ナチュラルキス
natural kiss

番外編(再掲載)
徹視点

4 笑うしかないあり得ない事態



「まだ何か質問があるわけ?」

啓史の言葉に、徹は眉を上げた。

こちらの態度が軟化したのを感じたからだろう、啓史の肩から力が抜けている。

確かに、エノチビの両親がふたりの付き合いを認めているのなら……

しかし、質問だって?

「質問以前の話だな。この事態をそう簡単に受け入れられるもんじゃないぞ。時間がかかる」

正直、ぶっ飛びそうに……いや、すでにぶっ飛んだな。

なのに、啓史ときたら、そんなことどうでもいいとばかりに、「そう」と素っ気なく言い捨て、肩を竦める。

この野郎……

「そろそろ、向こうに行こう。お袋と親父にも話をしなけりゃならない」

話だ? お袋と親父に?

……いまさら、なんの話があるというのだ?

「何を?」

そう問うと、啓史は何を考えているのか、徹の目をじっと見つめ返す。

なんだ?

「結婚することになってる」

そっけなく落とされた爆弾は、受け取ったものの爆発するに至らなかった。

「は」

結婚? することになってる?

意味が汲めず、徹は眉を寄せた。

「することになってる? 言葉の意味が、理解しがたいんだが」

戸惑って言うと、啓史は「することになったんだ。二週間後」と、さらりと言った。

聞いた言葉をどうにも受け入れられず当惑していると、啓史は沙帆子の手を掴み、少し持ち上げる。

自然と視線がそちらに向き、徹は目を見張った。

薬指に、指輪?

二週間後に、何をするって?

結婚? 婚約じゃなくて?

「……いったい?」

唖然としてしまい、思うように言葉が出ない。

「結婚式、来てくれるだろ?」

啓史があまりに淡々としているせいで、現実として捉えられない。

結婚する? 二週間後?

混乱した徹は、飛ぶように立ち上がっていた。

「これは……俺を仰天させて、面白がるための冗談か?」

そうだ。そうに決まっている。

エノチビは高校生で、啓史は教師。指輪まで用意して俺を騙して楽しんでいるに決まってる。

だが……相手は、この啓史……

こいつはこんな冗談など口にしない。

つまり、これは冗談なんぞではない。ということに……

「冗談じゃないってわかるから、動転してんだろ?」

ムカつくが、その通りだ。

これまで、こんなにも動転したことなどない。

そんな徹を見て、啓史は口元に笑いを滲ませている。

むかっ腹が立った。

「啓史!」

「何?」

「一から話してもらおうか!」

「そんな時間ないよ。親父とお袋が待ってる」

「いいから、話せ!」

「兄貴にばれたし……」

なんとしても聞き出そうと思ったのに、啓史は余裕のある笑みを口元に浮かべる。

こいつ……

徹を苛立たせようとしての笑みでないことがわかるせいで、かえってむかつく。

「どうせ親父とお袋にもすべて話さなきゃならないんだ。同じ説明、何度もしたくない」

そう言うと、啓史はさっさと立ち上がった。そして、自分の隣に座っている沙帆子も、立ち上がらせる。

思うようにならない弟に、苛立ちが治まらない。

徹は沙帆子に「エノチビ」と呼びかけた。

沙帆子は、ひどく緊張して「はいっ」と答える。

「お前、いいのか?」

そう問いかけると、沙帆子の瞳が動揺を見せて揺らいだ。すると啓史が「いいに決まってるだろ」と怒鳴りつけてきた。

ようやく目にした弟の余裕のなさに、徹は気を良くした。

「お前には聞いてない」

啓史が睨みつけてきて、予想した反応に、さらに気を良くする。

「いまさら担任面するなよ」

徹は苛立ちを見せている弟と、視線を絡み合わせた。

「いいか啓史。エノチビはまだ十七だぞ。二週間後に結婚? 高二で? 心配して当然だろ。相手は、こともあろうに、一筋縄じゃいかない俺の弟ときたもんだ」

そう口するものの、語っている内容にどうしても現実味を感じられず、なんとも落ち着かない気分に捉われる。

啓史は鋭い目で徹を睨みつけている。

「まだ言いたいことがあるなら、心ゆくまで言えよ」

そのとき、ドアのところに人の気配を感じ取り、徹はハッとして振り返った。

順平か……こいつ、ずっと盗み聞きしていたのか?

