ナチュラルキス
natural kiss

番外編

 でかうさ視点

第1話 つぶらな瞳の、ちっちゃな涙



(ふう)

たくさんのものが置いてある、相変わらずの風景を眺め、おいらは一息ついた。

ここに腰掛けて、どのくらいの時が過ぎたのか、おいらにはわからないけど、かなり長いことここにいるのは間違いなかった。

おいらがここに来てから、周りにいる大小の仲間たちは、入れ替わり立ち代りメンバーが変わってしまってる。

おいらが来るより前からいるやつも、まだまだいるけど…おいらより後に来て、さっさとこの場から去って行った者も多い。


実は…

おいらはこの最近、気掛かりを抱えてる。

ある事実を知ったからだ。

ある事実とは、おいらたちは永遠にこの場にはいられないということ。

つまり、お金というものと引き換えに、お客様にどこぞへ連れて行ってもらえないと、お倉とかいう暗い場所へと連れてゆかれ、あまりいい運命は辿れないらしいのだ。

その怖い情報は、運よくその場から戻って来られた奴から、おいらにもたらされた。

そいつは今、おいらの側にいて、またお倉へと逆もどりになるのではと、毎日毎日戦々恐々としてる。

正直、そいつを見ていると、暗い気分になるので、あまりおいら側にいたくないんだけど…

もちろん、お金と引き換えに、どこぞへ行ってしまった仲間は誰一人戻ってくることはなく、どちらの運命がいいかなど、誰にも分からない。

それでも…

「きゃあん、可愛いっ!」

突然の甲高い叫びに、おいらは下に視線を向けた。

ちびなお客様が、おとといやってきたばかりの新参者を胸に抱えて、きゃいきゃい叫んでいる。

抱えられた新参者は、ずいぶん得意げな顔をしている。

そいつの目と、運悪く目を合わせてしまったおいらは、その優越の混じった表情にむっとした。

こ、こいつぅ〜

こんなことを語って、自慢と思われたくないんだけど、おいらはここで一番の人気者なのだ。

数日前まで下の段に座っていたのを、一段高い場所へと移されたのは、おいらを取り合って泣き出すちびなお客様が多すぎたからなのだ。

人気があるのに、なんでいつまでもここにいるんだって?

そ、それは…つまり…

ちょーーっと、大きすぎるからって、そういうことみたいなんだよね。

大きなお客様は、ちびなお客様がおいらを離さないと、「大きすぎるから、この小さいのにしましょ」と、他の奴と無理やりに取り替えてしまうのだ。

ちびなお客様は、すっごい嫌がって、あんなにわーわー泣くのにさ…

(おいら、そんなには…)

自分の身を眺め回し、おいらは唇を突き出した。

(大きくないよな…)

自分の心に忍び寄ろうとする暗いお倉のことを、おいらは必死で追い払った。

(お、おいらは大丈夫だ!)

(絶対大丈夫!)

いまに、とーっても可愛いちびなお客様がやって来て、おいらをお買い上げしてくれるに決まってる。

その場面を心に思い描いて、おいらはしまりなく笑った。





今日もおいらにとっては何事もなく、一日が過ぎてゆくかにみえた。

だが、それは違った。

店員たちの動きがちょっと変化してゆく閉店前、そいつは現れた。

ぬいぐるみ売場には不似合いな、ごつくて大きなお客様。

ちびなお客様も連れていない、ひとりきりだ。

姿を見せたとき、まるきり興味無さそうな目で、売場を眺め回していたその大きなお客様は、おいらと目を合わせた瞬間、ニヤッと笑った。

ニヤッとだよ。

なんともぞっとするような企みを感じる笑いで、おいらは怖気づいた。

視線を外したくても、自分では顔の方向を変えられないから、視線を逸らせない。

その胡散臭い大きなお客様は、まっすぐにおいらの方へと突進してきて、あろうことかおいらを持ち上げた。

(い、いっやーーーー!!!)

「お前、馬鹿みたいにでかいな?」

(ば、馬鹿? おいら、馬鹿みたい?)

「よーしよし」

そう言って、おいらの頭をごしごしと撫でさする。

なんともありがたくなかったし、生きた心地がしなかった。

「佐原の野郎、こいつみたら、ぶち切れんだろうなぁ」

そう言って、にっひっひっひと笑う。

(き、気味悪い、気色悪い)

ぶち切れるようなひとのところに、おいら、連れてかれちゃうの?

(い、嫌だよーー)

おいらは半泣きになった。

(怖いよ、怖いよ)

助けを求めるように周りを見ると、同情を含んだような視線が突き刺さってきた。

「だが、沙帆子ちゃんは、喜ぶぞお。お前、しあわせもんだぞ。彼女可愛いからな」

(へっ?)

(な、なんか、事情が変わった!)

(しあわせもん?ほんとに?)

