ナチュラルキス
natural kiss

番外編(再掲載)
徹視点

3 ぶっ飛んだ話



知ない間に、膝を揺らしている自分に気づき、徹は顔をしかめた。

待っている時間が、どうにも落ち着かない。苛立ちも膨らんでくる。

いよいよ、啓史の彼女になったらしいエノチビとご対面かと思うと、どうにも……

エノチビが、中学を卒業して二年の歳月が経つ。

たった二年だ。
その間に、あのエノチビが、どれほど成長したというのか?

だが、あの一筋縄でいかない自分の弟に、恋をさせたのだ。

徹は、その考えに吹き出しそうになった。

あの啓史が恋? しかもエノチビに?

どう考えても、ありえないな。

事実として受け入れられず顔をしかめていると、階段の上に人の気配がした。

徹は座ったまま、さっと階段の上に視線を飛ばした。

「向こうで待っててくれって、言ったはずだけど」

つっけんどんな声が飛んできた。

徹はゆっくりと立ち上がり、階段の上にいるふたりを見上げた。

「お前の言うままに、俺がするわけないこと、わかってたろ?」

弟に向けて冗談めかした言葉を返した徹は、弟の隣にいるエノチビを見つめた。

目が合い、彼女は徹に向けて恥ずかしそうな笑みを向けてきた。だが……

思わず眉をひそめてしまう。

啓史の隣に立ち、徹を見つめているのは、彼が想像していたエノチビではなかった。

エノチビは十七歳だ。

だが、この女性は……どう見ても、ハタチを過ぎているようにしか見えない。

これが……エノチビだってのか?

ひどく訝しげな目を向けてしまい、相手がまごついたような表情を見せる。

似ていなくもない……けれど……とても本人とは思えなかった。

啓史が階段を下りてきた。
エノチビらしからぬ女性も下りてくる。

二人が目の前までやってきて、相手をまじまじと見つめてしまう。

一瞬、貴女は……と呼びかけそうになり、「お前……」と言い替える。

「榎原……なのか?」

問い掛けに、相手は「は、はい」と緊張した様子で答えた。

その声は、確かに、徹の記憶にあるエノチビのものだった。

だが、エノチビの個性ともいえた、子どもっぽい部分が微塵も残っていない。こうして啓史と並んでいても、まったく違和感がない、似合いの男女だ。

こいつはまだ、化粧なんてする年じゃないだろう!