気配を察したのは、いまだが……どこまで聞いてたんだ?

「順平、何やってる」

「あ」

見つかった順平は、動揺と興奮を混ぜたような顔をしている。

「けっ、結婚とかって……ほ、ほんと?」

「順平」

怒りのこもった啓史の声に怯えた順平は、驚く速さでドアを閉めた。

バタンという音のあとに、両親の家の方へ向かっていくバタバタという足音が聞こえる。

「あんの野郎」

啓史が苛立ちの声を上げる。

なんともベタな成り行きだ。

瞬間的に笑いが込み上げ、徹は声を上げて笑った。

順平の登場で、シリアスな雰囲気が吹っ飛んでしまった。

信じられない、現実味がないなんてまともに取り合っているのが馬鹿らしくなってきた。

カッカしていても仕方がない。

現実味があろうがなかろうが、目の前に徹の元教え子の沙帆子はいて、啓史と並んで座っているのだ。そして、ふたりは結婚すると言う。

その沙帆子の薬指には、啓史が贈ったに違いない指輪まで嵌っているのだ。

啓史は恐ろしく真剣だ。

本気で沙帆子と結婚する気でいる。

しかも二週間後……

「とんでもない休日になったもんだな」

「まあいいさ。どっちみち、話すつもりだったんだ。手間が省けていい」

その言葉通りなのだろう。啓史も、気の張りが抜けたようだ。

「せ、先生」

心細そうな沙帆子の声を聞き、徹は振り返った。

「心配するな。俺がついてる」

啓史は心細そうな沙帆子の肩に手を置き、安心させようとやさしく言葉をかけている。

徹は思わず目を見張った。

啓史の奴が、こんなふうにやさしい気遣いを見せるとは……

驚いたな。

それに、ふたりの絆を見せつけられた気がする。

「エノチビと、啓史か」

苦笑混じりに徹は言った。

なんだかもう、笑うしかない。

順平が両親のところに飛んで行ったのだ。情報はすでに両親の知るところとなっているだろう。
そして、すぐにもここに駆けつけて来るに違いない。

こちらから出向くより、待っていた方がいいだろう。

徹はソファに座り込んだ。

「それにしても、高二の娘を結婚させるなんて……」

こんなに突然結婚だなんて、まるで理解できない。

「エノチビの両親、それでいいのか?」

まだもう一年、高校生としてやっていかねばならないというのに……なんで、焦るかのように結婚なんてことになったんだ?

「お前のあの母親なら、頭から湯気出して怒鳴るように思えるんだが……わからないな。こんなにも突然に、結婚するってのは……」

どうしても結婚しなければならない、なんらかの理由があるとしか……

ふいに納得のいく答えが見つかり、徹は息が止まった。

無意識に目の前のふたりを交互に見つめ、、最後に沙帆子の腹部を見据える。すると、沙帆子は守るように自分の腹に手を当てた。

それを見た途端、予想が事実になったと思い、徹は驚愕した。

「エノチビ……お前……」

あまりのことに、徹は喘ぐように口にした。

まさか……まさか……いくらなんでも、まさかだろ……?

だが……答えはそれしかない。

「徹兄?」

「そうか。それでか!」

徹は大声で叫んだ。

「子どもができたんだな。それで二週間後に結婚ってわけか」

ドアが開く音が聞こえ、徹は無意識に首を回した。

思った通り、両親と順平がやってきていた。

とんでもない事実を聞いたせいで、母は卒倒しそうになったのだろう、父に抱きかかえられている。

「久美子、大丈夫か?」

「だ、だ、だ」

「ほら、少し落ち着け」

「だ、だ、だって……」

落ち着き払った父は、動転している母をなんとか落ち着かせようとしている。そんなふたりの後ろには順平がいて、ひどく興奮した顔をしていた。

「お前、早く孫が欲しいといつも言ってたじゃないか」

さすが親父だと感心するも、笑いが込み上げてくる。

父はまだ、息子が連れて来た彼女が、高二だとは聞かされていないのだ。

さすがの親父も、その事実を知ったら仰天するに違いない。

徹は込み上げる笑いを必死に堪えた。

ありえない事態に、もう笑うしかない。





  
inserted by FC2 system