ナチュラルキス
natural kiss

啓史サイド
思いの矛盾



「うひょー、ツマミ、ずいぶんと豪勢だな」

啓史がコンビニで調達してきたレジ袋の中身を見ながら、飯沢は歓声を上げた。

「そうか」

そっけない反応の啓史に対して、レジ袋から飯沢が顔を上げた。

真顔になっていた。

「ほんで……」

啓史はどきりとしたが、なんでもないように会話をスルーさせた。

「何が?」

「あ……いや、まあ、座れよ」

「ああ」

啓史は、飯沢の幅広い内容のおしゃべりに相槌を打ち、返事もし、それなりに飲んだ。

飯沢がどれだけ飲んだのかわからないが、いい気分になっている様子を見ると、啓史と同じほど飲んだのかもしれない。

「俺ら、来年の春には社会人なんだよなぁ」

しみじみと飯沢が言う。

「そうだな」

「深野は、予定どおり大学院に進むみたいだけどな」

「お前は?」

「いまになって聞くのかよ。決まってなきゃ、もっと必死の形相してるぜ。もち内定もらってる」

飯沢は胸を張り、指を三本突き立てる。

「三つだ」

「凄いじゃないか」

「だろ。こんな俺様を、褒め称えろよ」

「図に乗ってろ」

「そういう反応うまくねえなぁ」

飯沢はチッチッと舌を鳴らしながら、人差し指を振る。

「なあ佐原、俺、すっげぇ頑張ったんだ。これはな、その血の滲むような頑張りの結果なんだぞ。友達甲斐出してよ、気持ちよく乗らせてくれよ」

「ふん」

わかったという意味で啓史は頷いた。

「はあー、これだかんな……」

啓史にしては、かなりの譲歩であり、愛想いい返事のつもりだったが、飯沢には物足りなかったらしい。

唇を突き出していた飯沢は、お湯割りの焼酎を口にした。

「うまいな」

「まあな」

「なんかあったんだろ?」

唐突に問いかけられ、啓史は口を曲げた。

だが、内心舌打ちしつつも、ほっとしたものが胸に湧いた。

そんな自分に腑に落ちない気分でいると、意識なく口が開き、啓史は飯沢に向けて言葉を転がしていた。

「チョビ……覚えてるか?」

「ああ? チョビ? ……あ、ああ、橘の伯父さんとこの?」

啓史は頷いたが、自分が何を語ろうとしているのか、自分でもわからなかった。

「子犬の頃から、チョビを見てきただろ?」

啓史の言葉に、飯沢はまるで意味がわからないというような表情になった。

「あ、ああっと、そうなんだろうな」

曖昧すぎる返答に顔をしかめた啓史は、飯沢を鋭く睨みつけた。

「意味わかってんのか? お前、ちゃんと聞いてんのか? 酔ってんのか?」

「聞いてるさ。あのさ、お前こそ、何が言いたいんだよ?」

「これから言うんだ」

「ああ、そうかよ。それで?」

啓史は眉を寄せた。

何を……言おうとしていたんだったか?

「死んじまった、チョビの話なんだろ?」

「死んだとか言うな」

啓史はむっとして怒鳴った。

「ああ。悪い。それで? チョビがなんだって?」

「だからな、最初はこんなチビだったんだ」

啓史は両手で、子犬のチョビを思い描きながら、正確な大きさを表現しようと苦心した。

「まあ、そんなもんだろうな」

「ああ……で、順序良く大きくなってった」

「そりゃあ、順序たがえては大きくならないだろうよ」

「だろ!!」

啓史は我が意を得たりとばかりに、拳でテーブルを叩いた。

胡坐を掻いて座っていた飯沢が、そのままの姿勢で数センチ跳ねた。

「な、なんだよ。脅かすなよ」

「成長ってのは、こう、ちょっとずつ行われるもんなんだ。今月このくらいなら、次の月はこのくらい、その次の月はこのくらいってな。犬ならそうだが、人間となるとその成長は月ごとにゃ変わらない。だろ?」

