ナチュラルキス
natural kiss

番外編

 千里視点

第2話 偶然の遭遇



「何かあったのか?」

大樹の声が耳に入り、千里は顔を向けた。

今日は会議とかの予定があるわけではなかった。

だが放課後はいつも、生徒会室にやってきて、大樹と合流して帰るようにしている。

もちろんふたりきりではなく、副会長の広澤もいるし、立川亜沙子もやってきていた。

いつもと同じ椅子に座っている立川のそばに広澤は立ち、ふたりは何か話をしつつ、机の上のノートを覗き込んでいる。

「何かあったんだろ?」

重ねて問われ、千里は考えた末に小さく頷いた。

「僕に話せないこと?」

抑えた声で静かに問われ、千里は大樹の顔をじっと見つめた。

千里の気持ちとしては、大樹に隠し事などできればしたくないし、話したいのだが…

ことは、親友のプライベート。

たとえ相手が大樹であろうと、沙帆子の秘密を漏らすなんてことはできない。

それでも、何も言わないままなんてことも出来ないし…

千里は視線を揺らしつつ、なんとか大樹に語れる言葉を探した。

「…実は、その…とんでもないことが…」

千里の視線は、無意識に生徒会室の資料棚の前に移動してなにやら探し物をしている広澤と立川の背中に向けられた。

「まあ、発覚したっていうか…」

「とんでもないこと?」

彼女は大樹と目を合わせて困ったように頷き、口元を引き締めて机に視線を落とした。

沙帆子が教諭の佐原を好きだったなんて…

どうしていまのいままで気づかなかったのか、それが自分でも不思議でならない。

彼女のこの目は、大穴でも空いていたのか?

「今日は、ずいぶん色々と発覚するもんだな」

少し愉快そうな響きの大樹の言葉に、千里は顔を上げた。

「え?」

「ほら、例の写メ」

「あっ、ああ」

千里は、今日見た佐原の写メを思い浮かべ、苦く笑った。

あの写メがなかったら、千里はいまだに沙帆子の片思いに気づかぬままだったのだ。

沙帆子は、今頃どうしているだろう?

伯父さんから電話が来たという言葉を鵜呑みにして、沙帆子と別れ、生徒会室に来てしまったのだが…

学校に迎えに来てくれるような伯父さんがいるなんて、いままで聞いたことがない。

やはり、嘘だったのだろうか?

でも、電話がかかってきたのはほんとだし、実際にちゃんと相手と話をしていた。

沙帆子はそんなに器用なほうじゃないから、千里を誤魔化すなんて出来ないと思うのだが…

どこかで、ひとりきりで泣いてたりなんて…ないわよね?

「千里?」

「あ、ん?…何、ごめん」

「写メの話どころじゃないみたいだな。帰るか」

大樹は千里の返事を聞かずに立ち上がると、空いている椅子の上に置いていた通学鞄を手に取った。

千里も立ち上がり、大樹にならった。

「広澤、僕たち、先に帰るな」

「ああ。また明日」

大樹は手を上げた広澤に手を上げ返す。千里は彼の後に続いて生徒会室を後にした。





「悩み事は、自分のことか?」

廊下を歩きながらの大樹の問いかけに、千里は「ううん」と答えた。

「ふうん、そうか。…僕は、何か役に立てないか?」

「それがね、そういうのじゃないの。どうしようもないことなの。…だから…」

「だから?」

「すっごいもどかしくて。…何もできないから」

「そうか…」

「うん」

ふたりはしばらく黙りこくって歩いた。





「あの写メのこと…」

門を出たところで、大樹が話しかけてきた。

「もっと食いついてくると思ったのに…君の反応、さっぱりで…」

そうだったのか…

「ごめん」

「謝ることじゃないけどな。聞くか?」

「うん。聞きたい」

大樹は千里の表情を窺うように見つめ、小さく微笑んで話し始めた。

その笑みに、千里はじんわり慰められた。

「あの写メ、メールにも書いたとおり、日曜日の昼のことで。たまたま同じレストランに羽田のお袋が行き合わせたんだ」

「羽田君の?」

「そう。なんか似てると思って、写メ撮って、息子に確認のために送ってきたってわけさ。これは佐原先生じゃないのかって」

「それで、羽田君のお母さん、佐原先生に話しかけたりしたの?」

「もちろん、そこまでは出来なかったらしい。母親からメールもらった羽田は、他人の空似だろうって思ったものの、見たらどうみても佐原先生っぽいし、それで僕に送ってきたんだ。これ、佐原先生だと思うかってね」

「そうだったの」

「羽田には、この写メのせいで学校中が騒ぎになっては困るから、削除しろって言ったんだけど、あいつ嫌がって…」

「でも、大樹、わたしにも送ってきたじゃない?」

「君は広めない」

確信のこもった大樹の言葉は、千里の自尊心を甘くくすぐってきた。

「あっ、でも、わたし、ふたりに見せちゃった」

「榎原さんと江藤さんか…けど、あの写メ、ふたりの携帯に転送してないだろ?」

「うん。そう書いてあったから。…ちょっとごめん」

千里は携帯を取り出し、詩織にかけた。

沙帆子は問題ないが、詩織の方はいくぶん心配だ。

「詩織?」

『ああ、千里。なあに?』

「いま、誰かと一緒?」

『ううん。いまひとりだよ』

「そう」

もう部活は終わったのだろうか?

