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第177話 一緒の時を永遠に 完結
風呂から上がり、髪をドライヤーで乾かし終えた沙帆子は、浴室から出て、ダイニングのテーブルのところにいる啓史を、そっと窺った。
難しそうな本を読むのに集中しているようだ。
パジャマ姿で本を読んでる佐原先生も、なかなかのレア画像だよねぇ。
沙帆子は寝間着のポケットに入れている携帯を取り出す。
いくら本に集中していても、シャッター音が響くと気づかれる。それでも、お宝写真が一枚ゲットできるのだ。
よしっ、頑張るぞ!
気合いを入れた沙帆子は、気配を消して移動を開始する。
さて、どんなアングルで撮ってもカッコイイ先生だけど……ううーむ。
こそこそと動き、許される限り最高のアングルを探して回る。
いまの先生、本を読むのに凄く集中しているようだから、よっぽど気づかれないと思うんだけど……
おっ、ここからだと、でかうさと先生がいい感じで収まるっ!
でかうさはダイニングの中でもけっこういい場所に置いてもらっている。
この場所に置いたのは麗子さんで、先生はそれに文句が言えなかったのだ。
けどわたし、先生が時々でかうさのことを軽く威嚇しているのを知っているんだよね。
もちろん我が身が可愛いので、見て見ぬふりだ。
……でかうさ、ごめん。
その代わり、先生がお風呂に入った時とか、ぎゅっとハグして慰めてやっている。
正吉お祖父ちゃんと美枝子お祖母ちゃんからもらったコアラちゃんにはやさしいのになぁ。
そのとき、携帯の画面の中の啓史がこちらに向いた。
ぎょっとした沙帆子は思わずシャッターを押す。
チロチロリンと音がし、佐原はむっとした顔で眉を寄せる。
「お前、またか」
「すっ、すみませーーーん」
慌てて逃げようとしたが、あっさり捕まった。
「ご、ごめんなさい~」
「まったく。まあいいさ」
許しの言葉をいただき、沙帆子は抵抗するのをやめた。
「いっ、いいんですかっ?」
「よくはない」
「でっ、ですよね」
「いま撮った写メ、確認させろ」
「いっ、嫌ですよぉ~」
沙帆子は啓史の手から逃れようとジタバタもがきながら、携帯を必死に抱え込む。
「こら、抵抗するな」
「だってぇ」
そこで啓史は気を変えたようで、手を引いてくれた。
ほっと胸を撫で下ろす。
「今夜は色々あって疲れたし、もう寝るか?」
「えっ、一緒に寝られるんですか? 仕事はもういいんですか?」
昨夜も、佐原は夜中過ぎまで仕事をしていた。
少しは息をつけるようになったのなら嬉しいんだけど……
「ああ、今夜は何があっても、お前と一緒に寝る」
一緒に寝られると喜んでいた沙帆子だが……啓史が言外に込めている意味に気づいてしまい、顔が火照る。
「なんで赤くなってる?」
意地悪そうに啓史が言う。
「ベ、別に……」
く、くそぉ、先生ときたら……
その瞬間、手に持っていた携帯を奪われた。
「ああーっ」
素早く画像をチェックした啓史は、眉をひそめる。
慌てて沙帆子も画面を覗き込んでみたら……
「あっ!」
でかうさが、啓史を胸に抱え込んでいるかのように映っているではないか。
即座に消されるものと思ったら、啓史は沙帆子を離し、目にもとまらぬ速さで動き、でかうさに強烈なパンチをお見舞いした。
がふっ! と、ふっとんだでかうさの代わりに脳内で叫んでしまう。
「せ、先生! でかうさは何も悪くない……」
「悪くない?」
振り返った啓史は、でかうさを庇った沙帆子を険しい表情で睨んできた。
しまったーっ!
でかうさを庇っちゃいけなかったのに!
啓史が睨みつけたまま迫ってきて、彼女は震え上がった。
「ご、ご、ご……」
必死に謝ろうとしていたら、口に指を突っ込まれ、ぐいっと左右に引っ張られる。
「うがが……」
ひさしぶりのいたぶりに、沙帆子は啓史の腕を叩きながら「やめへぇ~っ」と情けない声で懇願した。
手加減してくれているのでまったく痛くはないのだが、みっともない顔を愛する夫に晒したくはない。
「さて、気が済んだし、そろそろ寝るか」
沙帆子を解放した啓史は、彼女の手を握り、引っ張って行く。
階段を上りそのまま寝室に入って、ベッドに転がされていた。
仰向けになっている沙帆子に、啓史がのしかかってくる。
ふたりの身体が密着し、沙帆子の心臓は大暴走だ。
真っ赤になっている顔を見られたくなくて、沙帆子は両手で顔を覆った。
すると手の甲に、ぬくもりのあるやわらかなものが触れた。
こっ、これって先生の……唇?
さらに舌で舐められてしまい、とてもじゃないが顔を覆ってなどいられない。
すると啓史がにやりと笑いかけてきた。
「今夜はたっぷり楽しむか」
「うう……」
とても、何をとは問えない。
ドギマギしていたら啓史が噴き出し、くっくっと笑い出した。
「せ、先生!」
「すまん。冗談が過ぎたな。けど……」
啓史は、沙帆子の胸の膨らみを手のひらで味わうように撫でる。
「あ」
甘い疼きに、沙帆子はぴくんと身体を震わせてしまう。
「いまこうしていられることに、感謝が湧いてならないな」
「先生?」
「お前のこと……むかつくほど愛してるぞ」
その告白に沙帆子は息を止めた。
「先生ってば……むかつくほどが……余計ですよぉ」
思わず涙声で抗議してしまう。
けれど、胸の中には震えるくらいの感動が湧き上がっていた。
佐原に片思いしていた頃の自分を思い出し、この現実が夢のように思える。
バレンタインデーの日、広澤に渡す予定だったチョコが、思いがけず佐原の手に渡ってしまい……現実とは思えなかった。
けど、あれがすべての発端になったんだよね。
その夜、結婚話が持ち上がり、あれよあれよという感じで、佐原の家にお泊りすることになって……
なんと婚約指輪を買ってもらい……その夜、初めてキスをした。
結婚式までそんなに日にちはなかったのに、式を挙げる教会に行ったり、先生の実家に行ったり……
あのときは、中学の時の担任だったテッチン先生が佐原先生の兄だという事実に、もうすっごいびっくりしたんだよね。
そうそう、テッチン先生がわたしの実家まで結婚をやめるように説得にきたこともあったっけ。
先生のマンションにわたしの荷物を運び込んだ日、ママに、いまならまだ引き返せるって言われて、わたしは佐原先生と一緒にいたいから、結婚は止めないって言った。
それなのにわたしは、式の当日ですらまだ半信半疑だった。
先生はその気もないのに、いまさら撤回できなくなって、仕方なくわたしと結婚するんじゃないかって……物凄く不安だった。
そしてその夜、『むかつくほど愛してる』って、先生言ってくれたんだよね。
わたしはそれで、ようやく先生に愛されてるんだって思えたんだ。
本当にこの二ヶ月の間に、色々なことがあった。
そしてこれからも、佐原先生と一緒に時を過ごしていけるんだ。
「わ、わたしだって……むかつくくらい、先生のこと愛してますから」
涙声で言ったら、啓史はくすっと笑う。
けれどその目が涙で潤んでいることに気づき、沙帆子はもう何も言えなくなった。
そっと抱き締められ、沙帆子はありったけの思いを込めて愛するひとを抱き締めたのだった。
End
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