「あ、ああそうだな。まあ、中坊の男なら、ひと月で、どかっと大きくなったりってことはあるだろうけど……」

「お前な、男の話じゃないんだぞ。何言ってんだ」

「あ、そ、そうだったな。中坊の男の話じゃなかったな」

「そういう矛盾する成長はだな、まるっきり卑怯だろ? お前だって、馬鹿にしてると思うだろ? そうじゃないか?」

だんだん思考がまとまらなくなってきた。

眠気に囚われているようだ……

「は……?」

「そうじゃないか?」

「佐原?」

「なんだ?」

「チョビの話だったよな」

「ああ、チビの……」

「お前、眠いのか?」

飯沢の声が遠くで聞こえた。閉じた瞼にぐっと力を入れた瞬間、世界が横倒しになった。

「かも……しれん……」

呟きに……吐き気を感じた……


壇上に、女に化けてしまったちびすけがいた。

それまで、パーティで賑わっていたと思うのに、そこにいるのは化けたちびすけだけだった。

明るかった舞台、なのに照明が落ちたのか、やたら薄暗くなっている。

客席にいたはずの啓史も、いつの間にやら舞台の上にいた。

ちびすけと同じ場に立っていることに、啓史は焦りを感じ、一瞬後、彼はそんな自分に苛立った。

啓史は眉をひそめた。

なぜなのか? 舞台の奥に佇んでいるちびすけは、まったく身動きしない。

まるで、人形みたいじゃないか?

啓史は、納得を感じた。

これは本物のちびすけではない。人形だったのだ。作り物……

ひりついた笑いが込み上げた。

そういうことか……

あのちびすけが、こんな大人っぽい美女に、そう簡単に成長するはずがないのだ。

安堵を感じた啓史は、人形でしかないちびすけに、ワザとずかずか歩み寄った。

瞬きしないちびすけ……

確認してほっとした。

命を感じない……やっぱり作り物……ただの人形だったのだ。

啓史は人形のちびすけをじっと見つめた。

彼女の何が、彼を翻弄するのだろう?

何が、彼の感情を波立たせるのだろうか?

「ち……」

ちびすけと呼ぶのをやめ、啓史は考え込んだ。

榎原……だったな……沙帆子だ。

いまは……そう呼ぶのが相応しい。

濃い紫色のドレッシーなドレスは、彼女の身体に纏いつき、後れ毛以上にセクシーなものを彼に感じさせた。

馴染みのない身体の反応……

ドクドクと心臓が胸板を打つ。

啓史は魅入られたように手を差し伸べ、彼女の血の気のない頬にそっと触れた。

「沙帆子」

呟きに答えるように、彼女の顎が上向いた。

啓史は驚きに身体を凍らせた。

頬に触れていたはずの啓史の指は、彼女の唇まで移動している。

「誰?」

薄く開いた唇から声がした……

「違うだろ!」


啓史はハッとして、目に映るものを凝視した。

明るい室内……

自分の身体にかけられている温かな布団……

彼は現実を取り戻そうとして、部屋の中を見回した。

もちろんここは飯沢の部屋だ。

ふたりして……飲んでた……

すでに室内は綺麗に片付けられていた。そして啓史以外、誰もいなかった。

飯沢のベッドも空だ。

どうやら飲みながら寝てしまった啓史を、飯沢は布団を敷いて寝かせてくれたらしい。

酒を飲んでひとより先に崩れるなんて……はじめてのことだ……

俺……

啓史は考えるのを止めた。

腕で目を塞いだ彼は、しばらくの間思考を停止させたままじっとしていた。

ガチャリと音がした。啓史は腕を外し、音のしたドアに向いた。

「なんだ起きたのか?」

「俺……迷惑かけたか?」

「珍しいとは思ったけどな。わけわかんないこと言いながら寝ちまった」

「すまん」

「別に謝るようなことされてないぞ。佐原、風呂、入って来いよ」

「ああ。そうするかな」

啓史は起き上がり、残っていた眠気を振り払った。

馬鹿な夢を見たもんだ。

そう思った啓史は、飯沢が口にした言葉を頭の中で繰り返し、ぐっと眉を寄せた。

わけわかんないこと?

「飯沢、俺、何を言った?」

「うん? チョビの話が、意味のわかんない話に発展しただけだけど……」

「何を言った?」

「なんで? 知るかよ。酔っぱらいの話なんて、いちいち覚えてねぇって……。正直、俺もかなり酔いが回ってたんだ……」

「だよな」

飯沢の言葉に、おおいにほっとした。

啓史は立ち上がり、ドアに歩み寄って行った。

あのちびすけは夢だ。

それ以外の何物でもない。

それが残念でならない自分の思いの矛盾に気づかないふりをし、啓史は部屋を出た。





 
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