ナチュラルキス
natural kiss

やさしい風サイト10周年 特別番外編 榎原編
沙帆子視点



『幸か不幸か』



2 腑抜けた悲鳴



「ぴーぴー、ぴーちゃん。もう朝だよぉ。ぴーぴー、ぴーちゃん、もう朝だよぉ」

目覚し時計のぴーちゃんが叫び出し、ぐっすり夢の中だった沙帆子はきゅっと眉を寄せた。

「う、うーん。はーい」

ぴーちゃんに返事をするが、ぴーちゃんは叫び続ける。

もう起きて、返事もしたのに、どうしてぴーちゃんは叫ぶのをやめないかな?

ああ、そうでした。

ぴーちゃんは作りものだから頭のてっぺんのトサカをぽちんと押して、へこまさないと、おとなしくならないんでした。

沙帆子はため息を吐き、むっくり起き上った。
正座して背筋を伸ばすも、睡魔が襲ってくる。

かくんと頭が前に落ち、そのまま眠りの中に引き込まれそうになったが、「ぴーぴー、ぴーちゃん、もう朝だよぉ」と、ぴーちゃんが現実に引き戻してくれた。

「はいはい、わかってますよ。ぴーちゃん、もうお黙りなさい!」

ぴしっと叱りつけ、沙帆子はベッドから出て、机の上に置いてあるぴーちゃんのトサカを押した。

ぴーちゃん、また机の所に戻ってるよ。

起きてすぐ、トサカが押せるように、枕の横に置いておくのに、目が覚めると必ず机の上にいる。

なので、ぴーちゃんを黙らせるためには、ベッドから出るしかないのだ。

ぴーちゃんが枕の横から机のところに移動しちゃってる不思議をママに話したら、ママも凄く驚いてた。

ぴーちゃんは作り物で、ほんとの鳥じゃないんだから、飛べるわけがないんだけど……

沙帆子は、ぴーちゃんに顔を近づけ、「飛べちゃうの?」と尋ねてみた。

もちろんぴーちゃんはなんの反応もしない。

「おもちゃには魂が宿ってるから、大事にしてあげなきゃ駄目よ」と言ったのは、みーばあちゃんだ。

つまり、たましいが宿ってるから、飛べるのかな?

そんなことを考えつつ、沙帆子はすでにぐらぐらになっちゃってる前歯を舌の先でつつく。

沙帆子の前歯は、もうすぐ抜けちゃうらしい。

歯がなくなるのは嫌だなと思ったけど、これは赤ちゃん用の歯で、これが抜けると大人の歯が生えてくるんだって。

「さほ姫ちゃん」

パパの声がし、沙帆子はドアに振り返った。

「パパ」

「おはよう」

「おはよう。パパ、わたしはさほ姫ちゃんじゃないよ。沙帆子だよ。さほ姫ちゃんなんて呼んでると、またママに怒られるよ」

パパがママに怒られては可哀想だと思い、沙帆子はパパを注意した。

パパは痛そうな顔をする。

「だって、沙帆子はパパのお姫様なんだよ」

「お姫様は、お城に住んでるんだよ。それでお姫様のドレスを着てるの」

「沙帆子だってお姫様だし、この家はパパとママと沙帆子のお城だぞ」

パパは自信満々に言うが、沙帆子は納得できない。

「パパ、お城を見たことないの?」

可哀想に思い、沙帆子は自分の本棚からお城の絵が描かれている絵本を取り出した。

そしてお城の絵が乗っているページを開いて、パパに見せてやる。

「ほら、こういうのをお城っていうのよ。屋根の上がとんがってて、扉が物凄く大きいの」

「そ、そうか」

「パパ?」

なんだかパパが哀しそうで、沙帆子はどきりとして呼びかけた。

どうやら、落ち込んでしまったらしい。

そんなつもりはなかったのに……ど、どうしよう?

お城のことを知らなかったことに落ち込んだのかな?

あっ、わかった。
パパとママと沙帆子のおうちは、お城じゃないよって、わたしが言っちゃったからかも。

「あ、あのね。パパ。沙帆子、このおうちが大好きだよ。パパとママがいて、お城なんかより、ずっとずっと好きだよ」

「そ、そうか」

パパの顔が明るくなり、沙帆子はほっとした。

「なあ、沙帆子。その……お父さんにランドセルを背負って見せてくれない……見せてくれ」

いつもはパパっていうのに、お父さんなんて言うパパに首を傾げつつも、パパの願いに沙帆子は快く応じた。

「いいよ」

どうしてランドセルを背負ってほしいなんて言い出すのかわからないけど、パパがそうしてほしいなら、望みを叶えてあげるとしよう。

沙帆子は机のよこっちょにかけてあるランドセルを両手で持ち上げた。

ランドセルというのは、とんでもなく大きい。

幼稚園の通園バッグはちょうどいいサイズで扱いやすかったんだけどなぁ。

沙帆子は肩掛けにまず右腕を通して、右肩にひっかけた。

最初はもたもたしちゃったけど、四月、五月が過ぎて、もう
六月。
いまは簡単にかつげるようになったんだよねぇ。

ふふっ。

自分の成長を感じて、嬉しくなる。

微笑んでいたら、パパが沙帆子をじーっと見つめていることに気づいた。

目が合い、何か言いたいことでもあるのかなと、「パパ、なあに?」と聞いたら、「なんでもないよ」と目尻を垂らして言う。

パパの目は、たるみ過ぎだと思う。

もっときりりとしてたら、かっこいいのに。

でも、不思議なことに、わたしと同じクラスの友達は、うちのパパを見ると、「沙帆子ちゃんのパパって、すっごくかっこいいねぇ」と羨ましげに言うんだよね。

そんなことを考えつつ、沙帆子は左腕を通して、ランドセルを背中に背負った。

「はい。背負いましたよ」

そう言って、ランドセルがよく見えるように、パパに背中を見せる。

「うんうん。ランドセルに負けてる姿が最高に可愛いぞ」

「はい?」

パパいまなんてった?

