ナチュラルキス 新婚編
natural kiss

刊行記念特別編

第2話 ひどく緊張



「沙帆子」

頭がいっぱいになっているところに呼びかけられ、沙帆子はハッとし、「えっ」と声を上げた。

見ると、啓史が自分のことをじっと見つめている。

「は、はい?」

「どうかしたのか?」

沙帆子は大きく首を横に振った。

「な、何も」

そう答えたが、啓史は彼女の表情から、心の内を読み取ろうとするように見つめてくる。

沙帆子は視線を逸らして俯いた。

なんか、き、気まずい。

ここは、何か別の話題を……

「あ、あのお〜」

そう口にしながら、必死に頭を巡らせて話題を探していた沙帆子の脳裏に浮かんだのは、でかうさの顔だった。

「なんだ?」

険しい顔で催促するように聞かれ、焦って口を開く。

「あの、うさぎのぬいぐるみですけど……持って帰っても……」

口にしてしまってから、しまったと思う。

佐原先生はでかうさを嫌っているのに……わたしってば……

後悔した沙帆子だが、なぜか啓史は不機嫌になるどころか、その表情はほっとしたように緩んだ。

「ああ。なんだ、あいつのことか」

啓史はでかうさのいる方向に視線を向け、肩を竦める。

その反応に戸惑ったけれど、機嫌を損ねずにすんで沙帆子は胸を撫で下ろした。

「もちろん連れて帰ってやるさ」

「ほ、ほんとですか?」

「持って帰るしかないだろ。俺たちの持ちもんなんだからな」

嫌々という感じだが、でかうさを受け入れる気持ちのあることがはっきりし、ほっとする。

啓史のマンションのどこであろうとも、とにかく居場所を与えてもらえそうだ。

日の目を浴びるような特等席など、とても望めないだろうけど、そこはでかうさに辛抱してもらうしかない。

「それじゃ、荷物積み込むからな」

そう口にした啓史だが、なぜか荷物を持たず、手ぶらで部屋を出て行く。

あれっ、荷物は?

沙帆子は戸惑い、花束に視線を向けたものの、とにかく彼の後について行くことにした。

すると啓史は、まっすぐにでかうさのところに向かい、でかうさを一瞥したあと、無造作に持ち上げた。

あっ、なんだ。よかった。

先生、でかうさから積み込んでくれるんだ。

なんだかんだで、でかうさのことを気にしてくれているらしい。

ほっと笑みを浮かべ、他の荷物を取りに戻ろうかと思ったものの、沙帆子はでかうさを抱えた啓史について行った。

後部座席に乗せてくれるものと思い込んでいたのに、啓史はトランクを開ける。

へっ?

沙帆子が驚いている間に、啓史はでかうさをトランクの中に放り込んだ。

ええっ!

沙帆子は唖然とした。

なんと啓史は、でかうさをトランクの奥にねじり込むように押し込んでいる。

そんな力任せに押し込んだりしたら……でかうさが可哀想なんですけどぉ〜。

と言いたいが、言える雰囲気じゃない。

顔を歪めてその様子を眺めていたら、スタッフさんが荷物を運んできてくれた。

啓史はそれを受け取り、どんどん荷物を積み込んでいく。

一番最初に押し込まれたでかうさは、まるで見えなくなってしまった。

(おーまいがっ!)

トランクが音を立てて閉まる直前、そんな悲痛な叫びが聞こえたように思えた。

でかうさ、た、耐えるんだよ!

