ナチュラルキス 新婚編
natural kiss

刊行記念特別編

第5話 きっと大丈夫



江藤家から離れた場所に停めてある啓史の車まで駆け戻り、沙帆子は急いで乗り込んだ。

「なんだ、どうした? そんなに急がなくても大丈夫だぞ」

ハアハアと息を切らせている沙帆子を見て、啓史が言う。

「それが、詩織は留守で。詩織ママに色々聞かれたりしたので……」

「そうか。ああ、もしかすると、昨日の今日だし、江藤は飯沢の家に行っているんじゃないか?」

「そうかもしれません」

そういうわけで、次は千里の家に向かう。だが、千里も留守だった。

「あの子、午前中に出かけてしまったの。帰ってくるのは夕方になるって言っていたわ」

千里の母の言葉に、残念な気分になる。

前もって連絡せずにきちゃったからなぁ。

「そうですか。あの、これいっぱいもらったので、千里にもらってもらおうと思って持ってきたんですけど」

「まあ、綺麗な花。こんなにいただいていいの?」

「はい。あの、それじゃ」

踵を返して辞去しようとしたら、「沙帆子さん」と呼び止められた。

「は、はい」

「ここまでどうやってきたの?」

その問いに、ドキリとする。

門の前には車はない。さらに千里の家から駅までは、ちょっとした距離を歩かねばならない。

こんな花束を持って電車はあり得ないと、千里の母は思ったのに違いない。

これはしまったかも。

千里のお母さん、すごく聡明なひとだから……

千里は家にいるものと思っちゃって……

やっぱり、前もって電話するべきだったと、後悔してもいまさら遅いわけで。

「その、知人の車に乗せてもらって」

「そうなの。……ねぇ、沙帆子さんも、昨日千里が参加したらしい、なにか特別な催し物に出席したの?」

「えっ?」

驚いて叫んでしまい、それを見て千里の母が苦笑する。

「あの子は悟られまいとしてたけど……こそこそ隠し立てしてるのは、丸わかりだったわよ」

「そ、そうですか」

話の流れにドギマギしたが、ここまでどうやって来たかについて言及されなかったことにはほっとした。

どうやら、なんとなく気になって聞いただけだったらしい。

「そこまでして隠し通すようなことってなんなのかって……おばさんとしては、気になるじゃない?」

「まあ、それは……」

「教えてくれない?」

試すように問いかけられ、沙帆子は困って俯いた。

「うん、わかったわ」

千里の母が納得したような声を出し、沙帆子は顔を上げた。

「あ、あの?」

「聞いちゃいけないことなんだってことが、わかったわ」

「あ……は、はい。すみません」

「ううん。ねぇ、沙帆子さん、いずれ教えてもらえるのかしら?」

「……はい。たぶん」

「そう。……沙帆子さん、お花ありがとう。あなたを困らせてしまったみたいで、ごめんなさいね」

「いえ、いいんです。あの、また遊びにこさせてください」

「ええ。いつでもいらっしゃい」

沙帆子はお辞儀し、その場をあとにした。


啓史のところに戻ると、微妙な顔をしている沙帆子を見て、窺うような目を向けてくる。

「どうしたんだ? 飯沢もいなかったのか?」

「はい」

「それで……飯沢の家族に、何か気になることでも言われたのか?」

「色々と……千里のお母さん、聡いひとなので……」

「そうか。だが……いくら聡い人でも、俺たちが結婚したなんて、わかりようがないだろうからな」

啓史の言葉で、沙帆子は心に湧いていた不安が消えてラクになった。

「ふたりに電話してみたらどうだ?」

啓史が勧めてきたが、沙帆子は首を横に振った。

すでに花束は届けてしまったし……電話をするというのも、なんだか躊躇ってしまう。

ふたりとは、明日学校で会えるし……

そう考えて、沙帆子は奇妙な感覚に取りつかれた。

自分の状況が一変してしまったせいか、明日学校に行くという事実が、すんなり入ってこない。

今の自分は現実ではない世界にいて、現実が希薄になっているような……

「それじゃ、次は俺の家。それから橘を回って、最後にお前の家だな」

「は、はい」

頷くと、啓史はすぐに車を発進させた。

次は佐原先生の実家か……

なんだかひどく落ち着かない気分になる。

佐原先生の実家に行くのは、これが二度目なんだ。

結婚するって報告をするために先生の実家に行って……テッチン先生が佐原先生のお兄さんだってことがわかって、そりゃあもうびっくりした。

あれって、たった二週間前のことなんだよね。

信じられない速さで物事が進んでいることをいまさら実感し、沙帆子は眩暈を覚えた。


啓史の実家に近づいた。

目にしたことのある景色を眺めて、沙帆子の緊張はさらに増していく。

それでも、前回のときは、いまよりもっと緊張していた。

おまけに、佐原先生からは『啓史』と名で呼べと強制されちゃって……

「あっ、ここでしたよね?」

沙帆子は思わず口にした。

「ああ、ここらで順平と会ったな」

そう言った啓史が、くっくっと笑う。

「先生?」

「いや、あのときの順平の驚きっぷりを思い出してな」

「そうでしたね」

沙帆子も思わず笑ってしまう。

「あんぐりってのは、ああいう顔を言うんだろうな」

啓史の言葉に沙帆子は噴き出した。

ふたりして笑っている間に、啓史の実家に到着する。笑ったおかげで薄まっていた緊張が、佐原家を見上げて、徐々に戻ってきてしまった。

「あの……みなさん、いるんでしょうか?」

