ナチュラルキス
natural kiss

番外編
宗徳視点(再掲載話)

満ち足りた思い



書斎で本を読んでいた宗徳は、ノックの音を聞き、ゆっくりと顔を上げた。

すでにドアは大きく開いていて、三男坊である順平の姿があった。

何があったのか、ずいぶんと興奮した笑みを浮かべている。

「どう…」

「すっ、凄いことになったよ!」

どうしたんだ? と、言い終わる前に、順平が叫んだ。

「父さん、聞いてよ。驚くよ。あ、あ、あ〜りえないことが起きたんだからねっ!」

息もつがずに興奮して捲し立てた順平は、はあはあと荒い息を吐く。

いつも、ちょっとしたことで大騒ぎする息子ではあるのだが…

ありえないこと?

「いったい何が起きたんだ?」

「啓史兄さんが来たんだ」

それは知っている。
妻の久美子は、次男坊が帰ってくるというので、朝から上機嫌だった。

「ああ。それで?」

それにしても、これだけ順平が興奮している理由が、啓史関係とは……

啓史が何かやらかしたということなのか?

「驚くよ。驚くよ。驚くよ」

目をキラキラさせて繰り返す。

「それはもう聞いたな」

宗徳は、笑いを堪えながら言った。

順平は、この私すら、聞いたら仰天すると思っているようだ。

「ジャッジャーン!」

なんのつもりか、順平は両腕でガッツをしながら、高らかに叫ぶ。

「順平。いつになったら、私は、お前の言う驚くようなことを耳に出来るんだね?」

「もおおっ!」

順平はもどかしげに足踏みした。

「父さんタイミング外さないでよ。ジャッジャーンのあとに、必要なだけためて、このすっごいニュースを発表するんだったんだよ」

ガミガミ叱られて、宗徳は眉を上げた。

そんな必要などどこにもないだろうと言いたいが、止めておく。

この場は、順平の好きなようにやらせておくほうが、何倍も面白い。

「それじゃ、邪魔だてしないから、もう一度、ジャッジャーンってやつからやってくれ」

真顔で促すと、順平はむっとして凄んできた。

「なんかやだな。子ども扱いしないでよっ!」

順平の良く口にする台詞に、込み上げる笑いを押し殺す。

この三男坊は、どう見ても、まだまだ子どもだ。なのに、大学生になったことで、自分はいっぱしの大人になった気でいる。

大人か子どもかは、実年齢と比例しない。

未成年であっても、大人と同等の意識を持つ者もいるし、三十、四十を越えても、子どもとしか思えない者もいる。

まあ、順平の子どもっぽさは純粋さからのもので、そのまま保っていてほしいと思ってしまう類の幼さだが……

「そうか? 悪かった」

宗徳は謝罪の意味で、頭を下げた。

「ちぇっ!」

父親の謝罪は気に入らなかったらしく、順平は拗ねた顔で舌打ちする。

だがそれで気が済んだらしく、宗徳のほうに歩み寄ってきた。

どうやら色々やりすぎて、熱くたぎっていた興奮が冷めてしまったらしい。

こうなると、宗徳としては残念だ。

「驚きの事実、聞いて腰抜かさないでよ」

ソファに座っている父親の前で仁王立ちになった順平は、ふて腐れた顔で忠告するような前置きをする。

ずいぶんと、期待させるな。

「腰が抜けるほどの驚きなんて、この最近お目にかかっていないからな。楽しみだ。それで?」

「啓史兄さんが……」

「ジャッジャーンってやつは、もういいのか?」

宗徳のからかいに、順平はきゅっと眉を寄せたが、ふいに声を上げて笑い出した。

「もう父さんってば、やってられないよお」

「そうか?」

「ジャジャーンはなしで行くよ。実はね、啓史兄さん、恋人を連れて来たんだ」

彼がどんな反応をするかと、期待いっぱいな表情をしている順平と目を合わせ、宗徳は「ほお」と言った。

恋人とは……

啓史が?

確かに、驚きだ。

「ほおって、そんだけぇ?」

つまらなそうな順平の声が、遅れて耳に入り、宗徳は顔を上げた。

「驚いてるさ」

それはもう、たっぷりとだ。

宗徳はさっと立ち上がり、ドアに向かった。

「ね、どんな子? とか聞かないの?」

せがむような声に、宗徳は歩みを止めて振り返った。

「見に行ったほうが早い」

「それじゃ、僕の楽しみがないじゃんか」

できるものなら、こいつの楽しみに付き合ってやりたいが……

もうこんなところで、じっとなどしていられない。

宗徳は順平に向けて手を上げ、そのまま書斎を出た。

啓史に恋人か…

驚いたが……それ以上に安堵が湧いた。

啓史に好きな女がいることは前々から知っていた。

けれど、その思いはなかなか報われず、啓史は心を荒ませ、煙草の量は増える一方だった。それはつい先日まで続いていて、家族全員、啓史のことを心配していたのだが……

家に連れて来て、家族に紹介できるほどの関係になったのだろうか?

相手の女性も、もとから啓史を愛していたというのなら、話がわからないでもないが……そういうことなのだろうか?

いや……やはり、腑に落ちないな。

付き合い出してすぐ、家族に紹介するために彼女を連れてくるなんて、啓史らしくない。

それとも何か、すぐにも親に紹介しなければならない事態にでも……?

