ナチュラルキス
natural kiss

啓史サイド
認めないムカツキ



「二年のやつら、楽しんでるんだろうなぁ~」

その言葉に、啓史は無意識に腹にぐっと力を入れていた。

持ち出して欲しくない話題を、どうしてこうも毎回持ち出すのかと、むかつく。

「楽しんでるに決まってるだろ。あーあ、俺らは毎日毎日、勉強だってのに……」

「言うほどやってねえだろうよ」

「そういうことじゃねえんだよ。あーあ、俺ももう一度行きてぇ」

複雑な思いを胸に抱えながら、それらの会話を、啓史はなるべく流すように聞いていたが、口を挟まずにおれなくなった。

「去年行ったろ?」

「佐原先生、それはもう一年も前の過去の出来事だよ」

「そうそう。いまの現実は、俺たちは授業で二年はオーストラリア」

「去年行ったからって、羨ましさは消えないよ」

そう言ったやつが、啓史を見つめ、にやりと笑う。

「先生も行きたかったんでしょ?」

図星をさされ、啓史は無表情を取り繕うのにかなりの難儀をした。

彼らの会話どおり、二年生はいま修学旅行の最中。明後日戻ってくる予定だ。

新任の啓史は留守番と、初めから決まっていた。

何かの理由で居残り組みがいたならば、啓史が世話をすることになっていたのだが、今年は数年ぶりかの全員参加だったとかで、その役目は負わなかった。

「行きたきゃ、自分で行くさ」

そっけなく言い、啓史はパンを頬張ったが、胸の中は悶々としてならない。

ちびすけは旅行を楽しんでいるだろう。啓史から遠く離れた海外で……

くそっ!

そんなことが、無性に気になるってのが、腹が立つというのだ。

なぜ、こんなに気にしなきゃならない。たかがちびすけのことに……

修学旅行の日程表には、かなりの自由時間が含まれていた。

学校の行事だというのに、なぜそんなに自由時間を含むのか。

もし、女生徒たちが悪いやつらにでも……

「先生? なんかあったんですか?」

恐る恐るというような声に、啓史は顔を上げた。

「なんで?」

「いや……なんか……なぁ?」

隣の生徒に応援を求めるように言う。話を向けられた生徒も、困ったように啓史に向いた。

「う、うん。なんか嫌なことでもあったんですか?」

「いや。別に」

嫌なことなど何もないと啓史は自分に問い質し、そうだろ? と、YESの答えを強要した。

ただ……むかつく……

一週間に二度の授業を、自分がどれだけ楽しみにしていたか……気づかされたことにむかつく。

一生懸命な顔で実験に向かっている顔。実験をやり終えたあとの、達成感を滲ませた表情。

そしてなにより、啓史に向けてくる、はにかむような……ちびすけの笑顔。

その笑顔がありありと脳裏に浮かび、胸が切なく疼いた。

そんな自分の反応に、啓史は愕然とした。

「ちぇっ、先生大人だもんなぁ。あー、俺も早く稼いで、好きな国にちょいっと旅行なんて身分になりてぇ」

自分を失くしていた啓史は、その言葉に我に返った。

「俺も。勉強ばっかの人生なんて、もう飽き飽きだよ」

「学生であることを、存分に楽しめよ。いましかないんだぞ」

「あー、先生そういうの、大人だからこその余裕の発言だよ」

「そーそー」

啓史は肩をすくめて食事に戻った。

俺のほうこそ、お前らが羨ま……

啓史は胸の内の思考に驚いて、息を詰まらせた。

羨ましいだって?

何がだ?

馬鹿馬鹿しい!

嬉しくない事実に行き当たりそうになっていることに気づき、啓史は思考を無理やり押しやった。

「二年と付き合ってるやつらは、気を揉んでるだろうな」

ひとりがぽつりと言った。

「だろうな」

「いい雰囲気になりやすいもんな。この旅行で付き合いだすやつら多いもんな」

「去年もな」

「嫌なこと思い出させるなよ」

「あ」

なぜか急に、場に気まずい空気が発生した。

「なんだ? どうした?」

啓史の右側に座っているやつが、啓史の耳に口を寄せてきた。

「先生、そいつ、そっとしといてやってください。こいつ去年、修学旅行のとき、告って付き合いだしたんだけど、一ヶ月でふられたんですよ」

「おい。はっきり聞こえてるし……佐原先生に、つまんない話すんなよなあ」

「そんなに多いのか?」

「はい? 多いって何がですか?」

「修学旅行で付き合いだすやつらだ」

「そりゃあもう、旅行中って朝から晩まで一緒に過ごせるわけだし、いい感じになりやすいですよ」

「雰囲気に呑まれる感じあるしな。先生だって、自分のときで体験してるでしょ?」

「俺、工業高校だったからな」

「へー、そうなんだ。ここの卒業生かと思ってた」

「俺も」

話題は修学旅行から、啓史の高校の話へと移ったが、彼の心に大きなむかつきを残した。





昼食仲間が言っていたとおりに、旅行の間に多くのカップルが誕生したのかも知れなかったが、旅行から戻ってきた二年の教え子たちは、啓史の目にはこれまでどおりにしか見えなかった。

実験を開始した室内を回りながら、啓史はちびすけに鋭い視線を向けた。

胸のムカムカはまったく消えず、ずっと啓史をイラつかせている。

このしつこいむかつきが、ちびすけのせいだなどとは、認めたくなかった。

こいつ、告白されて付き合いだしたりとかしてないだろうな?

生意気だってんだ……ちびすけのくせに……

旅行は楽しかったか? と、最大の皮肉を込めて問いかけてやりたい。

誰かから告られたか? いま、そいつと付き合ってるのか?

そう問いかけて……否定してもらいたい。

そしたら……そしたら……

「佐原先生」

啓史はその声にさっと振り向いた。

「なんだ?」

「この材料がひとつ足りないんですけど……」

「あ……ああ、そうか。すまない。取ってこよう、待っててくれ」

啓史は戸棚に向かってきびきびと歩きながら答えた。

そしたら? なんだって?

戸棚を開ける前に、啓史は自分にひねくれた問いを向け、そんな自分が嫌になり、いったん目を閉じた。

心が楽になるとでも言うつもりか?

いったいお前は、何を考えてる?

まさか、ちびすけと付き合いたいとでも?

馬鹿馬鹿しい……ありえないだろ?

あいつは……高校二年のガキだぞ。それも俺を教師としか……

「佐原先生、すみませ~ん」

明るい声に呼ばれて啓史は目を開け、後ろに顔を向けた。

「ちょっと待っててくれ。すぐ行く」

馬鹿なことを考えるな。お前は教師なんだぞ。

啓史は自分を激しく叱責し、頭からちびすけを追い払った。

いますぐ、気が済むまで自分の首を絞めてやりたかった。





 
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