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11 手柄じゃない
車が走り出し、十分もすると町中から遠ざかってしまった。
観光地だからか、住宅はぎゅっと集まっているようだ。ちょっと離れると、家はまばらになってしまう。
走っている道もそれほど広くない。
わたしたち、いま、温泉旅行に向かってるんだなぁ。
いまだカーナビ論戦に熱を入れている両親を尻目に、そんなことを考えて、沙帆子は胸を弾ませた。
考えたらこれって、先生と一緒に出掛ける初めての旅行なんだわ。
いまさら気づき、やにわにドキドキしてきた。
沙帆子は隣に座っている啓史にちらりと目を向けた。
沙帆子の視線に気づき、啓史が沙帆子を見つめてくる。
『なんだ?』と、その目は聞いているようだ。
両親に聞かれると照れ臭いので、沙帆子は啓史の耳に唇を寄せた。
カーナビの精度について語り合っているから、小声で話せば気づかないだろう。
「いまさらですけど、これが先生と……啓史さんと行く、初めての旅行だなって」
「だな」
短い返事だけど、気持ちがこもっていて、胸が温かくなる。
旅行って、修学旅行なんてものの他は、両親や祖父母と一緒の旅行だけ。
まあ、今回も家族旅行ということになっちゃうんだけど……先生が一緒って時点で、もう特別だ。
そのうちには、先生とふたりきりの旅行に行くことだってあるよね。
佐原先生とふたりきりの旅行って、なんかもうスペシャル過ぎるし!
そうそう、結婚式の翌日、先生、ハネムーンの話も口にしてくれたんだったっけ。
ハネムーンか……考えるだけで照れちゃうなぁ。
未来に胸を膨らませ、沙帆子は流れる景色に目をやった。いま、小さな川に沿って走っている。
そういえば……両親のところに向かう間、ずっと道沿いを流れていた大きな川……いつの間に川から離れてしまって……どこで離れたのか今回も気づけなかったな。
次のチャンスでは、そこのところをしっかり確認するとしよう。
そんなどうでもいいことを真面目に考えている間に、車はどんどん山手に向かっていき、辺りはすっかり山の中となってしまった。
それでも、民家はぽつりぽつりと建っている。
「こういうところ、月の出ていない夜は、鼻を抓まれてもわからないくらい真っ暗になっちゃうんじゃないかなぁ?」
沙帆子は、我知らず口にしてしまっていた。
「外灯もないしな」
啓史が返事をしてくれ、窓の外の景色に目を向けていた沙帆子は、彼を振り返った。
「ですよね」
「怖がりの沙帆子は、絶対に住めないな」
幸弘からからかうように言われ、沙帆子は顔をしかめた。さらに芙美子まで追い打ちを掛けてくる。
「そうそう、なかなか自分の部屋で寝られなくて、五年生になるまでわたしたちの部屋で寝てたわよね」
子どもの頃の恥ずかしい話を持ち出され、沙帆子は顔を赤らめて「そんな話やめてよ!」と抗議した。
「納得だな」
啓史がそんなことを言い出し、沙帆子は眉をひそめた。
「何が納得なんですか?」
「お前が怖がりってこと」
「わたしに限りませんよ。女の子は誰だって怖がりですよ」
まあ、千里はあんまり怖がりじゃないみたいだけど……詩織はわたしより怖がりだと思う。
「順平も怖がりだぞ」
順平の名が啓史の口から挙がり、「あら、やっぱり」と芙美子が言う。
「ええ。あいつは雷が嫌いで、雷が鳴ると、いつでも隣の俺の部屋に逃げ込んできてましたよ」
「まあ、啓史君の部屋に逃げてきたの? 佐原先生の部屋じゃなくて?」
芙美子は意外そうに聞き返す。
「徹兄は、怖がっている相手をさらに恐がらせて楽しがるところがあって……」
その説明に、沙帆子はぷっと噴いてしまった。
テッチン先生、そういうところがあったあった。
