ナチュラルキス
natural kiss

番外編

 千里視点

第3話 考えたくもない最悪



「お風呂上がったから」

居間にいる両親にそう声をかけた千里は、そのまま階段を上がり、自分の部屋に引きこもった。

いつもなら、両親や妹と居間で過ごすところだが…

今日はとてもそんな気にはなれない。

佐原先生…なんであんなところに…

正直見たくなかった。

見たりしなかったら、こんなに処理できない気分に取り付かれたりしないで済んだのに…

確かに、あの写メを見た後だったし、佐原に彼女がいるという事実はすでに知っていた。

…だけどだ。

心に受けた衝撃が違うっていうか…

ナマは重いよ。

疲れたため息を吐き出しながら、千里は枕を抱きしめてコロリと横に転がった。

なんかなぁ〜。

沙帆子のこと考えると、泣きそうだ…

千里は瞼をぎゅっと瞑って顔をしかめ、じわりと湧いた涙を拭いた。

今日見た事を、ストレートに沙帆子に語ってやるべきだろうか?

そいで、強制的に佐原先生を諦めさせる?

けど…けど…そんな簡単にゆくはずがないわ。

それどころか、そんなことを聞かされたら…あの子、どれだけ辛い思いをするか…

悪い結果しか生みそうにない。

沙帆子の思いは、憧れ程度のものなのだろうか?
それとも淡い片思い程度…?

その程度ならいいのに…

千里は眉を寄せて、そんなことを必死に考えている自分に気づいて呆れた。

人の思いの深さなんて、わかるわけがない。

それに、沙帆子の性格は、よ〜くわかっているつもりだ。

写メを見た後の沙帆子の反応だって、淡い恋なんてものじゃないくらい真剣なことがはっきりしてた。

なんで佐原先生かなぁ〜

なんで広澤じゃないのだ。広澤で充分じゃないか。

「そういうこっちゃないってわかってるくせに!」

千里は、やりきれない気分を吐き出すように、声に出して叫んでいた。

恋心ってのは、そんな単純じゃない。

好きなものは好きなのだ。

ああ、それにしても参った! 参った! 参った!

どうして気づかなかったのか?

これまで何度も自分に対して繰り返してきた問いを自分に向け、千里は頭を掻き毟った。

沙帆子のことは、何もかもお見通しのつもりでいたのに…

佐原に対する恋心に、彼女はまるきり気づかなかった。

それが歯痒いったらない。

それだけ<沙帆子が気づかれないように用心していたということなのだろうとは思うが…

確かに思いびとの相手が佐原では、隠したくもなるだろう。

恋が実る確率ゼロ!

消極的で恥ずかしがりなあの性格だし…

しかし、佐原だったとは…沙帆子の好きな相手は、広澤だとばかり…

男子生徒とおしゃべりをする時、沙帆子はほんのり頬を染める。

あれって、本人の沙帆子には、そんな気は全くないのだろうが、男達に勘違いさせてしまうのだ。

広澤に対して、沙帆子の中に好きの感情があると、千里たちが思い込んでしまったのも、そのせいなのだ。

それがまったくの思い違いで、結局、恋をしていた相手は、あの佐原先生。

やってられない。

もうすぐ期末試験だというのに、沙帆子は大丈夫だろうか?

勉強など手につかず、成績を落として赤点のオンパレードなんてことにでもなったら…救いようがない。

沙帆子への心配が増すにしたがって、千里の中で佐原への反感が膨らんだ。

気楽なもんだよね。佐原先生…

あの美女な彼女と一緒に、今頃楽しんでるに違いないんだ。

あんなスペシャルなマスクして、純粋な女子高生を虜にして、苦しめてさ…

教師なんて、この瞬間辞めちゃえばいいのに…

で、モデルでもなんでもすればいいのだ。

それがお似合いだわ!

