ナチュラルキス ハートフル
natural kiss heartful



14 温泉宿探索堪能



四階という中途半端な階で降りて、どこに行くのだろうかと沙帆子は思いつつ、くねくねと曲がっている通路を啓史と並んで歩く。

くねくねした通路もだけど、建物の雰囲気が、先ほどの展望台とはがらりと変化している。

沙帆子は興味深く周りを見回した。

それにしても、わたしたち、いまどこら辺りにいるのかな?

わたしは、だいたいの見当すらつかなくなっちゃってるんだけど。

「さっきの展望台は日本の古き良き建物って感じでしたけど、ここはとっても洋風ですね」

沙帆子はキョロキョロしつつ啓史に話しかけた。

「そうだな。和洋折衷、古典的で……洋にも風情があるな」

啓史の言葉に同意し、沙帆子はうんうんと頷いた。

今時の洋風ではなくて、古典的な洋風建築。

明治時代に西洋の文化をがっちり取り入れた感じっていうのが一番しっくりくるかな?

ハイカラさんとか……そんな雰囲気。

「なんかとってもいいですねぇ」

胸が弾み、沙帆子は我知らず啓史の腕に自分の腕を絡ませた。

そのとき、前方に水色のガラス格子のドアが現われた。ガラスの向こう側に照明の光が見える。

あの向こう側って……外みたいだけど?

けど、ここは四階だよね?
ベランダか、バルコニーでもあるのかな?

啓史が沙帆子を連れてきたかったところというのは、そのドアの向こうらしく、彼はドアに歩み寄り、取っ手に手をかけた。

「うん、よかった。いまは誰もいない様だな」

ガラス越しに外を覗いた啓史は、ほっとしたように口にする。

「ドアの向こうに何があるんですか?」

そう尋ねつつ、沙帆子は自分もガラスの向こう側を覗き込んでみた。

「わっ!」

予想外の景色が広がっていた。
なんと木立があったのだ。

ライトに照らされ、大きな幹の杉の木が、何本もそびえ立っているのが見える。

どう見ても雑木林だよね。けど、ここ四階の筈なんだけど……
どういうこと?