そして確かに啓史ならば、怖がっている人をさらに恐がらせて楽しむような真似はしなさそうだ。
兄弟でもずいぶん違うものなんだなぁ。
「聞かなきゃわからないものねぇ。けど、面白いわね」
そう言って笑った芙美子は、少し考え、また話し出した。
「考えたら、幸弘さんって、佐原先生に似てるかもしれないわね」
そう言われて、沙帆子は思わず大きく頷いた。
「ママ、そうかも」
「確かにそうですね。俺も似てる気がします」
啓史まで同意し、三人して笑い合う。すると幸弘が口を出してきた。
「徹君に似てると言われるとは、光栄だな。彼は人格者だからな」
「で、自分も人格者と言いいたわけね? 幸弘さん」
「僕は人格者だ」
幸弘はきっぱり宣言する。
パパが人格者というのは、微妙だとわたしは思うけどな。
「人格者というのは、先生……啓史さんのお父さんですよね」
また先生と呼んでしまい、言い直す。
けど、けっこうすんなり名前で呼べたよね。
「それは間違いないわ」
芙美子も納得して言い、幸弘はいつものように「ちぇっ」と拗ねてみせる。
「パパ、人格者は『ちぇっ』なんて、言わないと思うよ」
「人格者だって、『ちぇっ』くらい言うさ」
そう言った幸弘が、どうしたのか、「うん?」と声を出す。
「どうしたの?」
「いや、地図で行くと、この辺りなんだが……」
「えっ、もう温泉に着くの?」
「家を出てまだ五十分だぞ。あと四十分はかかる。だが、この辺りで曲がるはずなんだ。けどカーナビに道が表示……」
幸弘がそう言った時、前方に大きな道路が横断しているのに出くわす。
「幸弘さん、あの大きな道に入るんでしょうよ」
「どうやらそうらしいな」
「新しい道のようですから、カーナビに表示されないんでしょう」
「こういうのが、醍醐味なんだ。お前ら、ワクワクするだろう?」
幸弘は同意を求めてきたが、誰も返事をしない。
「なんだよもおっ。ノリの悪い奴らだな」
ぐちぐち文句を言いつつ、幸弘は大きな道に入った。カーナビの表示には、車が道なき道を走っているように見える。
「確かに面白いですね」
沙帆子と同様にカーナビの表示を見ていた啓史が、くすくす笑いながら言う。
「だろう。最新式のカーナビじゃ、こんなことはないぞ」
それはそうだろう。けど、パパったら、何を手柄のように言ってるんだか。
そのあと、車は大きな道を爽快にひた走ったが、残念なカーナビは迷走状態に陥った。
そして予定していた時間通りに、沙帆子たちは温泉に到着していた。
カーナビは最後まで迷走状態のままだったが、幸弘が用意していた地図が分かりやすく、さらに温泉地までの道もきれいに整備されていて、迷う要素がなかったのだ。
「まあっ、素敵な宿じゃないの」
芙美子が感激して声を上げる。
「いいですね」
啓史も笑みを浮かべる。
本当に素敵な宿だ。
緑の中に平屋の建物が佇んでいる様は、文句のつけようがない。
さらに、川のせせらぎも聞こえ、空気は澄み切っているように感じる。
宿の玄関からスタッフが数名出てきた。手厚い歓迎を受け、宿の中に案内される。
幸弘がフロントでチェックインの手続きをしている間、なんと囲炉裏端に案内され、御抹茶と和菓子でもてなされた。
そして案内された部屋に、沙帆子と芙美子はキャーキャー言いながら大興奮してしまった。
「幸弘さん、あなた最高だわ」
芙美子は夫を称賛し、ぎゅっと抱き着く。
そんな両親を見て笑いながら、沙帆子は自分に寄り添ってくれている啓史を見上げた。
「いい思い出ができそうだな?」
沙帆子は大きな笑みを浮かべ、「はい」と返事をしたのだった。
つづく
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