怒りにかられた千里は、もう寝転がってなどいられず、抱きしめている枕を身から離し、右手を振り上げて力一杯拳固で殴った。

肩で息をしていると、携帯が鳴り出し、千里は疲れた身体で立ち上がり、机の上に置いていた携帯を取り上げた。

大樹だ。

『やあ』

いつもと同じ清々しさを感じる大樹の呼びかけに、少しだけ気力を取り戻し、千里は「うん」と答えた。

大樹に、いまのこの心境をすべて話して、泣きつきたかった。そして、よしよしと慰めてもらいたかった。

でも、沙帆子のことを語るわけにはゆかない。

『千里?』

「うん?」

『元気ないな』

「う…ん? そうでもないよ」

『そうか?』

大樹の心配が伝わってきて、申し訳なくなってきた。

「…ごめん」

『どうした? 君の元気をなくしたのって…今日の…佐原先生なのか?』

大樹はひどくためらうようにそう口にした。

千里は、その大樹の様子に、はっとした。

大樹、わたしのこの反応を、誤解してる?

考えてみたら、そう思われても仕方のない反応を、わたしってば、しているんじゃないだろうか?

佐原と遭遇した直後の千里は、あからさまにショックを受けた状態でいたし、それって、沙帆子のことを知らない大樹には、誤解させるのに充分だったのではないか?

「あ、わたしっ、違うよ!」

焦った千里は、声を張り上げた。

『千里?』

「わ、わたしじゃなくて…ちょっと親しい子がさ…そうで。その子の気持ち考えると、可哀想でなんなくて…試験も近いし。そういうことなの」

『多いからな』

「えっ?」

『いや、この事実知ったら…泣く子がさ。佐原先生を好きな女子、とんでもなく多いだろ?』

「う、うん。…なんだよね」

『あのさ…』

「うん?」

『気になって…似てなかったか?』

「似て…なにが?」

『気づかなかった?』

「あの…大樹、なんのこと言ってるの?」

大樹は何か考え込んでいるようで、なかなか返事をしなかった。

「大樹?」

『榎原さん…』

突然飛び出た沙帆子の苗字に、千里は息を止めた。

『似てたろ? そう思わなかった?』

「い、意味がわかんないんだけど…」

『彼女だよ。君も見たろ?』

「大樹、その彼女って、佐原先生のってこと?」

『うん、そう。あの一瞬もそう感じたんだけど…後から思い出せば思い出すほど似てたなって』

「あの美女が、沙帆子に?」

それまで意識して思い出さないようにしていた佐原の彼女の顔を、千里は記憶から掘り起こそうとした。だが…

「似てた? わたしはそうは思わなかったけど…かなりの美女だったよね?」

『うん。一年の時、学園祭で、君のクラス、演劇やったろ?』

「やったけど…それがなに?」

『だから、似てたろ? あの時の榎原さん、バッチリ化粧しててさ』

「沙帆子の?」

沙帆子にあの化粧をしたのは、この自分だ。

とんでもなく化粧栄えして、驚いたのだ。

まるで、別人なくらい…

「に、似てたかも!」

千里は、大声で叫んでいた。

『だろ。もしかしてさ、榎原さんの姉とかじゃないのか?』

「さ、沙帆子…ひとりっ子だもの」

『そうか。なら、従姉とかだったりするかもな』

「た、他人のそら似だと思うよ。…それに、化粧してなきゃ、ぜんぜん似てないわよ」

千里の言い分に、大樹が笑い声を上げた。

「な、なに? 何がおかしいの?」

『先生の彼女も、化粧してたんじゃないか?』

そのとおりだけど…

従姉…で、でも、まさかよね?

沙帆子の親戚が、佐原先生となんて話が現実だったりしたら…

千里は血の気が失せた。

そ、そんな従姉なんて、存在されちゃ困るよっ!!

千里は、うおーっと叫びたいのを堪え、頭を抱えた。

考えたくもない最悪だぁ〜。





    
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