ナチュラルキス
natural kiss

番外編(再掲載)
徹視点

1 不意打ち



コンコンとリズミカルに耳に響く、玉の音。

腕を組んで観戦していた徹は、卓球の練習試合の終了を見届けて、熱い戦いを繰り広げたといえる生徒たちに近づいていった。

「まだまだ、狙いが甘いな」

負けた方に声をかける。

「はいっ!」

返事をした男子生徒は、真剣な顔で確認するように、二度三度と素振りをする。

「ラバー、そろそろ張り替えたほうがいいかもしれないな」

「そうですね。今度は緑にしようかな……」

赤いラバーを見つめ、口を尖らせていう生徒の言葉に、徹は笑った。

「赤はお前の幸運の印じゃなかったのか?」

わざと真面目な顔を取り繕って指摘してやると、相手は拗ねたような目を向けてきた。

「そうだったけど……練習試合で二度も連続で負けちゃったから……色を変えて気分転換しようと思って……」

ふたりのやりとりを聞いていた、勝った方の生徒が、うんうんと頷きながら口を挟んできた。

「そういうの大事だよな。僕のほうは、いまけっこう調子がいいから、そろそろラバー替え時なんだけど……変えたくなくてさ」

「おー、わかるわかる。そういうのあるよなぁ」

近くにいた生徒も、会話に参加してくる。

「僕、佐原先生には負けないんだけどなぁ〜、次の試合の対戦相手が、先生くらい弱いといいのに」

徹は、相手の侮辱に、両の拳を交互に突き出した。

「うわっ! 先生、危ないよぉ」

相手は危ういところで、徹の拳を避ける。

「拳でなら、お前のその憎たらしい顔を一発KOなんだが」

そう言い返しながら、徹は時間を確認し、全体を見渡す。

「よーし、全員集合!」

大声で叫び、部員を集める。
部活中の全員が、駆け足で集まり、徹の前に並んだ。

「今日の練習はこれで終わる。それじゃ、片付けに入れ」

「はいっ! 佐原先生、ありがとうございました」

勢いのある声を合わせたあと、全員、バラバラと散っていく。

片付けをしている生徒たちを眺めていた徹は、体育館の中に、珍しいお客の姿を見つけて、眉を上げた。

彼の一番下の弟、順平だ。

あいつ、なんだ?

よほどの用が無い限り、こんな場所に、この弟が来るはずがないわけで……

いったい何があったんだ?

徹の視線が自分に向いたのに気づいた順平は、嬉しそうに笑みを浮かべ、大きく手を振ってきた。

徹のいる場所まで来るのはためらわれるのか、その場から動かず、こちらからやってくるのを待っているようだ。

徹はすぐに順平のほうへ歩み寄っていった。

「何かあったのか?」

「あったよ、すっごいことが」

「ふーん」

たわいのないことで感激する感受性の強い順平だ。たぶん今回も、たいしたことではあるまい。

とくに、自分にとっては……

「ふふん、徹兄、たいしたことないと思ってるんだろ?」

「まあな」

「それがそれが。……ねぇ、部活はもうこれで終わりなんだろ?」

「午後は、女子だ」

「えーっ、徹兄、女子の顧問までしてるの?」

「顧問じゃないんだが。女子の顧問の教諭が、この一年、一度も団体戦で勝ててないから、練習見てくれって頼まれたんだ」

「ふーん」

「それで? お前の話はなんだ?」

「ねぇ、でもさ、昼の間なら帰れるんでしょ?」

徹はきゅっと眉を上げた。

順平ときたら、こんなところまできて、さっさと話したいことを話せばいいだろうに……

俺に家に帰ってきて欲しいようだが……?