急激に怒りが膨れ上がった。

「お前が、そんな化粧してるなんて……思わなかったぞ」

怒りのぶん、思わず咎めるように言ってしまう。

エノチビは怯えたように震えた。

すると、啓史が目の前に立ちはだかった。庇うようにエノチビを自分の後ろに隠し、さらに威嚇するように徹を見る。

「責めるような言い方はやめてくれ」

怒りのこもった声で言い放つ弟を、徹は睨み返した。

「こいつをこんな風に変えたのはお前か? お前、最低だぞ。こいつはまだ高校二年なんだぞ」

「わざわざ指摘されなくてもわかってる」

噛みつくように言うと、啓史はむっとして言い返してきた。

憤りが収まらない徹は、啓史の後ろにいるエノチビを覗き込んだ。

「エノチビ」

「は、はいっ」

徹の呼びかけに返事をしたエノチビの態度は、担任に不味いところを見つかった生徒とまるきり同じだった。

これは確かにエノチビだと確信を持てたが、そのぶん憤りが膨らんだ。
また、元担任の立場としては、情ない気分にもなる。

「お前、こいつと釣り合い取ろうとして、そんな化粧までして、無理して背伸びなんかするな」

言い聞かせるように言うと、エノチビは困ったように顔を伏せ、何やらもごもごと言う。

「兄貴、勝手に独り決めしないでくれよ」

啓史が声を荒らげた。

徹は啓史に、鋭い目で向き直った。

「独り決め? 事実、歳に合わない化粧をしてるじゃないか。お前もお前だ」

「だからっ!」

苛立った叫びを上げた啓史は、突き上げた憤りを壁にぶつけた。

大きな音に驚き、エノチビがびくりとする。

やれやれ、この弟ときたら……まったく短気だな。

呆れていると、啓史は気を落ち着かせるかのように肩で大きく息をついた。

それで落ち着いたのか、続く言葉に、憤りは含まれていなかった。

「わけがあるんだ。話聞けよ」

「よし、なら立ち話もなんだ。居間に行こうじゃないか」

徹はふたりを促し、居間に向かった。


いつもの場所に徹が座ると、啓史とエノチビは彼の前に並んで座った。

気が落ち着かず、そわそわしてしまう。この部屋に、教え子のエノチビがいることにも、ひどく違和感を覚える。

啓史の彼女として、こいつがここに座っているなんてな。

数年前、エノチビの写真をこのテーブルに並べて、啓史と話をしたときのことが蘇る。

あのとき、この弟は、俺の無理やりともいえる頼みを、渋々引き受けた。

なのに、なんでいま……こんなことになってんだ?

「驚かされたぞ」

正直な気持ちが口をついて出た。

だが、驚いたなんて生易しいものじゃない。

こうしてふたりを目の前にしていても、まだ信じられない。

「順平の襟首を掴んどくべきだったよ」

冷笑を浮かべて啓史が言った。

徹は眉を上げた。

そうだ。こいつは俺を避けようとしたんだ。

順平が知らせに来なければ、この驚愕の事実を知らないまま……

だが、啓史が彼女を連れてきたことは家族から聞かされただろうし、榎原沙帆子の名を聞けば、相手がエノチビなのにも気づく。

そこまで考えて、ああ、そういうことかと思い至った。

啓史は、一番やっかいな相手だと考え、俺との対決を後回しにしたかったんだな。

「俺には、会せないつもりだったわけだ」

つまり、直接対決を避けたんだろう。

「もちろん」

「どうして?」

「色々あってね」

予想と違う答えが返ってきて、徹は眉を寄せた。

どんな色々かなど、こちらは知らないが……

エノチビが化粧をしていることが、なにより一番気に食わない。

徹はエノチビに目を向け、「エノチビ」と呼びかけた。

「はっ、はいっ」

エノチビは緊張した様子で、ひどく固くなって返事をする。

「こいつと会うときは、いつもそんな化粧してるのか?」

徹の問いに、エノチビは目を見開き、激しく首を横に振る。そんなエノチビを庇うように、啓史が横から口を出してきた。

「今日が初めてだ。化粧したのもこいつじゃなくて、こいつの母親だし」

「母親?」

徹の脳裏に、エノチビの母親である芙美子の顔が浮かぶ。
あの当時、芙美子はPTA役員をやっていたから、徹も良く知っている。

「エノチビの両親、お前たちの付き合いを知ってるのか?」

「もちろん」

啓史は即座に答えた。

その確固たる返答に、徹は眉を寄せた。

「お前がこいつの先生だってこともか?」

「ああ」

肯定され、思わず「ほぉ」と口をついて出る。

言葉がない。

驚いた。

両親公認の仲にまでなっているとは……

なんだか事態に思考がついてゆけず、眩暈のようなものを感じる。

この啓史が恋愛をしているということだけでも、手一杯なのに……

なおかつ、相手は高校生……

しかも俺の元教え子で、さらにいま現在こいつの教え子で……

すでに両親公認の仲だって?

気の張りがふいに消え、徹はソファにもたれた。

あのエノチビの母親が、ふたりの仲を認めて交際を許可したというのなら、問題はほぼないと言っていいだろう。

もろちん、エノチビは啓史の教え子なわけで、まったく問題がないわけではないが。

啓史は、遊びで女と付き合うような男じゃない。それに相手はエノチビだ。

だいたい、エノチビの両親に付き合いを認めてもらっているうえに、こうして自分の家族にも会わせるために連れてきたのだ。

すでに結婚する意志すら固めているに違いない。

考えを進め、思わずぶっ飛びそうになる。

マジかよ!





   
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