ランドセルに負けてるって、なに?

「パパ、沙帆子、負けてたりしないよっ」

両足を踏ん張って、失礼なパパに怒鳴ったら、パパが慌て始めた。

「ご、ごめん、ごめん。そんなつもりで言ったんじゃないんだ。ランドセルの大きさと、さほ姫ちゃんのサイズの不釣り合いが、なんとも言えず、かわ……」

「ふつりあい?」

ふつりあいって、あんまり意味がわかんないんだけど、なんかいい意味じゃない気がする。

そう思っていたら、またパパは慌て始めた。

「い、いや。ち、違うんだ。誤解だよ。悪い意味で言ったんじゃ……」

やっぱり。慌てるってことは、よくない意味だったんだ。

沙帆子はちょっと涙目になり、ぷーっと頬を膨らませる。

「ええっ! ぼ、僕は、泣かせるつもりじゃ……」

慌てふためいているパパを精一杯睨みつけ、沙帆子は部屋から飛び出た。

「ママ―っ、パパがひどいんだよぉ」

沙帆子はキッチンに飛び込むと、ママに抱き着き、いい匂いのするエプロンに顔をくっつけた。

ふあーっ、いい匂い♪

「沙帆子、パパが何をしたの?」

ママに聞かれ、沙帆子はママに抱き着いたまま顔を上げた。

「ランドセルが大きくて、わたしとふたりあいって言ったんだよ」

そう言ってから、ぐらぐらな歯をまた舌でくいくい押す。

「ふたりあい?」

「違う違う。不釣り……いや、パパは可愛いって言いたかったんだ」

パパがやってきて、言い訳をする。

「言い訳しちゃいけません!」

ママの言葉を真似て、沙帆子はパパを叱ってやった。

するとママが、ケラケラ笑い出した。

パパはしかめっ面をする。

「芙美子ちゃん、そんなに笑うなよ」

パパはママに文句を言う。

沙帆子は急に楽しくなった。ママの真似してケラケラ笑う。

そしたら、ふたりが沙帆子に振り返ってきた。

ふたりとも楽しそうに笑ってる。とってもいいことがあったみたいな笑顔だ。

愉快になった沙帆子は、思わず大きくジャンプした。

背中に担いでいるランドセルが揺れ、コトンと音がした。

「あら、いまのはなんの音?」

ママが聞いてくる。

「うさぎさんの……筆箱の音……だよ」

ぐらぐらな前歯を舌先でくいくい押しながら答えた沙帆子は、ウサギの真似して、ぴょんぴょん跳ねた。

キッチンでは、いい匂いが漂ってる。

「ママ、お腹空いたーっ」

「はいはい。すぐ朝ご飯にするわね」

「うん。わたし、お手伝いするっ」

「まあ、頼りになるわねぇ。ありがとう」

感謝を貰え、沙帆子はいい気分で胸を張ったのだった。

そのとき、パシャっと音がした。

こいつはパパのカメラの音だ。

パパに振り返ると、やっぱりカメラを構えてる。

沙帆子はパパに向いて、にこっと笑い、ちっちゃな指でピースをした。

そしてまたぐらぐらな歯をくいっと押したら……

「へっ……⁉」

舌先に、何か乗っかっている!

こ、こ、これは?

ま、ま、まさか!

「ひゃへぇーー!」

仰天して叫んだら、前歯のなくなったところから空気が抜けて、悲鳴が腑抜けたものになる。

「や、やったぞ!」

沙帆子は父親の様子にショックを受けた。

「ちょっと幸弘さん。沙帆子がショックを受けてるわよ」

「あ……ご、ごめんな、沙帆子」

いまさら謝ってももう遅い。

今日一日、パパとは口を利くものかと、沙帆子は下瞼に涙を浮かべながら心に決めた。

抜けた歯はママが受け取ってくれたけど、穴の開いた部分を舌で確かめ、沙帆子はなんとも侘しい気持ちになったのだった。



end



ぷちあとがき

10周年記念。今度は榎原編を書いてみました。
ジョギングしている啓史たちと同じ朝です。

中坊の啓史と、小学生になったばかりの沙帆子を比べてみたりして楽しんでもらえたら嬉しいです。

1話目は芙美子さん視点です。
娘が可愛くて仕方がないけど、甘やかし過ぎは禁物と自分を律してますね。笑

そして2話目は沙帆子視点。
前歯が取れて衝撃を受けた沙帆子でした。笑

読んでくださってありがとうございました。
楽しんでいただけたら嬉しいです♪

fuu(2015-6-27)




  
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