ナチュラルキス
natural kiss

番外編
順平視点(再掲載話)

とんでもない日は突然に



出掛ける支度を終えた順平は、財布の入ったバッグを手に自分の部屋を出た。

階段をテンポよく駆け下りた彼は、玄関に向かわず、まず両親の家へと向かう。

母屋は、両親の真新しい家に繋がっている。

ダイニングに顔を出すと、いつもと同じに母がいて、壁際の棚の上を掃除している最中だった。

「母さん」

「あら、順ちゃん。なあに?」

「ちょっと出掛けてくるからね」

振り返った母に報告すると、彼はすぐに部屋から出ようとした。

「どこに行くの? お昼は?」

「もちろん食べるよ。今日はなあに?」

「イタリアン」

「ふーん。それじゃ行って来る」

「行ってらっしゃい」

見送りの言葉を口にした母は、もう順平を意識から消したようだった。

今日は、二番目の兄が友達を連れて来るらしい。

兄貴の友だちといえば、飯沢さんか時田さんか深野さん。

この家に連れてきて、昼をご馳走するというのなら、飯沢さん……もしかすると深野さんかな?

啓史兄の友達は、みんなとても個性的な人物だ。

特に飯沢さんは、頭が良くて豪快な人で、次は何をやらかすのかとわくわくする。


順平は借りていたDVDを返却し、また新たに二作借りた。
それから行きつけの本屋にゆき、今日発売の漫画の単行本をゲットした。

ゲーム雑誌も一冊買い込んだ彼は、出掛ける前より軽くなった財布の中身を気にしつつ、店を後にした。

啓史兄さん、小遣いくれないかな?

ちょっとしたことで不機嫌になったりむっとしたり……
そいで、すぐにいたぶってくるし、愛想もよくないし、言葉もそっけない。

それでも、啓史兄は意外とやさしい。

小遣いがピンチだからって頼み込むと、たいがいいくらかカンパしてくれる。

順平は、唇を突き出して前方の赤信号を睨みつつ、ブレーキを踏み込んだ。

タイミングなんだよなぁ〜。

友達が一緒の時じゃ、まず間違いなくくれない。

啓史兄ひとりのところを見計らって……

家への帰り道、小遣いゲットの作戦を大真面目に練っていた順平は、前方からよく知っている車がやってくるのを見て眉を上げた。

あっ、あれって、啓史兄の車だよね。

早いな、もう来たのか?

こちらに顔を向けてきた兄に手を振ろうとした順平は、兄の隣の助手席に座っている人物を視界に入れ、時を止めた。

へっ?

け、啓史兄の車に……お、女のひとが……乗ってる?

あ、あれ……だ、誰だ。誰なんだ?

知らない間に踏み込んだらしいブレーキのせいで、車がガクンガクンと前後にバウンドして止まったが、順平はまったく気づかなかった。

茫然自失状態で、順平は兄を見つめた。

ほぼ目の前に兄の車が停車し、運転席の窓がスーッと開く。

「お前、ここに停めるんだろ?」

「あ……」

お前……ここに停めるんだろ? お前……ここに停めるんだろ?

頭の中で無意識に兄の言葉を繰り返し、ようやく意味を理解する。

「ああ……の、つもりだけど……」

驚きが過ぎて、喉から声を押し出すのにひどく苦労した。

「それじゃ、俺、向こうに停めるから」

いつもと同じに愛想のない兄は、そっけなく口にする。

「あ、ああ」

返事をしたものの、そういうことじゃないだろ? と、順平は心の中で突っ込みを入れた。

兄の車は、未確認人物を乗せたまま、順平の横を通り過ぎてゆく。

ち、違うだろ?

何を平然としているのだ。

どうして平然としていられるのだ。

その助手席に乗せてるひとは、いったい? いったい? いったい?

後ろを向いて兄の車の行方を見つめていた順平は、車が父の工場の中に入り込んだのを見て、ようやく我に返った。

な、なんだよ? なんなんだよ?

飯沢さんか、深野さんを連れてくるんじゃなかったのかよ?

い、いったい、あの女の人は、いったい、いったい……?

ありえない! 啓史兄に……彼女?

順平は頭を抱えた。

やっぱ、ありえなーい。

なんだか知らないが、無性に腹が立ってきた。

内緒で彼女作ってて、突然連れて来たってことなのか?