「この近くにうまいラーメン屋があるんだ。そこでこいつらと食べる約束してる」

徹は、指を後方に向けて言った。

「ちぇっ。面白くないな」

順平は、ずいぶんとつまらなそうに言う。

「何がだ?」

「あのさ、今日、啓史兄さんが友達連れて来るって話だったろ?」

「ああ、そうだったな」

朝飯の時に、啓史が帰ってくると言って、母はずいぶん喜んでいた。
啓史のやつも、もっと帰って来てやればいいのだが……

いったい何があったのか、このところの啓史は、ずいぶん荒んでいる。煙草の量は帰って来るたびに増えていて、徹も心配でならない。

わけを聞いても、「別に……」とそっけない返事をするだけだ。

あの野郎、歯痒いったらならない。

だが、この順平の様子だと、啓史関係で、何やらいいことがあったということなんだよな?

「それで?」

話の先を促がすと、順平は嬉しそうににっと笑う。そして……

「連れて来たのって、女のひとだったんだよ」

女?

徹は無言で順平を見つめた。

「ほお」

順平の口ぶりからして、付き合っている女を連れて来た……ということだろう。

しかし、あいつに彼女?

これは確かに驚きだ。正直、信じられない。

内心かなり動揺しているのだが、順平には平然としているように見えたらしく、面白くなさそうに睨んできた。

「もう、なんで、もっと、こう、どっひゃーっ!! とかって驚かないんだよぉ?」

順平の求める、俺の驚き方などどうでもいい。

こりゃあ、俄然楽しくなってきた。
お袋の奴、不意打ちを食らって、驚いたに違いない。もちろん親父もだ。

くっそぉ! 残念なことをした。
家にいたら、見られただろう見物を逃したとはな。

「それで? どんな女だったんだ? お前、会ったんだろう?」

徹は笑いながら弟に尋ねた。

頭の中で想像してみようとするが、とても無理だ。

「女なんて言い方、失礼だよ」

順平はずいぶんと機嫌を損ねたようで、クレームをつけてきた。

「そうか? すまん」

なんだ? 順平、啓史の彼女にずいぶんと肩入れしてるんだな。

ますます楽しくなってきた。
順平が気に入ったということは、性格もいいんだろう。まあ、啓史が好きになるくらいの女なんだからな、それも当然か。

啓史は、おかしな女につけ入れられるような男ではない。

「凄い綺麗な人だよ。啓史兄さんとお似合いな感じ」

「それはめでたい」

そう口にしたものの、少々違和感が湧く。

「しかし、あいつ、女と付き合ってるようなそぶりなんか……」

「そうなんだよね。まったく秘密主義なんだもんな。もっと早く連れて来て紹介してくれればいいのにさ」

秘密主義か……それは啓史らしいんだが……

順平は、啓史と彼女との付き合いは、すでに長いものと思い込んでいるようだ。

だが、果たしてそうだろうか?

荒れて、あんなにも煙草を吸い続けていたのに……?

なんだか、嫌な予感がしてきたな。

まさか、間違いを起こして、にっちもさっちもいかなくなったなんてことじゃないだろうな?

相手を妊娠させてしまい、逃げられなくなった……とか。

だが、あの啓史だぞ。そんな愚かな羽目に陥るだろうか?

もんもんと考えるが、勝手に想像していても、埒は開かない。

「順平、啓史はどんなふうだった?」

「はい? 啓史兄さん? どんなふうって……いつもと同じだったけど」

「どんな風に同じだった? 暗い顔してたんじゃないか?」

「はあっ? なんで?」

怪訝そうに聞き返される。

「いや……なら、イライラしてたとかいうことはなかったか? 不幸そうだったとか?」

順平は、むっとして頬を膨らませた。

「もうっ、徹兄、何を言ってんのさ。不幸なわけないよ。彼女を連れてきたってのに。徹兄の発言、沙帆子さんにたいして失礼すぎだよ」

うん? 沙帆子さん?

「啓史が連れてきた女の名前、沙帆子っていうのか?」

「ちょ……もおっ、女とか失礼だって。でも、そうだよ。名前は沙帆子さん。素敵な名前だよね」

素敵というか……

しかし、偶然だな。

徹には、榎原沙帆子という教え子がいるのだが……彼女はいま、啓史が教諭をしている高校に通っていて……

どきりとした。

ま、まさかな?