戸惑っていたら啓史がドアを大きく開けた。外に下駄が置いてあり、啓史は男性用の下駄を履いて外に出ると、沙帆子のために女性用の下駄を彼女の前に揃えてくれる。

うわーっ、佐原先生に履き物を用意してもらっちゃった。

「あ、ありがとうございます」

感激してお礼を言い、下駄を履く。

それから、沙帆子は改めて周りを眺めまわした。

「ここって……?」

「山肌に沿ってこの宿は建てられてるんだな。本館はさっき展望台のあった南側の建物で、この中庭を囲うようにして建てられた棟は、あとで増築していったんだろう」

啓史の説明に頷きながら沙帆子は周りの建物を見ていったが、渋いパステル色のデザインの屋根があって目を引かれた。

「宿の真ん中に、こんな風に自然を残してあるって素敵ですね」

「ああ、いいな」

啓史は微笑み、沙帆子の手を引いていく。

柵越しに中庭の自然を楽しむのかと思ったらそうではなかった。

啓史の連れて行った先にあったのは、なんと足湯だ。

「うわーっ、レトロで洒落た足湯ですね」

足湯の真ん中に天使の像があり、そこから温泉が湧き出ているのだ。

水面はやさしく波立ち、照明のやわらかな明かりでキラキラしてる。

掃除も行き届き、濡れた足を拭くためのタオルまで充分に用意されている。

いたれりつくせりだなぁ。

「ほら沙帆子、さっそく浸かろうか。すぐに人が来るかもしれないし、いまのうちにふたりきりで楽しもう」

「はい」

勢い込んで返事をした沙帆子は、下駄を脱ぎ、浴衣の裾を持ち上げながら、さっそく湯に足をつけてみた。それに啓史も続く。

「わあ、ちょうどいい湯加減ですね」

「ほんとだな。気持ちがいい。ほら、座ろう」

沙帆子は頷き、啓史の隣に座った。そうして湯の中の啓史の素足を見つめた。

湯の中に自分の素足と啓史の素足が並んでる。

その光景に、凄く幸せな気持ちになる。

啓史がキラキラと輝く澄んだお湯の中で両足を揺らす。それがとても気持ちよさそうで、沙帆子もそれを真似た。

すると啓史は、ちょっと悪戯するように、足先で沙帆子の足先に触れてくる。さらに手も握られて、沙帆子の胸は大きく高鳴った。

もう温泉最高だぁ♪

宿を探検して、さらに足湯まで先生と堪能できたなんて……

こんな素敵な宿に連れて来てくれたパパに感謝だなぁ。

さすがに先生と一緒に温泉には入れないけど、足湯に入れたから、もうこれで充分だ。

「なあ、沙帆子」

「はい」

「部屋にある露天風呂もよかったぞ」

「そうですか。……そういえば先生、パパとふたりで、どうでした?」

そう聞いたら、啓史が顔をしかめる。

「まさか、パパ、先生に何か失礼なことでも?」

焦って聞いたら、啓史は肩を竦める。

「まあ、色々話した。幸弘さんと一緒に温泉に入るってのは、正直微妙だったんだが……実際は楽しかったぞ」

「そっ、そうですか。それならよかったです」

「あのな、そんなことはどうでもいいんだ」

どうでもいい?

首を傾げたら、啓史は「今夜……」と口にしたが、そこで人の声がした。

啓史は言葉を止め、沙帆子も人の声のした方に視線を向けてみた。
若い女性が三人だ。みんな宿の浴衣を着ている。

「……仕方ない、もう行くか?」

立ち上がりながら、啓史は残念そうに促してきた。沙帆子も頷いて立ち上がった。

先生もだろうけど、わたしも他のひとたちと一緒に足湯をするのは躊躇われる。

「ほら」

啓史がタオルを取って手渡してくれ、それをありがたく受け取って急いで濡れた足を拭く。
女性客たちは、もう下駄を脱いで足湯に入るところだ。

沙帆子たちが入って来たドアに歩み寄っていたら、申し訳なさそうに声を掛けられた。

「なんか、お邪魔しちゃったみたいね」

「ごめんなさいねぇ」

沙帆子は振り返り、「いいえ」と笑顔で会釈した。

啓史の方は何も言わず、ふたりは宿の中に戻った。

「あまり堪能できなかったな」

なぜか啓史はすまなそうに沙帆子に言う。

「そんなことないです。ちゃんと堪能しましたよ。それに、またひとつ、……け、啓史さんとの思い出ができて、嬉しいです」

照れつつ言ったら、啓史に頭を撫でられ、頬が染まる。

「そうか? まあ、気持ちよかったな?」

「はい。とっても」

あっ、そういえば……先生さっき、何か言い掛けたよね?

「啓史さん、さっき何か言い掛けたのって……」

今夜とかって……言ってたと思うけど……

啓史を見上げると、彼は沙帆子を見つめ返してきて、含んだような笑みを浮かべる。

「啓史さん?」

「とにかく部屋に戻ろうか。そろそろ食事の時間だしな」

「もうそんな時間ですか? きっとご馳走ですよね。楽しみです」

「俺も」

結局、そのまま部屋に戻ることになってしまった。
芙美子と見た、写真のような窓を見られてないのだが……

食事を終えたら、また一緒に行けるだろう。

部屋に戻ると、テーブルの上には予想していた以上のご馳走が並んでいた。

「すっごーい」

沙帆子は思わず声を上げた。だが、芙美子からお小言を食らう。

「あんたたち遅いわよ。ご馳走を前にずっとお預け状態だったのよ」

「すみません。そんなにお待たせしましたか?」

「まあ、五分くらいね」

そんな啓史と芙美子のやりとりをよそに、沙帆子は目を丸くしてご馳走を眺めていた。

「ほんと凄いね」

「啓史がいて、四人分だからな。それで、なお豪華に見えるんだろう」

幸弘の言葉に、沙帆子はなるほどと思う。

これまで両親と三人で旅館に泊まってたわけで……そうすると三人分の料理が並んでたんだけど、今日は四人分。
一人分多いだけで、ずいぶん雰囲気が違う。

「さあ、いただきましょうか」

「おいおい、芙美子ちゃん。せっかくだ、写真を撮ろう」

「えーっ、まだお預けなのぉ?」

不平を言いつつも、芙美子は幸弘の構えるカメラに向けて、ちゃっかりポーズを取る。

沙帆子も啓史に寄り添い、幸弘に写真を撮ってもらえた。

お宝写真がまた増えたと、内心ほくそ笑む。

数分間写真を撮り、ついにご馳走をいただくことになった。

どれもこれもとっても美味しく、和気あいあいとした雰囲気でおしゃべりも弾む。

幸弘とお酒を酌み交わしながら、料理をおいしそうに食べている啓史の側にいられる夢のような現実に、どうにも目尻が下がる。

佐原先生、お酒のせいでほんのり頬が染まってて、なんとも色気が滲んでいらっしゃるんですけどぉ。

そんな啓史の隣にいて胸をドキドキさせつつも、沙帆子は手の込んだ料理に舌鼓を打ったのだった。




つづく



   
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