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ナチュラルキス+7
natural kiss plus7 刊行記念番外編
芙美子視点
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2 ポケットの中のデジカメ
披露宴が始まり、新郎新婦が入場してきた。
参加者は少ないが、寂しい感じはまるでなかった。
参加者たちはもとより、仕事でこの場にいるはずのスタッフたちの対応がとても温かいのだ。
結婚するふたりを、心から祝福してくれているのが伝わってくる。
スペシャルコースの内容は、打ち合わせで聞いていて、宴の中でスタッフたちが生演奏することも知っていたが……こんなにまで腕がいいとは。
さほど期待していなかったこともあって、芙美子はとても感激してしまった。
披露宴の開始一番に盛り込んだのは、牧師の弟の提案で婚姻届の署名捺印だった。
役所への提出は、披露宴の後になるが、婚姻届の署名捺印を参加者の前で行うことは、とても意義があると言われて、確かにそうかもしれないと思った。
佐原のほうの両親も納得し、それではそうしようということになったのだ。
そしていま、佐原のスーツのポケットに、婚姻届と同意書は収まっている。
向けるまいと思うのだが、ついつい彼の胸に、目が吸い寄せられてしまう。
あれを役所に届け出てしまったら、その瞬間、わたしの娘は榎原姓ではなくなってしまうのだ。
わかっていたはずなのに……
なんか、現実を突きつけられた感じだわ。
娘の指に嵌っている指輪を見て、とんでもなく動揺させられたけど……
佐原の友人である飯沢が、乾杯の音頭を取ることになり立ち上がった。
彼はあらかじめ聞かされていなかったようで、佐原に向けて当て擦りを口にし、芙美子も思わず苦笑してしまった。
けれど、飯沢はすぐに面を改めた。
そして、この場にいることが信じられない、これはたちの悪い冗談かと、彼は真顔で佐原に問いかける。
そう言いたい気持ちはよくわかる。
新婦の母親である芙美子自身、この場にいることが信じられないし、たちの悪い冗談ですんでくれたらいいのにと、本気で思ってしまうくらいだ。
「いったいこいつの人生のどこで、彼女……沙帆子さんが現れたのか……皆目、見当がつかないんですよね」
飯沢が首を捻って口にすると、参加者の多くも同意して頷いている。
沙帆子の親友の千里と詩織も、何も知らなかったらしい。
それは芙美子にすれば意外だった。
千里ちゃんはかなり勘が良さそうだし、沙帆子が啓史君を好きなこと、彼女に隠し通すことなんて、できないだろうと思っていたのに……
意外や意外、沙帆子ってあんがい隠し事がうまかったのねぇ。
このわたしですら、沙帆子が啓史君と付き合っていることにまるで気づけなかった。
もちろん、沙帆子が、ずーっと啓史君に叶わぬ恋をしていたのは知っているけど……
どうやってふたりが付き合うことになったのか、なにがなんでも知りたい。
沙帆子に聞いても、もじもじしてばかりで、はっきり教えてくれないし……
佐原に対する腹立ちやらを口にしつつも、飯沢は最後には綺麗に話をまとめて、乾杯の音頭を取った。
彼が最後に口にした、『肩の荷が下りたような気もする』という台詞には、思わず笑ってしまった。
その言葉から、彼と飯沢の関係がなんとなくわかる気がした。
スタッフたちが、乾杯の次の演出の準備に入っているのを見て、芙美子はそわそわしてきた。
次はウエディングケーキ入刀なのだ。
主役のケーキを作ったのは、この自分なわけで、緊張してならない。
ウエディングケーキが慎重に運ばれてきて、セッティングされる。
芙美子はごくりと唾を呑み込んだ。
「では、ウエディングケーキの入刀を行います」
牧師の弟が高らかに宣言し、みんなの注意がウエディングケーキに向く。
うわーっ、なんかもう、さらに緊張してきたわ。
手に汗握るって、言葉通り……
牧師の弟は、新郎新婦のふたりを促がし、さらに皆にもケーキの周りに集まるように声をかける。
みんなの反応が気になる。
一世一代って感じで、創り上げたときは、最高の出来だと思ったんだけど……
久美子さんの作ったリングピローは、ほんと素敵で……久美子さんに、あんな特技があるなんてねぇ。
こういうの、勝ち負けじゃないんだけど……せめて久美子さんと同じくらいには、それなりの評価を得られると嬉しいわけよ。
ケーキのほうばかりに気を取られていた芙美子は、幸弘が娘に呼びかける声に、ハッとして振り返った。
「ほら、立たないと」
えっ?
見ると、沙帆子は椅子に座ったままだったようだ。
ど、どうしたのかしら?