「たっぷりと可愛がってもらえよな。…けど、佐原には気をつけろ」

潜めた忠告をもらい、おいらは混乱した。


大きなビニール袋に入れられ、これまた大きなリボンを頭のあたりにいっぱいつけられ、おいらはお金と引き換えに、馴染んだ場所から連れ去られることとなった。


突然の別れ…哀しい思いが湧いた。

さようなら〜

いまはおいらの主となったごつくて大きなお客様に抱えられ、おいらは遠ざかってゆく売場を、いつまでも見つめ続けた。





お倉ってのは、暗と聞いていたが、おいらがいる場所は、暗いどころじゃなく真っ暗だった。

これじゃ、誰かに耳を引っ張られたって、鼻を摘まれたって、なんもわかりゃしない。

ここに放り込まれて、どれだけの時が経ったのか。

他に誰もいないし、閉店もないから時の経過が分からない。

ただ、色んな音は聞こえてくる。

おいらは、そんな音たちを友達に、ずーっとうつらうつらしていた。

熟睡しているときの方が多かったかもしれない。


突如、パッと光が差し込んできて、眠り込んでいたおいらは、突然の眩しさに目が覚めた。

驚く間もなく抱えあげられ、バンと大きな音がした。

何を急いでいるのか、ひさしぶりに会ったご主人様は、おいらを抱えて猛ダッシュしている。

無言だし、寝ぼけ半分のおいらには、何が起きたのかさっぱり分からない。

「あ、来た。来ましたっ!」

そんな叫びが聞こえた。

おいらは必死に声のした方向に目を向けようとしたが、目線は別方向に向いていて、なにやら青いものしか見えない。

ただ、ゆさゆさ揺られているだけで、現状が掴めないというのはもどかしいものだ。

「待たせちまったかぁ?」

そう言ったご主人様は走るのをやめて立ち止まったようだった。

誰を待たせたのだろう…?

「沙帆子さん、これ、俺からの結婚祝いだ」

沙帆子?

おいらの心がぴょこんと跳ねた。

そ、それって…

「ほい」

おいらはご主人様の大きな手から、別の手に渡されたようだった。

「どうだ。君にぴったりだろ?」

おいらの主だった大きなひとは、そう言って、にははとがさつに笑った。

「あっちゃん、もう、何考えてんのよぉ」

なにやら、憤りを含んだ声がした。

そして…

おいらの目の前に、おいらを抱えているひとの顔が現れた。

「あ…うさちゃんだぁ」

その可愛い声は、おいらの心にくすぐったく響いた。

ちびというほどちびじゃないけど…

おいらの心はハッピーな桃色に染まった。

この可愛いひとが、おいらのご主人様?

ほ、ほんとに?

このひとが、前のご主人様の口にしていた、沙帆子というひとだろうか?

かわいがってもらえよって…

「なになに?うさちゃん?」

別なひとがぬっと顔を突き出してきた。

「ほんとだぁ。かっわいいー」

可愛いを連呼され、おいらの心はうれしさに舞い上がった。

こいつは、疑いようもなく…

(お、おいら、可愛がってもらえそうだよぉ)

おいらがうれし涙に暮れた、その時…

「飯沢ぁ〜、お前はなぁ」

その声は聞こえた。

おいらは一瞬で固まった。

嫌な予感に全身が包まれた。

前のご主人様が言っていた言葉が、頭の中に湧きあがってきた。

佐原には気をつけろ!

おいらは救いを求めて、おいらを抱いているかわいくて無条件においらの味方になってくれそうなご主人様を見つめた。

だらしないと思うが、ブルブルと震えが止まらない。

「さあ、ふたりとも、そろそろ乗らなきゃ」

「そうだな。沙帆子行くぞ」

怖いひとの叫び声がして、おいらはきゅっと身を縮めた。

今度は、どこに連れてゆかれるんだろう?


新しいご主人様に抱かれたおいらの目の前には、不幸なことに、もうひとりのご主人様らしい怖いひとの顔があった。

この怖いご主人様、時々、おいらをじっと見据え、憎々しげに睨んでくる。

(どう考えても…おいら、嫌われてる)

生きた心地がしない。

(可愛いご主人様、お願いだから、おいらの顔の方向を、ちょこっとでいいからずらしてちょうだい!)

そう強く叫んでみるが、残念なことに、その叫びは伝わらないようだった。

可愛いご主人様が身体を動かし、そのおかげで、おいらは怖いご主人様の顔をまともに見なくても良くなった。

嬉しかった。

きっとおいらの叫びが、可愛いご主人様に通じたのだ。

それでも目の端に、怖いご主人様の顔は見えてるわけで…

「な、なんか?」

可愛いご主人様は、怖いご主人様に、こわごわな感じで語りかけた。

ふたりの力関係がはっきりと見えて、おいらは暗い気持ちに囚われた。

「なんだ?」

ひよっ!

や、やっぱ、声が怖い…顔も怖い…

可愛いご主人様、なにを好き好んで、こんな怖いご主人様と一緒にいるんだろう?

「い、言いたい事…あるみたいに思えたんですけど…」

可愛いご主人様はそう遠慮勝ちに言うと、おいらを抱えていた片方の手を離し、おいらの片耳を押さえつけてきた。

な、なんだ? いったい、どうしたのだ?

(お、おいらの耳、なんかしたの?なんか悪かった?)

おどおどしていると、おいらの身体は可愛いご主人様の膝から転げ落ち、おいらはびっくりした。

だがそんな驚きは、単なる前ぶれでしかなかったのだ。

可愛いご主人様の両腕がおいらへと伸びてきた瞬間、おいらはお腹のど真ん中に、強烈な衝撃を食らった。

ぎゃほっ!

おいらの身体は空を切り、気づいたときには床に転がっていた。

な…何が起きたのだ…?

あたりは、不気味なほどの静けさに包まれていた。

(お、おいら…)

(ど、どうなるの?)

先行きの不安に襲われ…おいらはつぶらな瞳に、ちっちゃな涙を浮かべた。





  
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