ダイニングのドアを前にした宗徳は、いったん立ち止まった。

ふむ。

驚きの事実は、まだまだこれからなのかもしれない。





ドアを開けた宗徳の目は、ソファに並んで座っている息子と、初めて見る女性の姿を捉えた。

「いらっしゃい」

声をかけると、女性は慌てたように立ち上がり、頭を下げてきた。

ずいぶん若い。

啓史よりは、二つ三つ年下だろう。

「おじゃましています。榎原沙帆子と申します」

かなり緊張しているらしく、その声はずいぶん固かった。

もちろん印象は悪くなかった。
少々濃い化粧をしているわりに、清楚な印象を受ける。

付き合っている相手の家族にいい印象を持ってもらおうと、ずいぶん気負っているようで、微笑ましくもある。

「啓史の父の宗徳です。どうぞ座って」

相手の緊張を解こうと、宗徳はソフトに話しかけたが、沙帆子という女性は立ったまま、もじもじしている。

「沙帆子、座れば」

啓史に言われ、彼女は慌てて座る。

宗徳は、啓史の様子を観察しながら、ふたりの前に座った。

啓史のほうから話を切り出してくる様子はないし、彼女もひどく緊張しているようだし、宗徳は仕事の話題を啓史に振った。

そうこうしている間に、久美子がコーヒーを運んできた。

「どうぞ」

まず彼女の前に置き、それから啓史、最後に宗徳に手渡してくれる。

カップを受け取りながら、宗徳は妻の様子を窺った。

どうも啓史の彼女以上に、緊張している気がする。

「啓史さん、はい」

久美子は、いつものように小さな灰皿を啓史の前に置く。

「外で吸ってね」

そう言われた啓史が、ひどく居心地悪そうに身体を揺らした。そして、気まずそうに彼女のほうをちらりと見る。

宗徳は、その次男坊の不可解な行動に眉を上げた。

もしかして……啓史……

「やめたんだ」

仏頂面で啓史が言った。

直前に予感していたことだったにも関わらず、宗徳は驚きに打たれ、思わず目を見開いていた。

彼女を連れてきたことより、このほうが驚きだ。

「えっ? ……な、なんて?」

息子の言葉がどうにも信じられないらしく、久美子は言葉をうわずらせながら問い返す。

「だから、やめたんだ」

しつこい母親に、啓史はうざったそうに繰り返した。

「やめた? やめたの? ほんとに?」

「ああ」

母親のしつこさに、いつもならこの辺でキレてもおかしくないところだが……今日はずいぶんと辛抱を見せる。

それにしても、本当に煙草をやめたとはな。

どうしてやめたか、理由はすでにあからさまだろう。

啓史は苛立ちながら、コーヒーカップを手に取った。

「絶対やめないって、あれほど吼えてたのに?」

驚き過ぎたためなのだろうが……さすがにこれは余計なひと言だ。
辛抱していた啓史が、表情を険しくする。

「吼えて?」

「こ、言葉のあやよ、啓史さん、あや」

「やめたらってうるさく言ってたろ。やめたんだから、いいだろ、それで」

「でも、な、なんで? どうしてやめられたの?」

「もういい!」

言葉を挟ませぬ勢いでふたりは言い合いを続けていたが、ブチ切れたらしい啓史が吐き捨てるように怒鳴った。

息子の気持ちはわかるのだが……

「啓史」

忠告するような呼びかけると、、啓史は気まずそうに視線を落とした。

「どうでもいいだろ。……理由なんて」

そのとおりだ。理由なんてわざわざ聞かせてもらわなくてもわかっている。

苦しさや苛立ちを紛らわそう吸っていた煙草。それを、好きな女に思いが届いて、息子は止めることにしたのだ。

「そうだな」

宗徳はそう口にし、沙帆子という女性に視線を当てた。

「煙草は、平気かな?」

「え? わたし? 煙草ですか?」

「父さん!」

彼女に問いかけた瞬間、焦ったように息子が叫び、宗徳は驚きととももに笑いが込み上げた。

感情をあまり見せない息子が、こんなにも焦るとは。

宗徳の問いは、図星だったようだ。だが、沙帆子は、自分のために啓史が煙草をやめてくれたとは思っていなかったらしい。

つまり、さりげなくやめたわけか。

……なんとも、健気だな、啓史。

「啓史さん……も、もしかして、この方のためにやめた……とか?」

わざわざ指摘した妻に、宗徳は思わず顔をしかめた。

確かに真実なのだろうが、啓史にすれば、一番口にして欲しくなかった言葉だろう。

当然というべきか、啓史は喉が詰まったような苦しげな顔になった。

そんな啓史を、沙帆子は戸惑った顔で見つめる。

笑いが込み上げてならなかった。

「そうらしいな」

必死に笑いを堪えながら言う。

「最悪」

顔を歪めている啓史を見つめ、宗徳はなんとも満ち足りた思いを味わっていた。

むっとした表情で顔を赤らめている息子は、これまで彼が見たことがないほど、しあわせそうに見えた。






プチあとがき

ナチュラルキスの宗徳視点。
再掲載ですが、かなり改稿しました。

以前のあとがきにも書いてましたが、啓史は順平のようには、父親に接することはないんですよね。
過去にもなかっただろうし、これからもないんでしょう。ちょっと寂しい気もするけれど、宗徳と啓史には、順平とはまた違った親子の絆がある。

そして長男の徹でも、また違ってくる。

兄弟三人の父親のイメージは、もしかすると、まったく違うのかも知れません。

ともあれ、次男坊の彼女と対面した宗徳さん、順平が想像していた以上に驚いております。見た目じゃわかりませんが……笑

苦しんでいた息子のしあわせそうな様子をみられて、ほんと嬉しかったでしょうね。もちろん、いまは動揺しっぱなしの母親、久美子さんも。ですね。

この続きもお楽しみに♪
以前読んでくださった皆様は、すでにご存知ですが……読んでいない皆様は、次に誰が来るか、楽しみにしててくださいね♪

楽しんでいただけたなら嬉しいです♪
読んでくださってありがとヽ(*’-^*)。

fuu(2013/5/30)





 
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