、駿輔はほくそえんだ。

これでますますサプライズの威力は増すだろう。

篠崎のアパートが目前になり、駿輔は弥由に声を掛けた。

「弥由、そろそろ目を覚ませよ」

「う、うん」

目を擦りながら返事をするものの、弥由はなかなか目を開けない。

そのくせ、夢の中でずっと思案でもしていたかのように、あくび交じりにこう語り始めた。

「ねぇ、駿輔。わたし、篠崎さんに逢ったら、わたしのこと愛してるって聞いてみる。愛してるって言ってもらえたら、きっと、不安が少しは減るだろうし、そしたらわたし彼を信じるの。嫌いだって言われるまで、ずっと」

「ふぅーん、それで弥由は?」

「わたし?わたしが何?」弥由がパチパチっと瞬きした。

「弥由は、篠崎さんに愛してるって言わないのか?」

「も、もちろん言うわ。言ってもらえたら…だけど」

弥由の到着を、アパートの外に出て待っていたらしい篠崎が、弥由の姿を認めて駆け寄って来る。その姿を見ながら駿輔は弥由に言った。

「なんか、後出しじゃんけんみたいだな。それじゃ」

「後出しじゃんけん?」

駿輔の言葉を繰り返し、弥由は楽しげに吹き出した。
そのおかげですっかり目が覚めたらしい。

弥由は、助手席のドアの向こう側に立っている篠崎を見つけ、驚きいっぱいの声を上げた。

「ええっ?…篠崎さん?ど、どうしてここに?」

「良かった」

窓越しに弥由の顔を見つめ、ひどく安堵をこめて篠崎が呟いた。

「え…?」

篠崎は、車から降りた弥由を伴い、アパートの中へと入って行く。
駿輔もふたりの後に続いた。





玄関先で、大量の紙ふぶきをもらい、弥由は驚きと喜びに顔を輝かせた。

出迎えた莉緒が、弥由と篠崎の後ろに立っている駿輔に笑顔をみせ、手を振ってきた。

「駿。ご苦労様」

その言葉に促されたように、篠崎が振り返った。
そして、駿輔の顔を見て、あんぐりと口を開けた。

「君…」

「どうも。いつ気づいてもらえるんだろうと思ってましたよ」

「驚いたな。…偶然って、あるもんだな」

満足に足るだけの篠崎の驚き。
皆は、なんのことやら分からず、首を傾げてふたりを見つめてくる。

おかげで、サプライズパーティーは、始まる前からかなり盛り上がった。

おかしかったのは、駿輔のことを一番分かっているはずの莉緒が、この偶然の話そのものを、根本から疑っていることだった。

「駿輔君」

パーティーがお開きになり、みんながキッチンに片付けに行き、駿輔と篠崎だけになったところで、篠崎が彼に話しかけてきた。

「はい」

「今日はありがとう。色々と…」

「いえ。サプライズが成功して、俺も嬉しいです。姉貴、とても喜んでましたね」

「だと嬉しいんだが。…君の語ったネックレスのこと。あれは弥由のことだったんだね」

「ええ。…姉貴は、恋愛に疎いから、篠崎さん、付き合ってて戸惑うことばかりかもしれませんけど…」

思うところがあるらしく、駿輔の言葉の途中で、篠崎が苦笑を洩らした。
その苦笑を見つめて、駿輔は椅子に座りなおし、面を改めた。

そんな駿輔を見て、篠崎が問い返すように眉を上げた。

「姉貴は、ひどく怖がってます」

「怖がってる?何を?」

篠崎には思い及ばない言葉だったらしい。彼は驚いた顔で尋ねてきた。

「あなたの心かな。あなたが心変わりするんじゃないか、嫌われるんじゃないかって…」

篠崎がひどく戸惑った顔をした。

「ひとつ頼みがあるんです」

「頼み?」

「ええ。はっきり言葉にしてやって欲しいんです。姉貴への思いとか…出来れば、頻繁に…」

「困ったな。約束できそうにない。照れくさくて…」

「ですよね」

駿輔は笑みを浮べて同意を示した。
人に言うのは簡単だが、彼だって、そんなこと出来そうもない。

「心の片隅でいいから、覚えておいてください」

「わかった」

篠崎の誠実な言葉。
彼は駿輔の無理な頼みを、彼の出来る範囲で実行してくれるに違いないと思えた。




End




  
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