ナチュラルキス
natural kiss

啓史サイド
我慢ならない憤り



すでに見慣れたものとなっている大学のキャンパスは、啓史が意識を向けずにいた間に、秋色を深めていたようだった。

イチョウの葉は鮮やかな黄色に染まり、地面には紅葉の葉っぱが落ちていて、時折の風に転がされてゆく。

「おーい、佐原」

キャンパス内の秋を、味わうように眺めつつ歩いていた啓史は、その大きな呼びかけに振り返った。

かなり離れたところから親友の飯沢敦が走り寄ってきていた。

見たところ、重要な用事があるようには見えず、啓史は立ち止まって待つようなことはしなかった。

「もう帰るのかよ?」

止まらない啓史に、飯沢は早足で追いつき、息を弾ませながら並んで歩き出した。

「いつもより早いじゃないか」

「用事があるんでな」

「また仕事かよ。よくも飽きないもんだな」

「仕事じゃない」

「へっ? それじゃ、用事ってのはなんだよ?」

「なんでお前に、いちいち俺の予定を言わなきゃならない」

「たいした用事じゃなかったら、俺に付き合えよ。なあ、夜は空いてんだろ?」

「いや。用事を済ませたら、工場に行くことになってる」

「それでも、九時くらいなら、暇になるんだろ?」

「ならないだろうな」

「それじゃ、十時でどうだ?」

啓史はくっと笑った。

「バナナの叩き売りみたいだな。時間の叩き売りか?」

笑いながら、どんどん歩き続ける。もうすぐ彼の車がある駐車場に着く。

「たまには飲もうぜ」

「なんだ。そんな話か?」

「いや。合コン、参加させたろと思ってな」

「興味ねぇな」

「なあ佐原、お前さぁ、大学でお勉強、仕事で研究。他に楽しみ作らねぇと、後々後悔するぞ」

「それで手一杯だ。この先も、後悔ってやつをする暇があるとは思えないな」

「いましか味わえねぇ、若者の楽しみってものを逃してるつってんだよ。綺麗でかわいこちゃんの彼女を作ろうとかいう、一般成人男子がもれなく胸に秘める、大望はねえのかよ?」

「ない」

飯沢がじっと啓史を見つめてきた。そして……

「不遇なやつ」

「お前の観念を、俺に当てはめるな」

啓史はいまになって立ち止まり、飯沢に向いてぐっと顔を近づけた。

啓史が近づいたぶん、飯沢がのけぞる。

「俺は好きに生きたい。自由を奪われるのは嫌だ。女は男を縛る。時田や深野を見ろ。お前はああいう不自由に憧れるのかもしれないが、俺は絶対に嫌だ」

啓史の鋭い言葉に、飯沢が顔を歪めた。

「お前、どこかで、普通の男としての成長を間違えたな」

啓史は飯沢をギロリと睨んだ。

「好きに生きてんだ。欠陥品扱いすんな」

そう捨て鉢に言葉を吐くと、啓史は踵を返して歩き出した。

「お前、嫌味なほどもてるんだしさぁ、よりどりみどりだろ。一度くらい付き合ってみろよぉ。人生ってもんが変わるぞ」

背中に飯沢の、言い聞かせるような声が飛んできて、啓史は飯沢の言葉を身から振り払おうとでもするように歩みを速めた。





駐車場の啓史の車の側に、男女六人ほどがたむろしていた。

なぜかはわからないが、彼に視線を向けてきながら、そのグループは話をしているようだ。

彼は無関心に、自分の車に近づきドアに手をかけた。

「あの。佐原さん」

車に乗り込もうとしていた啓史は、名を呼ばれて反射的に振り返った。

「なにか?」

振り返った手前、無視することもできずに啓史は言った。

相手は佐原と呼んだが、啓史はこの中の誰ひとり、見覚えはなかった。

先輩にあたるのか、同学年なのか、後輩なのかもわからない。

が、彼を佐原さんと呼んだところをみると、呼びかけた女性は同学年なのかもしれない。

「あのぉ、わたしたちのサークルでぇ、ハロウィンパーティをぉ~」

髪の長い女性が、やたらあまったるい声で言った。

「やることにぃ~、なったんですぅ」

もうひとり、頭のてっぺんに団子を結って、大きなリボンをつけた女性が、先の女性とまったく同じ、甘えたようなしゃべりで続けた。

その甘ったるさに嫌悪感が湧き、啓史は全身が総毛だった。

彼の中で、甘いものは虫唾が走るくらい嫌いだという観念が、さらに強まる。

「それが俺と、どんな関係が?」

そっけなく言い放った啓史の言葉を、相手はまったく気にする風もなく、それどころかおかしそうに笑い声を上げた。

そのぶしつけな笑い声は、ひどく癇に障った。

この女性ふたりの仲間だろう残りの奴らは、こちらを観察するように見つめていて、それにもむかつく。

「もう、佐原さんってばぁ。冷たいですよぉ。ねぇ~?」

髪の長い方が、団子の頭に同意を求めるように向く。

「まだぁ、関係ないですけどぉ」

甘たらしい声と、もどかしいほど進まない、中身がないとしか思えない会話に、啓史の我慢が切れた。

「俺、忙しいから」

さっと車に乗り込んでドアを閉めようとしたが、ふたりは、それまでとは打って変わった反射神経をみせて、素早くドアを掴んできた。

こ、こいつら!

心と同じだけの怒りが浮かんでいるに違いない啓史の顔の前に、ひとりがドアを掴んでいない手を差し出して、チケットのような紙切れをひらひらさせた。

怪訝な顔をしている啓史に、ぐっと顔を突き出してくると、潜めた声で早口にしゃべりはじめた。

「これ、男のひとたち、五千円なんですけど、佐原さんにだけ特別に、無料で差し上げちゃおうって話になったんですよぉ」

内緒話は終わったとばかりに、彼女は顔を上げて晴れ晴れとした笑顔になった。

「わたし、白雪姫になるつもりなんです。佐原さん、ぜひ王子様で来てくださいね」

「は?」

「やだぁ。佐原さんには、わたしとペアになってもらうつもりなのにぃ」

こいつら?

我慢ならない憤りが、とてつもない勢いで膨れ上がってきた。

「佐原さん、わたしは天使に……」

「勝手になれば」

啓史は冷たく言い放った。

「いい加減、その手をドアから放してくれ!」

啓史の剣幕に、さすがに怖気づいたのか、掴んでいた手が離れたのを確認し、啓史はドアを閉め、数秒かけずに車を発進させた。





 
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