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ナチュラルキス
natural kiss
「ナチュラルキス」番外編
沙帆子視点
『特別がいっぱい』 |
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※このお話は、2013年の5月に、
どこでも読書さんのエタニティフェア用として、書かせていただいたお話です。
サイトでの掲載の、了承をいただけましたので、掲載させていただきました。
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第1話 大歓迎な無理強い
「さあ、ターゲットは捕らえた。沙帆子、行くよっ」
朗らかに江藤詩織が言い、榎原沙帆子は腕をがっちりと掴まれた。
「もおっ、詩織。行きたきゃあんたひとりで行きなさい。沙帆子に無理強いしないの」
顔をしかめた飯沢千里が、沙帆子のもう一方の腕を掴み、いましも駆け出そうとする詩織を諌める。
「ええーっ、無理強いなんかじゃないよ。ねぇ、沙帆子?」
掴んでいる腕を大きく振りながら詩織に同意を求められ、沙帆子はちょっと困った。
本音を言うと、無理強いではない。
いや、それどころか詩織の無理強いは、沙帆子にとって大歓迎だったりするのだ。
詩織の言うターゲットとは、彼女たちのクラスの副担任である佐原啓史のこと。
佐原は新任の教諭で、この半年の間に、沙帆子の通う龍華高校の女子生徒たち憧れの存在となっている。
詩織は佐原に対して恋愛感情は持っていない。
ただ、アイドル的存在と位置づけしていて、キャーキャー騒いで楽しみたいのだ。
けれどひとりで楽しんでもつまらないので、沙帆子を仲間に引きずり込んでいるというわけ。
ふたりは知らないが、沙帆子は佐原が教育実習生としてこの学校にやってきたときから、ずっと彼に恋をしている。
もちろん佐原は沙帆子にとって高嶺の花だ。
それでも彼の姿をひと目見られれば、しあわせでならない。
実らない恋とわかっているから、切なかったりもするけど……
「ほらごらん。沙帆子、返事に困ってるじゃないの。この子をあんたの趣味に強引に付き合わせないの」
「そんなことないよぉ。沙帆子だって楽しんでるよぉ。ねぇ、沙帆子?」
「あ……う、うん。楽しい……かな」
ここで困っていると思われてしまったら、佐原のおっかけができなくなりそうなので、頬を染めてもごもごと言う。
化学の教師である佐原は、ほとんど化学準備室にいるらしい。
化学の授業は週に二度。
それ以外で彼を見られる機会ってのは、希少なのだ。
そしていま、いつもジュースを買っている自販機に向って校舎の中を歩いていたら、窓からグラウンドにいる佐原を発見したのだ。
顔には出していないが、もう心臓はドキドキしっぱなしだ。
遠目であろうと、佐原を目に入れられている。
そしてこれから、佐原の側に行けるかもしれないのだ。
「ほーら、楽しいって」
「……まあ、楽しいならいいわ。でも、自販機に寄ってからでもいいでしょう?」
「そうだねぇ。いや、まず佐原先生のところに行こうよ。自販機に寄ってたりしたら、チャンスが消えるかもしれないよ」
その意見に心の中でそうだそうだと賛成し、詩織をおおいに応援する。
「あんたは、別に佐原先生のこと、好きってわけでもないのに……」
「超かっちょいいじゃん。目の保養だよ。目にできるだけでルンルンしちゃう存在が近くにいるんだよ、機会を逃しちゃもったいないじゃん」
「あんたのその独特な考え、理解できないわね」
「ほら、金ちゃんも一緒みたいだしさあ」
金ちゃんというのは、二年三組の副担任だ。体育の教師なのだが、熱血教師という感じで、佐原とは違う意味で人気がある。
金山という苗字なのだが、詩織のように親しみを込めて金ちゃんと呼ぶ生徒は多い。
「金ちゃんで会話を楽しみ、佐原先生で目の保養をする。一石二鳥だよ」
「それ意味が違うようでいて、微妙に合ってるように感じるわね」
千里が複雑な顔をして言う。
「意味が合ってる合ってないなんてどうでもいいよ。楽しいことダブルだってことには変わりないじゃん」
「まったくあんたはもお、なんでもかんでも適当なんだから」
ふたりのやりとりを、沙帆子は内心じれじれしながら聞いていた。
行くのなら早く行かないと、佐原は用事を終えて、あの場からいなくなってしまうかもしれない。
今日は化学の授業がないから、これを逃してしまったら、もう今日は顔を見られないだろう。
「あ、あのさ……金ちゃんたち、グラウンドなんかで何してるんだろうね?」
佐原先生と口にしようとして沙帆子はためらってしまい、金ちゃんの名を口にする。
「うーん、ボード持ってるし、柵沿いにゆっくり歩いてるところを見ると……柵の点検とかじゃない? もうすぐ体育祭だからかも……」
「へーっ、先生たちって、そんな仕事もしてるんだね」
感心して言うと、千里は苦笑して、沙帆子の頭をポンポン叩く。
千里は沙帆子よりかなり背が高く、こんなふうに叩いたり撫でたりしやすいらしい。
子ども扱いしないでと言っても、受け流されてしまう。
「ちょっと詩織、はっきりはわかんないわよ。状況見て、そうじゃないかってこと」
「いいからいいから、ほら、行くよぉ。休み時間、もうあと二十分くらいしかないんだからさ」
詩織がグラウンドに向って駆け出し、腕を掴まれている沙帆子も、千里とともに駆け出した。
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