「あのさ、今日見た、例の写メのことだけど…誰にも内緒にしといてね」

『ああ、わかった。…それより、あのさ、沙帆子のこと、ひとりで帰しちゃって良かったのかな? わたしずっと気になってさ。かなり落ち込んでたし…』

やはり、詩織も、千里と同じ心配を抱えているようだった。

「…詩織、伯父さんっての、ほんとだと思う?」

『わたしも、別れてから気になってさ』

詩織とのやりとりで、さらに不安が増したが、いまさらどうしようもない。

沙帆子に、電話してみようか?

「それじゃ、ともかく写メのことは内緒ね」

千里は詩織に念を押し、『わかった』との返事を貰って通話を打ち切った。

沙帆子にかけようかと携帯をじっと見つめていると、腕をそっとつつかれた。

「うん?」

「今度の週末、会える?」

大樹の問いに、千里は胸がときめいた。

学校でほぼ毎日会っているが、やはり土日なんかにふたりきりで会うのはまた別物だ。

「日曜日なら、大丈夫」

「それじゃ、日曜日。どこか行きたいところとかある?」

「あの、よければうちに来ない? お母さんが、大樹を連れて来いってうるさいし…」

「親父さんは?」

「いない。ゴルフのはず」

「そうか…」

大樹は、右手の親指を顎に当てて考え込んだ。

思案するときの大樹の癖だが、この仕種をする彼は、ひどく大人びて見えて、彼女の胸をドキドキさせる。

「親父さんがいないのを見計らって行くみたいで…気が引けるんだよな」

千里は、気にする大樹に、大きく手を振った。

「そんなの気にしなくていいって。お父さん、大樹が顔出すと、滅茶苦茶感じ悪いし。なるべくいてくれないほうがいいわねって、お母さんも言ってたもの」

大樹がくすくす楽しげに笑い出した。

沙帆子のことが心にかかって、喉元にしこりを感じていた千里は、大樹の笑い声のおかげで少し楽になった。





「あっちゃん、それじゃあね」

千里はせいせいしながら、従兄の敦に手を振った。

せっかく我が家で、大樹とおしゃべりしながら楽しく過ごしていたのに、敦から電話が来て、なんだかんだで遊びに来ることになってしまったのだ。

大樹はどうしてかこの性格に難点のある敦が気に入っているらしい。
それは敦の方も同じらしかった。

親戚の敦と、仲良しになってくれるのは嬉しいのだが…

ロボット工学だのなんだのと、マニアックな話で、大樹を千里から取り上げないで欲しい。

政治関係とかなら興味あるし、楽しく話に混じれるのに…
歴史関係だって大歓迎だ。

けど、機械とかはあんまり好きじゃないんだよね。

プラモ作ったりならいいけど、このふたりの場合、千里が仲間入りできないほど専門的な話ばかりするのだもの。

「千里?」

自転車に跨ったまま、考え事をしていた千里は、大樹の呼びかけに頷き、自転車を進めた。

「あっちゃんてば、もう少し、服装気にすればいいのに」

いま別れてきた敦の服装を思い返して、千里は文句を言った。

親戚として、ちょっと恥ずかしい。

「そう? 僕は自分を飾ったりしない敦さんが好きだけどな」

千里は大樹の言葉に吹き出した。

「飾り気がなさ過ぎよ」

いつだってジャージだ。
千里はジャージ姿の敦しかみたことがない気がする。

会社に行くときは、さすがにちゃんとした格好で行ってるのだろうか?

ジャージでネクタイなんてことくらい、なんのためらいもなくしそうなやつだ。

「佐原先生なんてさ、家でもパリッとしてそうだよな?」

千里はくすくす笑った。

確かに、いえてる。

「佐原先生って、いつだってモデルみたいよね。あっちゃんみたいに、もさいジャージ姿でいるなんて想像もつかないわ」

「あの、写メの彼女さんなら…」

唐突に言葉が切れたことに眉をあげ、千里は大樹に「どうしたの?」と首を回して尋ねた。

「佐原先生だ!」

潜めた大樹のその声は、鋭い響きがあった。驚きが強かったためだろう。

千里は大樹が視線を向けているほうへ顔を向け、目を見張った。

驚きを顔に貼り付けたまま、千里は佐原の乗っている車の横を通り過ぎていた。

「う、うそっ!」

そんな叫びが口から飛び出たのは、佐原の車からずいぶん遠ざかってからだった。

「噂の彼女に会っちまうなんて…こんな偶然。冗談でなく鳥肌が立ったぞ」

自転車を停めずに、千里はそんなことをいう大樹の顔を、見つめ返した。

すぐに家へと向かう四つ角に来て、千里は意識なく右へと曲がった。

「千里?」

大樹からの呼び掛けを貰って、千里は自転車を停めた。

「ほんと驚いたな」

沙帆子の思いを知らない大樹は、ただ、驚きだけのようだ。

「しかし、なんで佐原先生、あんなとこに車停めてたんだろ? あの辺りの家に用事でもあったのかな?」

確かに、大樹の疑問はもっともだった。

けれど、いまの千里にそんな疑問はどうでもよかった。

ほんの一瞬、視界に入っただけだったが、無茶苦茶綺麗な女性だった。

想像以上の美女…佐原にはお似合いだろうが…

千里はきゅっと顔をしかめた。

早く諦めさせなきゃ…

切なさに胸を塞がれながら、千里は友を思って涙をこらえた。





    
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