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はじめての親友
箱の蓋を開けた沙帆子は、中に入っている新品の制服を目にして、喜びを噛み締めた。
新しい制服。これを着たら、彼女は女子高生なのだ。
沙帆子は神聖なものを手にするときのように、上着に手を触れ、両手でそっと持ち上げた。
これを着て龍華高校に通うのだ。
龍華高校は私立だが、授業料はそんなにまで高くない。なのに設備は県内でも随一らしく、競争率はとても高い。けど、進学校というわけではない。
テッチン先生から勧められての受験だったが、まさか自分が受かるとは正直思っていなかった。
きっと縁があったのね。と、合格した日の夜、お祝いの席で母は言った。
縁がいっぱいあればいいと思う。…いっぱい。
「沙帆子ぉ」
トトンとノックの音がしたと思った瞬間、ドアが開けられ、母が顔をのぞかせた。
「なんだ、まだ着てなかったの?」
「な、なんかもったいなくて…眺めてた」
沙帆子の言葉に、母は楽しげな声で笑いつつ、部屋の中へと入ってきた。
「気持ち、なんかわかるわ。私もそんなだった気がする」
母は制服の真っ白なブラウスを持ち上げ、自分の身体に当てた。
「どお、沙帆子。ママ、まだまだいけるでしょ?」
本気か冗談かわからない、ずいぶんと満足そうな母の様子に、沙帆子は笑った。
「ママってば。でも、パパが見たら、喜びすぎて卒倒しちゃうかも」
「卒倒させちゃおっかなー」
沙帆子は母とさんざん笑い転げた後、制服に身を包んだ。
「いっぺんで、お姉さんになっちゃった感じねぇ」
制服姿の沙帆子を見て、芙美子はどことなく寂しげにそんな言葉を口にした。
「そ、そう?」
「娘が成長するのはうれしいものだけど…やっぱり、寂しさもあるわ。こんな風にどんどん娘らしくなって、いずれは嫁いでいっちゃうのよねぇ」
「マ、ママったら、いくらなんでも嫁ぐとか、気が早いよ」
「そんなでもないわよ。高校生っていったら、当然彼氏だって出来るだろうし…
親の知らない間に、あれこれ経験しちゃってるもんなのよ」
なにやら目線を宙に浮かせ、やたら感慨深く芙美子は言った。
沙帆子は自然と顔が歪んだ。
母よ。それは自分の実体験を語ってないか?
「でもね、それでいいのよ」
な、何がいいと?
「沙帆子」
「な、なあに?」
「高校に入ったら、思い切って、いろんなことに飛び込んでゆきなさい」
「あ、う、うん」
「あんたは慎重な子だから、それくらいでちょうどいいわ」
芙美子は沙帆子の肩に手を当てて、ポンポンと二度叩き、制服に身を包んだ彼女の全身を見回した。
「幸弘さん、泣くわね」
くすくす笑いながら、芙美子はその言葉を残し、部屋から出て行った。
いろんなことに飛び込め…か…
母の言う通りだろう。
「よーし、いろんなこと、積極的にチャレンジしてやろうじゃないか!」
拳を突き上げて大きな声で決意表明をした沙帆子は、無理のない程度に…と心の中で決意に付け加えた。
入学式の日、両親とともに自分のクラスが二組であることを確かめた沙帆子は、両親と別れて一年間彼女の居場所となる教室に向かった。
龍華高校には上履きはない。
ピカピカに磨いてある校舎に、真新しい黒のローファーだとしても、土足で上がることに、沙帆子はかなりの抵抗を感じた。
一年生の教室は三階だ。
周りにいる新入生達を意識しながら、彼女は階段を上っていった。
二組に入った沙帆子は、教室の中をさっと見回したあと、自分の席を探した。
おしゃべりをしている者たちもいるが、教室全体に他人行儀なぎこちない空気が漂っているように感じられた。
沙帆子の席は、左端の前から三番目だった。
自分の名前が貼り付けてある机に座る前に、沙帆子は前の席に座っている女生徒と目を合わせた。
とんでもなく綺麗で、もちろん同級生なのに違いないが、そうは見えない大人びた雰囲気のひとだった。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
好意を込めた笑みに、沙帆子は恥ずかしがりながら返事をした。
「榎原さんね?」
机の上の名前をちらりと見て、彼女は少し首を傾げた。
「は、はい」
緊張しつつ、胸をドキドキさせながら沙帆子は返事をした。
「わたし、飯沢千里。よろしく。ねぇ、お近づきの始めに、榎原さん明日からお昼一緒に食べない?」
嬉しすぎる申し出に、沙帆子の胸の中で喜びの花が満開になった。
この高校に、沙帆子の知り合いはひとりもいないし、親しい友達が出来るまで、お昼はひとりでお弁当を食べることになるだろうと、不安と諦めを感じていたのだ。
「は、はいっ! よろしくお願いします」
沙帆子は急くように返事をし、勢いよく頭を下げた。
そのやりとりひとつで、沙帆子は無二の親友という、はじめての存在を得ることになったのだった。
「沙帆子って、可愛い名前よね」
千里は、初めての昼食の時間、お弁当をつつきながらそう言った。
「い、飯沢さんも、か、可愛い名前です」
沙帆子の余裕のない返事に、千里はクスクス笑いだした。
「ほんと、可愛いよね。榎原さん」
「えっ? …えっと」
「千里でいいよ。私も沙帆子って呼ばせてもらうし。いい?」
「も、もちろんいいです」
「うん。ね、今度の土曜日、買い物、一緒にしない?」
その誘いに、沙帆子は「するます」と答え、千里の初の爆笑を買うことになった。
「どこ行こうか?」
「わ、わたしは、どこでも」
「何か買いたいものとか、いまある?」
「え、えっと…えーっと、ハンカチとか…そうだ。小さな可愛いポーチ欲しいなって思ってた」
「そっか。それじゃあさ、わたしがよく行くお店、のぞきに行ってみない? 可愛いのがいっぱいあったわよ」
「行ってみたい」
そんな普通のやりとりをしているうちに、視界が涙でぼやけはじめ、沙帆子は誤魔化しながら涙を拭った。
こんなささいなやり取りが、胸がジンとするほど嬉しかった。そして、この高校に入学できたことに、彼女は心から感謝した。
千里のリードで、沙帆子は彼女との友情を深めていった。
学園生活は、千里のおかげで薔薇色と言ってもいいくらい楽しいものになった。
二人目の無二の親友が、沙帆子の前に現れたのは、それから一ヵ月半後くらいのことだった。
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