ケーキに気を取られて娘の様子に気づけなかったことに、芙美子は動揺しつつ歩み寄った。
沙帆子のほうは、慌てたように立ち上がる。
そして芙美子が声をかける前に、婦人に促され、新婦の所定の位置に移動した。
その横に佐原が並ぶのを見つめていたら、幸弘から肩を叩かれた。
「幸弘さん、あの、沙帆子は?」
「緊張のせいだろうけど……ちょっとぼおっとしてた」
そっ、そっか……
納得した芙美子はこくこく頷き、ケーキを取り囲んでいる輪の中に幸弘と交じった。
花嫁は緊張するものだ。わたしだってそうだった。
沙帆子は、あの頃の自分よりも若いのだ。
まだ十七……緊張もひとしおだろう。
ウエディングドレスの姿で、花婿に寄り添っている娘を見つめる。
なんか、ため息出ちゃうわ。
ほーんと、美男美女のカップルなんだもの。
綺麗にお化粧した沙帆子は、自分の娘と思えないくらいの変身を遂げていて……
「このケーキは、新婦沙帆子様のお母様の手作りで……」
「わあっ! 綺麗、美味しそう」
牧師の弟の言葉に重ねて、沙帆子が花嫁らしからぬ声で叫び、周囲が笑いさざめいた。
みな、花嫁のその様子を微笑ましいと思ってくれたのだろうが、娘は恥ずかしそうに俯く。
「芙美子ママ、凄すぎぃ」
背後から背中を軽くポンと叩かれ、振り向くと詩織だった。その隣には千里もいる。
「ほんと大傑作ですね」
ふたりから心からの称賛をもらい、ちょっと照れくさいがやはり嬉しい。
他のみんなも口々に褒めてくれ、なんとも恥ずかしかった。
「ママ? こ、こんなの、いつ作ったの?」
突然、沙帆子が驚き一杯に問いかけてきた。
振り返り、花嫁の娘と目を合せ、熱いものがぐっと込み上げてきてしまう。
「昨日よ。ママの渾身の作。ふたりとも気に入ってくれた?」
軽く言うつもりが、まるでうまくいかなかった。
泣き顔を隠せない。
幸弘が背中をさすってくれ、芙美子はなんとか涙をこぼさずにすんだ。
「う、うん。ありがとう……ママ」
芙美子と同じように泣きそうな娘に、芙美子は頷き返した。
リボンで飾られたナイフを、沙帆子は佐原と握りしめる。
知らぬ間に息を詰め、芙美子はケーキ入刀の儀式を見守った。
不思議と満足感が込み上げてきた。
娘のためにおやつを作り続けた過去の記憶が、頭の中を駆け巡っていった。
披露宴は少人数にも関わらず、とても華やかな雰囲気だった。
たくさんの花が芸術的に飾られていることも一因だろう。
そして生演奏は会話の邪魔にならない音量で、この場を和ませてくれている。
さらに、スタッフたちの無駄のない動き。
教育が行き届いているわよね。ほんと凄いわ。
豪華な料理はとても会話を弾ませてくれた。
久美子や麗子との会話も料理のことばかりだ。
徹と順平、そして千里と詩織も、花嫁の沙帆子の写真を撮り続けてくれている。
芙美子はそっと自分の隣に座っている幸弘を窺った。
……おとなしい。おとなしすぎる。
会話はしているのだ。
佐原の父である宗徳とも語っているし、いまは佐原の伯父と会話が盛り上がっている。
娘の通う、佐原が教師として勤めている高校のことを話題にしている。
いつもの幸弘だったら、誰よりもデジカメで娘を撮りまくっているはずなのに……
ポケットには入っているはずなのだ。
でも、取り出そうともしない。
……撮れないんだろうな。
直視するのも辛いのかも。
花嫁姿の娘に、どうしてもレンズを向けることができないんだろう。
彼は、わたし以上に泣きたいのを堪えている。
涙が込み上げそうになった芙美子は、そっと手を伸ばし、幸弘の手に手を重ねて、ぎゅっと握りしめた。
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プチあとがき
「ナチュラルキス+7」刊行記念として、芙美子さん視点をお届けさせていただきました。
チャペルでの挙式を終え、これから披露宴という場面から始まります。
ちゃんと娘の結婚を受け入れられているつもりでも、やはりそうでもなかった芙美子さん。
ケーキ入刀の場面では、どうにもテンパってしまっていた芙美子さんでした。
そして、娘の特別な写真を撮るのが生きがいの幸弘さん。
どうしてもデジカメを取り出せないでいます。
沙帆子両親の切なさ。感じていただけたら嬉しいです。
この続きのお話は、エタニティサイトにて掲載していただきました。「読めない男」そして、書籍の書き下ろしとして掲載してあります「花嫁の母として」へと続いています。
少しでも、お楽しみいただけましたら嬉しいです♪
読んでくださって、ありがとうございました。
fuu(2013/5/27)
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