沙帆子は憐れすぎるでかうさに、心の中で呼びかけたのだった。





荷物をすべて積み込み終え、そろそろ出発しようかというあたりで、牧師さんや牧師さんの弟さん、そしておふたりの奥さんたちも見送りに来てくれた。

さらに大勢のスタッフさんたちも……

みな、おしあわせにと声をかけてくれ、沙帆子は頬を染めてお礼を言った。

啓史は牧師と握手し、感謝の言葉を伝える。

ふたりのやりとりを聞いていたら、昨日からのことが一度に思い出され、沙帆子は胸がいっぱいになった。

教会で式を挙げたこと……

ふたりで鐘を鳴らしたこと……

披露宴で起きた様々な出来事……

すぐにはすべてを思い出せないほど、もっともっとたくさんのことがあった。

そしていま、佐原先生の妻として、この場にいる自分……

ほんと、信じられない。

しあわせ過ぎて涙が込み上げそうになり、沙帆子は唇をぐっと噛みしめた。

そのとき、啓史が自分に視線を向けてきたのに気づき、沙帆子は顔を上げた。

啓史は沙帆子を見つめ、思わずというように微笑みかけてきた。その笑みに、ぐっと胸が詰まり、沙帆子は息を止めたまま笑みを返した。

啓史は自然に沙帆子の手を取り、これからのふたりの人生を約束するかのように握りしめた。





沙帆子は近づきつつある道の駅の入り口を、わくわくして見つめた。

トランクに押し込まれたままのでかうさのことは気になるし、そのままでは可哀想だと思うけれど、啓史と一緒に道の駅を楽しみたい気持ちは捨てられない。

でかうさ、ごめんね。

心の中ででかうさに謝るものの、道の駅に視線を向けて、どうにも笑みが零れる。

佐原先生と一緒に道の駅を楽しめるなんて、嬉し過ぎる。

そういえば、前にも一度、ふたりで道の駅に行ったっけ。

あれは教会で両家が顔合わせをした帰りで……

あのときも、ふたりで色々なものを分けあって食べたりして、すごく楽しかった。

ただ、チョコバナナを食べてる時に、なぜか佐原先生に頭を叩かれちゃって……

あのときは、さっぱりわけがわからなくて、泣いちゃったりしたけど……

あれも、いまとなれば良き思い出と言えなくもない。

日曜日だが、まだ午前中だからか、駐車場は充分空いていて、すぐに停められた。

道の駅でも規模が大きい方だろう。それにまだ新しいようだ。

「ここ、すごく広いですね?」

「ああ。お前、どこから回りたい?」

啓史に尋ねられ、沙帆子は施設をぐるりと見回した。

広すぎて迷ってしまう。すると、啓史が腕を差し上げて指をさす。

「あっちは野菜だな。こっちは花の売り場か。さすがに花はもういらないな」

啓史の言葉に沙帆子は笑った。確かに、花だけは、車に山ほど積んである。

「そうですね。あの、陶器売り場を先に見に行ってもいいですか?」

「ああ。行こうか」

啓史は沙帆子の手を取り、陶器売り場に向かって歩き出す。

沙帆子は胸をドキドキさせ、啓史と一緒に歩いて行った。





「わーっ、すごいいっぱい」

建物の中に、ずらりと陶磁器が並んでいる。壮観な眺めだ。

啓史とふたりして、陶器をひとつひとつ眺め回るのは凄く楽しかった。

途中、啓史が退屈になっているのではないかと心配になったりしたけれど、彼も楽しめているようだった。

「それじゃ、次のところに行きます?」

ほぼ見て回り、沙帆子は満足して啓史に言った。

「なんだ、買わないのか?」

「買っていいんですか?」

「いいさ。気に入ったのがあったのか?」

「それは……でも、必要なものは、揃えたばかりだし……」

「腐るもんじゃない。……その……記念にもなるだろ」

眉を寄せてもごもごと言う啓史に、沙帆子は胸を膨らませて「はい」と返事をした。

沙帆子は、花柄の小皿を買ってもらうことにした。

これが食卓に並ぶときを想像して、どうにも口元がにまにましてしまう。

「それじゃ、次は野菜売り場に行きたいですけど……」

「野菜は後にして、店が空いているうちに昼飯食べないか? ああ、けど……お前、まだ腹減ってないか?」

「いえ。大丈夫です。食べられます。美味しそうなお店がいっぱいあるし……」

和食に洋食のお店もあるし、麺類とかお寿司屋まで色々揃っていて、実は気になっていたのだ。

いい匂いが漂ってきて、ちょっとお腹も……

そこで沙帆子はハッとし、「ああっ」と叫んだ。

「なんだ、どうした?」

顔をしかめた沙帆子は、啓史の腕を掴んで揺すった。

「先生、冷蔵庫の中に、昨夜の夕食のデザート、そのままにしてきちゃいましたよ」

「あ……ああ、そう言えばそうだったな。……だが、朝食も食べ切れないほどデザートがついてたんだし、お前、どのみち食べられなかっただろ」

そ、それはそうなんだけど……そのまま残してきてしまったことは残念で堪らないのだ。

唇を突き出して惜しがっていたら、それを見て啓史がくすくす笑い出す。

「わ、笑わないでください」

「お前、案外食い意地が張ってるな」

く、食い意地が張ってる?

「そ、そんなんじゃ。……先生、失礼ですよっ!」

むっとして睨んだら、笑いながら手を取られた。

「悪い意味で言ったんじゃない。ほら機嫌直せ」

「いまのが悪い意味でなかったら、悪い意味の言葉なんて、この世になくなりますよ!」

食い意地発言にむかっ腹が立ち、言い返した沙帆子を、啓史は笑いながら引っ張って行く。

向かっている方向は駐車場だ。

「えっ、帰るんですか?」

「これ持って歩くより、車に置いてきたほうがいいだろうと思ってな」

「ああ、そうですね」

ふたりは肩を並べて駐車場に向かった。

「道の駅のあと、みんなに花を持って行くだろ? まず飯沢と江藤のところを回ってから、俺の実家と橘に回って、最後にお前の実家に行こうかと思うが……その順番でいいか?」

買った荷物を車に積み込みながら、啓史が聞いてきた。

確かに、みんなにあげるつもりで花束にしたのだ。持って行くなら今日しかない。

「はい。その順番でいいです」

「それじゃ、俺は自分の実家と橘に電話しとくが……沙帆子、お前も」

「はい。家に電話します」

沙帆子はバッグから携帯を取り出し、家に掛けた。だが、留守にしているようで出ない。電話を切った沙帆子は、母の携帯に電話した。

呼び出し音が鳴るのを聞いているうちに、沙帆子はひどく緊張してきた。





   
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