「徹兄、どうしたのさ?」

順平がきょとんとして言う。

「な、なあ、順平」

「なあに?」

「苗字はなんていうんだ?」

順平は、「えーっと」と考え込んだ。

「ちゃんと聞いたんだけど……原が、ついてたけど……」

「原? 原田とかか?」

「ううん、違う。原は後につくんだよ」

は、原が後ろだって?

まさか……

「榎原……?」

試しに口にした徹は、弟が「すごい、それだよ!」と叫び、息が止まった。

「けど、なんで徹兄、わかったの? 榎原って、そんなポピュラーじゃないのに……すっごいな」

これは、すごいとかの話ではない。

「ほんとに、榎原沙帆子って名乗ったのか?」

突然険しくなった兄の顔を見て、順平がぎょっとする。

「な、なに? 徹兄、急に、ど、どうしたのさ?」

徹は息を整え、表情を改めた。

「いや。なんでもない」

「あのさ、徹兄」

「なんだ?」

徹は上の空で答えた。

もうこんなところでじっとしていられない。こうなったら、すぐさま家に帰らねばならぬ。

「僕がここに来たこと、啓史兄さんには黙っててほしいんだ。もう、小遣いがピンチでさ、啓史兄さんにカンパ頼もうと思ってるの。あんまし機嫌を損ねたくないんだ」

長々と話し続ける順平に苛立ちを感じつつも、辛抱強く「わかった」と答える。

家に飛んで帰りたいが、それを順平に知られたくない。

兄が血相を変えて家に帰るのを見たら、順平は驚いて、両親か啓史に電話するかもしれない。

できれば、誰にも知られずに帰りたい。そして、啓史と会い、榎原沙帆子という女性が、間違いなく元教え子であるかを確認したい。

「それでさあ、ものは相談だけど……」

順平の相談が何かはすでに明白だ。

「お前、今月の小遣い全部使い切ったのか?」

「もうちょっぴりだけあるけどさ、ほんの数枚カンパしてくれるとありがたいなって」

「考えておこう」

一応そう答えたが、本音は、よくぞ俺のところに報告にきてくれたという気持ちだ。その意味を込め、今回は小遣いをやってもいいかと思う。

「期待してるよ。それじゃね」

あまり期待を込めずにいい、順平は体育館から姿を消した。

徹はすぐに踵を返し、今日の昼食の約束をキャンセルすると、駐車場へと急いだ。





「信じられないな」

家に向かいながら、徹はその言葉を何度も繰り返した。

なんで啓史がエノチビを彼女として連れて来る?

どうしても、馬鹿馬鹿しい冗談としか思えない。

けれど順平がこんな嘘で自分を騙すはずがない。
順平は、エノチビの存在自体を知らないのだ。

だが……啓史は、ずいぶん前からエノチビを知っている。

「あいつら、同じ学校の教師と生徒だってのに」

思わず口にした徹は、自分が頭が固く古い考えに固執している連中の仲間入りをしたようで気が腐った。

それでも……徹の中のエノチビは、子どもっぽい少女でしかないのだ。

会わない二年の間に、エノチビだってそれなりに成長したんだろうが……

順平は、啓史に似合いの綺麗な人だと言っていた。

確かにエノチビは綺麗な顔をしているが……どう考えても啓史とは釣り合わない。

そんなふたりが付き合ってるだって?

割り切れないもんもんとした思いが、憤りに変わる。

啓史の野郎、こんな不意打ち食らわしやがって!

徹は車のスピードを上げた。

とにかく直接会って確かめるしかない。

すべてはそれからだ。






プチあとがき

ナチュラルキスの徹視点でした。こちらもかなり改稿しました。

徹、不意打ちを食らって、そうとう怒っています。笑

いつもと同じ日常……
楽しく過ごしていたというのに、まさかの事態。

弟の啓史が、自分の元教え子を彼女として連れてくる日がこようとは……
信じられなくて当然ですね。

このあとも、まだまだ大騒動が続く佐原家。
お話はまだ続きます。

読んでくださってありがと(*^_^*)

fuu(2013/6/3)





  
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