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許せない心のありよう
「お前、なかなか評判がいいぞ。私が見込んだとおり、やっぱり教職に向いてるんだ」
夕食を食べながら、橘の伯父である広勝は、嬉しげな顔で得々として言った。
広勝の隣に座った伯母の麗子が笑いを堪えながら、啓史に目配せしてきた。
啓史は箸を止め、不服な顔を伯父に向けた。
「なんだ? 何か言いたそうだな」
「身内の伯父さんに褒められても、うれしかありませんよ」
「身内びいきでなんかあるもんかね。みんなが言っとることだ」
見習い教師としての授業は、緊張を強いられるものの、彼なりの授業を行えていると思う。
もちろん、満足とは言えないが、見習いが完璧を望むのはおこがましいことだ。
荻野も、啓史の教師ぶりをまずまずと認めてくれているようだし…
伯父には反発するように答えたが、本心は、伯父のこそばゆい賞賛も、それなりに受け取ろうという気持ちで啓史はいた。
「予想していたことだが…」
にやにや笑いを浮かべた広勝の意味ありげな言葉に、啓史は眉を寄せた。
「予想…なにを?」
「思っていたとおり、ずいぶんと騒がれてるらしいな?」
啓史は伯父の言っている意味に気づき、むっとしたまま返事をしなかった。
確かに広勝の言うとおりだった。
女生徒たちの騒ぎぶりに、辟易している状態だった。
「まあ、お前の場合、女に騒がれるなんて日常茶飯事だろうし、慣れてるだろうからな」
「慣れてなんかいませんよ!」
啓史は突っぱねるように伯父に言った。
「そうかぁ?」
伯父はからかいを込めてそういうと、無視を決め込んだ啓史を面白がりながら、食事に専念しはじめた。
一部の生徒たちだが、異常と思えるほどまとわりついてくるのがいて、対処に困っているところだった。
それに、バケ子とあだ名されている女性教諭…
救いは啓史を先生と呼んでくれる男子生徒たちの存在だった。
どうも彼らは啓史の窮状を分かっていて、彼の知らないところでも、うまく対処してくれているようだった。
生徒に守られているというのも、なんとも情けない教師だが…正直ありがたかった。
いまさらだが、こんなことなら母校の工業高校で教育実習を受ければ良かったと思えてならない。
伯父の泣きつくような懇願ぶりにほだされてしまった数ヶ月前の自分には、とんでもなく腹が立つ。
「二年生は今の時期、ただでさえうかれてるからな」
食事を終えてお茶を飲みながら広勝が啓史に言った。
浮かれの原因は知っている。
啓史と男子生徒たちとの会話の三分の一は、修学旅行の話題だからだ。
「オーストラリアだろ。豪勢だよな」
「お前はどこに行ったんだ?」
「あの土産買ってきたろ。北海道」
啓史は壁に飾ってある土産の工芸品を視線で指して、伯父に言った。
「お、おお、そ、そうだったなぁ、うんうん」
広勝は、啓史の視線の先に目を転じると、まったく忘れていたのが丸分かりの表情で、忘れちゃいなかったぞというように、こくこくと頷いて見せた。
「楽しかったよ。海外なんて行かなくても、北海道くらいでいいんじゃないかと思うね?」
啓史は口にしながら、自分の言葉がいくぶんとげとげしいことに気づいて、嫌な気分に取りつかれた。
「北海道もオーストラリアも金額はそう変わらないし、海外の経験は学生にとっちゃいいもんだ」
確かにそうだ。
いちゃもんをつけることもなかった。
「啓史さん、何かあったの?」
それまで黙って二人の会話を聞いていた麗子から、気遣うような声をかけられ、啓史は「いや、別に」と答えた。
「どうして?」
そう麗子に聞いたのは広勝だった。
「なんとなく…そう思えただけよ」
「ふむ。啓史、何かあったのか?」
啓史は最後のおかずを口に放り込み、返事をせずに噛み砕いて飲み込んだ。
「ご馳走様。お茶貰ってく」
啓史は湯飲みを片手にさっさと立ち上がった。
「なんだ、もう部屋に引きこもるのか?」
つまらなそうに広勝に言われ、啓史は伯父に振り向いた。
「実習生はやらなきゃならないことが多いんだよ。少しばかり片付けてくる」
「そうか。まあ頑張れ」
「ああ。ありがとう」
「紅茶持って行きましょうか?」
お茶を持っているから必要なかったが、、伯母の気持ちを汲んで啓史は頷いた。
「うん。頼みます」
湯飲みからお茶を一口のみ、部屋中央のテーブルに置くと、啓史はベッドに仰向けに転がった。
ここは伯父がこの家を新築した時に、啓史用に用意してくれた彼専用の部屋だ。
伯母が見透かした彼のイライラの原因…それに気づくことに彼は抵抗していた。
実習に入って五日が過ぎた昨日の金曜日、啓史はちびすけの姿を見た。
ちびすけのやつには…逢いたくなかったのに…
あんなやつ、どうでもいいし…好きに男と付き合っていればいいのだ。
相変わらずチビのくせに…
「生意気だってんだ」
思わず声に出てしまい、啓史は一人きりの部屋で、気まずく顔を歪めた。
校舎を繋ぐ通路を通っていた時、啓史は校庭の隅にある手洗い場にいるチビに気づいた。
見るつもりなどなかったし、気づかなくても良かったのに…
彼に言わせれば、彼の視界に勝手に飛び込んできやがってと、文句を言いたい。
体育の後だったらしく、体操服を着ていて、ちびすけの隣には体操服姿の背の高い生徒がいて…手を洗ったチビの手を、首に下げたタオルでふざけながらも甲斐甲斐しく拭いてやっていた。
初めは、あの卒業式の時に、ちびすけに告白した、バレー部の主将だと思った。
だがそいつは…ちびすけの…女友達だった。
そう分かった途端、胸に湧いたムカムカが、戸惑いと腹立ち…そして処分できない苛立ちに変化した。
そんな自分の心の有り様が、彼はたまらなく許せなかった。
なんだってんだ…
やはり道を間違えたかもしれない…
人生の選択には迷いがセットになっているという荻野の言葉を、啓史は苦々しく噛み締めた。
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