気になってしまい、思わずそう尋ねていた。

実のところ、テッチン先生がいるかいないかが一番気になる。

元担任だったテッチン先生とは、どうにも顔を合わせづらい。

「どうだろうな」

曖昧な返事をした啓史は、母屋の駐車場に車を入れる。

すると、ふたりがやってくるを待っていてくれたらしく、すぐに玄関が開いた。

顔を出したのは順平だ。

「いらっしゃ〜い」

車から降りるふたりに、順平が声をかけてきた。

その後ろから、久美子も姿を見せる。

「いらっしゃい」

久美子は遠慮がちに声をかけてきた。

「ほら、沙帆子」

啓史が呼びかけてきて、振り返ると目の前に花束があった。

そ、そうだった。これを渡しに来たんだ。

啓史から花束を受け取り、沙帆子は久美子に歩み寄った。

「まあっ、綺麗」

「結婚式で使ったお花なんですけど、持って帰っていいって言われたので……」

お義母さんと呼ぼうと思ったけど……そう口にするのは難しかった。

沙帆子は口ごもり、「ど、どうぞ」と差し出す。

「ありがとう。沙帆子さん。わたしにまで……」

「い、いえ」

久美子の目が潤んでいるのを見て、沙帆子は顔を赤らめた。

こんなに感謝されてしまうと、ひどく照れくさい。

「それじゃ、これで帰るから」

「えっ!」

啓史の言葉に久美子が驚いて声を上げる。

「も、もう帰るの?」

「電話で、そう言ったろ?」

「それは……挨拶だけって言ってたけど……家に上がるんだとばっかり」

肩を落とした久美子を見て、沙帆子はもじもじした。

沙帆子が上がらせてもらうと言えば、いいのかもしれないけど……その心の準備がないというか……

「今日は時間ないから……これから橘と榎原にも寄らなきゃならなないし、明日は学校で、こいつも大変だから」

「あ、ああ。そうよね。……学校なのねぇ」

沙帆子を見て、久美子が思案げに言う。

さらに、「沙帆子さん、高校生なのよねぇ」と思い入れたっぷりに口にする。

「お袋!」

まるで警告を発するかのように啓史が鋭く叫んだ。

久美子が慌てて手を振る。

「け、啓史さん、怒らないで。そういう意味で言ったんじゃないわ。沙帆子さんの制服姿が見てみたいなって思っただけよ」

久美子が慌てて言うと、何を思ったか順平が「制服姿」と呟いた。

その呟きを耳にし、啓史が順平を睨む。

「な、なんで睨むのさ」

啓史から距離を置きながら、順平が言う。

「ぼ、僕はさ、いまだに沙帆子さんが高校生だって思えないだけだよ。制服姿を見たら、実感できるかもって思ったから……つい」

「……親父は?」

順平の発言はスルーすることにしたのか、啓史が久美子に聞く。

「リビングにいるはずだけど……順ちゃん、ちょっと呼んできて。あっ、ふたりに渡そうと用意していた荷物も持ってきてちょうだい。ソファのところに置いてあるから」

「わかった」

順平はすぐに姿を消し、家の中をバタバタと駆けて行く音が聞こえる。

宗徳は、すぐにやってきた。

「親父」

「ああ。またゆっくり顔を出せ」

「わかった」

父と子の会話はそれで終わった。

とても短かったけれど、それだけで充分だと思える会話に、沙帆子は心が温まるのを感じた。

久美子から手土産をもらい、ふたりはお礼を言って佐原家を後にした。

次は、伯父である橘の家に向かう。

学校長と麗子さんに挨拶して花束を渡すと、久美子と同じように麗子からも目を潤ませてお礼を言われた。

もらい物だけどと、高級そうなお菓子をいただき、次の訪問を約束して橘家を後にした。


最後の訪問となる自分の実家に、ついに向かうことになり、沙帆子はこれまでにない緊張を感じはじめていた。

父と母は、いまどうしているんだろう?

自分は、どんな顔をして会えばいいんだろう?

「おい」

どうにも落ち着かずにいたら、それに気づいたのか啓史が呼びかけてきた。

「は、はい」

「……その……今夜の夕飯、外食にするか?」

「い、いえ……作りますよ」

「けど、疲れてるんじゃないか?」

啓史はこれまでと同じに、そっけなく口にする。けれど、沙帆子を思いやる気持ちが伝わってくる。

「疲れてませんよ。大丈夫です」

沙帆子は明るく言った。

それは本心だ。

けれど、これから向き合うことになる両親との対面に、自分がまともに向き合えるとは思えなかった。

でも、わたしの隣には佐原先生がいてくれる。

だから、きっと大丈夫!

沙帆子は自分を気にかけてくれている啓史に顔を向け、笑みを浮かべた。

啓史は、力づけるように頷いてくれた。

支えられてるのを感じる。啓史の愛を感じる。

熱いものが込み上げてきて、沙帆子は大きく息を吸い込んだ。







プチあとがき

ナチュラルキス 新婚編、刊行記念、これにて終わりです。
このあと、書籍の新婚編へと続くことになります。

以前掲載していた一話分を、5話にまで膨らませられました。
かなり満足です。笑

おまけ話を再掲載していなかったため、サイト掲載の新婚編では、おまけ話を反映させずに書いていました。
なので、佐原の実家への訪問回数とか、矛盾するような表現、ちょこちょこと修正を入れました。まだどこか矛盾点があるかもしれませんが。

読んでくださってありがとう。
楽しんでいただけたなら嬉しいです(*^。^*)♪

fuu(2014/2/14)
  
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