啓史兄ってば、ひとを驚かせてぇ〜。

順平は車を駐車所に停めると、転がるように車を降りた。

母屋の玄関に入ろうとしてやめ、そのまま家の前を全力で走り、両親の家の門に飛び込んでいった。

呼び鈴を押すと、すぐに母親の返事が聞こえた。

待つほどもなく玄関が開く。

「母さん!」

「なんだ。順ちゃんなの。今日に限って、どうしてこっちから来るのよ。もおぅ、紛らわしいわねぇ」

頬を膨らませて母が言ったが、順平は母の言葉など耳に入れていなかった。

「か、母さん、そんなどころじゃないよ。もう大変なんだからさ」

「大変? まさか、順ちゃん、あなた、また車ぶつけちゃったの?」

「ち、違うよ。そんなんじゃなくて。け、啓史兄さんが、女の人を連れてきたんだって」

母は腕を組むと、目を細めて順平を見つめてきた。

まるきり信じていない目だ。

まあ、その反応もわかるけど……

「お母さん忙しいのよ。馬鹿な冗談に構ってる暇なんてないのよ」

「だから、ほんとだって。もうきっと来るよ。ぼ、僕、見たんだからさ」

「順ちゃん、前にもそれと同じようなネタでわたしをからかって、大笑いしてたわよねぇ」

過去の話を持ち出され、順平は顔を引きつらせた。

確かに、そんな罪のない嘘で母をからかったこともあった。

けど……

「だからさぁ、これは騙しじゃないって、もうわっかんないなぁ。あれだって、もう二年以上も前の話だし……」

「ふん。啓史さんはね、飯沢君を連れてくるって言ったのよ」

母の自信満々な言葉に、一瞬順平の自信はぐらついた。が、彼はすぐに気持ちを立て直した。

あれは夢や幻なんかじゃない。

「兄貴、ほんっとに、飯沢さん連れてくるって言ったの?」

「言ったわよ」

順平が母に対してさらに言い返そうとしたとき、背中に当たっていた半開きのドアが突然後ろへと動き、支えを失った彼は驚きの叫びを上げながら外へと転がり出た。

目の前に、兄と女性がいて、ぎょっとした順平は、みっともなく転がりかけた体勢を、なんとか取り繕うとした。

だがふたりはすでに、地面に転がりかけた無様な彼の一部始終を見ていたに違いなかった。

兄の連れの女性と目を合わせた順平は、顔を真っ赤に染めた。

「飯沢を連れてくるなんて、俺、言った覚えないけど」

転がり出てきた順平になど、まったく頓着せず、啓史は玄関先から家の中にいる母に言う。

「あ、あら、啓史さん。お帰りなさい。ふふ、順ちゃんがわたしのこと騙すから、ついね」

順平は、緊張を感じさせられる兄の連れの目を気にしながらも、まだ彼の言葉を信じていない母にむっとした。

どうやら兄の連れは、いまだ母の視界には入っていないらしい。。

「だから、騙してなんかいないって」

母に向けてそう怒鳴った順平は、兄の連れてきた女性と視線を合わせてしまい、気まずくなった。

「それで、啓史さん、どなたをお連れしたの? お昼はお任せでいいってことだったけど、イタリアンでいいのかしら?」

「昼飯はなんでもいい」

いつものようにそっけなく言った兄は、後ろに首を回し、連れの女性に手を伸ばした。そして母の前に押し出す。

「紹介するよ。榎原沙帆子。俺の彼女」

兄の爆弾発言に、母が固まる。

驚きが過ぎたに違いない。

こうなると思ったんだ。だから教えてあげようとしたのに……

「ほ、ほら、ほらぁ〜」

母さんったら、僕の言葉を頭っから信じようとしないんだもんなぁ。

「か、かの……彼女って、彼女?」

母は啓史兄の連れの女性に向かって言う。

その問いは、失礼じゃないかと思うのだが……

「あの、はじめまして」

「あ……ええっと」

相手の女性が礼儀正しく頭を下げたというのに、母のほうはいまだ茫然自失のようだ。

母さん、だ、大丈夫なのかな?

なんとか母の加勢をしてやりたかったが、場の雰囲気に呑まれて、でしゃばることもできず、順平はこの場を見守った。

「上がっていいかな?」

母を動揺させていることに気づいているに違いない啓史兄は、母の様子を窺うようにそう声をかけた。

「あい。はい。あがる? 彼女? 彼女? 啓史さんの?」

「母さん、落ち着けよ。沙帆子が困るだろ」

「さ、沙帆子? ……さん」

啓史兄は腹立ちを込めて母に言ったが、母の反応は、いまいちおかしい。

だがその反応は、当然だと思う。

「まあ。まあ、まあ」

「母さん」

動転している母を正気に戻そうとしてか、啓史兄が鋭く母に呼びかける。
すると、母は疲れたように息を吐き出した。

「ごめんなさい。でも……驚くでしょう? 突然すぎるわよ、啓史さん」

順平はまともになったらしい母を見て、少しほっとした。

初めに食らった衝撃を、それなりに処理できたみたいだ。

「とにかく、上がらせてもらうよ」

啓史兄は、スリッパを彼女の分まで並べてやりながら言う。

そのなんでもなさそうな行為に、順平は彼女の登場と同じくらい度肝を抜かれた。

女のひとために、スリッパを用意してやるなんて……

これって……ほんとに啓史兄さんなの?

「ありがとうございます……啓史さん」

沙帆子という名前らしい啓史兄の彼女さんは、兄を見つめてお礼を言う。

これまで順平が見たことがないほど、奥ゆかしくてむちゃくちゃ可憐なひとのようだ。

可憐な沙帆子さんは啓史兄を見上げ、その顔にきらめくような微笑を浮かべる。

魅力的な笑みだった。

順平は危うく腰が抜ける所だった。なのに……

「ああ」

啓史兄の適当な返事に、歯痒さが湧く。

この兄らしい反応といえば、確かにそうなんだけど……いくらなんでもそっけなさすぎるよ。

「親父は?」

「書斎で本を読んでると思うけど……」

啓史兄が、母に「そう」と答えたと同時に、母は順平に視線を向けてきた。その顔はずいぶん迫力があった。

な、なんだ?

「パパ、呼んできて、順ちゃん」

順平は思わず手を打ちそうになった。

そ、そうだ、そうだ、そうだった!

どんな事態であっても、びくともしない頼りになる父が、我が家にはいたじゃないか。

動揺はあっさり収まり、そのぶん気分がハイになる。

「おー」

大声で叫んだ順平は、父の元へと駆け出した。

なんでもない普通の日が、いまや、とんでもない日になった。

さすがの親父も、この事態には度肝を抜かれるに違いない。

顔をこれ以上ないほどほころばせた順平は、意気揚々とドアを二度ノックし、返事も待たずに父がいる部屋のドアを開けたのだった。





プチあとがき

順平視点、以前掲載していたものを改稿して、お届けさせていただきました。

シャイな次兄が、突然彼女を連れてきて、仰天した順平君。
楽しんでいただけたら嬉しいです♪

fuu(2013/5/28)




 
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