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16 ハイのわけ
「みんな、荷物まとめた?」
芙美子が声を掛けてきて、沙帆子は自分の荷物を確認して「うん」と答えた。
もう宿を出る時間だ。
ほんと、あっという間だったなぁ。
けど、すっごい楽しかったし、思い出がいっぱいできた。温泉も存分に堪能できたし……
今朝は早く起きて、芙美子と露天風呂に入った。
それに昨夜は、寝る前に佐原先生と一緒に、写真みたいな窓も覗きに行けたし、やりたかったことは全部やれたよね。
にまにましつつ一晩お世話になった部屋を眺めていたら、啓史が沙帆子の手を取る。
「ほら、ぽけっとしてたらおいてかれるぞ」
確かに、幸弘と芙美子はもう部屋を出ていくところだ。
「だって、名残惜しくて……」
「俺もだ。もう一度露天風呂に浸かりたくなるよな?」
苦笑しつつ言う啓史に同感して、沙帆子は大きく頷いた。
「いい宿だったし……また来よう」
「はい」
嬉しくて笑顔で頷くと、啓史が顔を近づけてきた。
わわっ!
「今度は……ふたりで、な」
耳元に囁かれ、一瞬にして頬が赤らむ。
するとそれを見て、啓史がくっくっと笑う。
もおっ、先生ってば……
わたしが赤くなるのが面白いんだろうけど……身体が勝手に反応してしまうのだから、どうしようもない。
ふたりは幸弘と芙美子を追い、部屋を後にしてロビーに向かった。
最初は迷路のようだった宿も、いまではだいたいどこに何があるか分かる。
両親に追いつくと、ふたりはあの写真のような窓を眺めていた。
沙帆子も啓史とともに、窓のひとつを覗いてみた。
「わあっ、朝の景色……啓史さん、いいですね?」
「ああ。少し靄がかかって、幻想的だな。昨夜は外灯の明かりで、暗闇とぼんやり浮かび上がった景色がいい感じだったが……」
「どちらもいいですよね?」
どの窓から見える景色も素敵で、ひとつひとつ眺めながらゆっくりとロビーに向かう。
そんな時間を特別に感じた。
宿を後にしてからは、遠回りして山間のドライブを楽しみ、お昼には藁ぶき屋根の古風な感じのおそば屋さんでおそばをいただいた。
胸をいっぱいにして旅を満喫していたら、もう両親の家の近くまで戻ってきていた。
家族旅行はこれで終わったわけだが、沙帆子にとっては両親の家もまだまだ新鮮で、まだ旅気分だ。
「ねぇ、あなたたち、夕食はこっちで食べる? それとも早めに帰るの?」
助手席から後ろに首を回し芙美子が尋ねてきた。啓史は沙帆子に問うような目を向けてくる。
わたしが決めろってことみたいだ。
沙帆子としては、すぐさま帰るより、もう少しここでゆっくりしたい。
「食べて帰るのでいいですか?」
「ああ、それでいい。芙美子さん、いいですか?」
「ええ。なら、夕飯は早めにしたほうがいいわね。向こうに八時前には帰り着けるくらいにここを出る?」
「はい。それでお願いします」
夕食を食べてから帰ることに決まり、喜びが湧く。
「ママ、夕食は何にするの? 買い物に行く必要があるなら、このままスーパーに寄る?」
「そうねぇ……旅館で美味しいご馳走を食べてきたから……何を作るのでも……」
そこで芙美子は、何か思いついたように「あっ」と叫んだ。
「ママ、どうしたの?」
「バーベキューはどうよ?」
「バーベキュー?」
「おっ、いいなバーベキュー」
幸弘もノリノリで同意する。
「啓史君の実家や果樹園の家でやって楽しかったから、我が家でもやりたくって」
そこで芙美子は、なぜか、ちょっと申し訳なさそうな視線を啓史に向ける。
「啓史君は運転しなきゃならないから、お酒飲めなくて残念だろうけど……」
ああ、そういうことか。と思っていたら、啓史が「俺は酒が飲めなくても構いませんよ」と言う。
「そう? それならやりましょうか?」
芙美子は、俄然張り切り出す。沙帆子もテンションが上がった。
旅の最後に両親の家で初バーベキュー! 最高だ。
「けど、バーベキューの道具とか、あるの?」
「これから買いに行けばいいじゃない。ねぇ、幸弘さん」
「おう。よし、ならこれからホームセンターにレッツゴーだな」
そんなわけで、急きょホームセンターに向かう。
ホームセンターは、けっこう混んでいた。
店内に入り、啓史と幸弘は肩を並べて、目的のバーベキューの器具が置いてあるコーナーに向かっていく。そして芙美子も、ふたりにぴったりくっついて歩いて行く。
沙帆子も三人に遅れまいとついて行くが、店内に並んでいる商品についつい目が向いてしまう。
ホームセンターって、ほんと色んなものがあるよねぇ。
きょろきょろしていた沙帆子が、三人の方に向いたら、もう姿が見えない。
ええっ! どっ、どこ?
焦って走りながら、横に伸びている通路を確認していたら、啓史が目の前にひょいと表れて驚いた。
わっ、びっくりした!
「何やってんだ。ほら、こっちだぞ」
啓史は沙帆子の手を掴み、引っ張って行く。
幸弘と芙美子はすでにバーベキューの器具を見ていた。
「色々あって、どれにしていいかわかんないわね」
「これでいいんじゃないか? 啓史の実家にあった奴に似てる」
「ああ、確かに。こんな形だったわね」
両親が言っているのは、ドラム缶を半分にしたみたいな頑丈なやつだ。
確かに、先生の実家で使ってたやつは、これに似てたかも。
「そうですね。それなら大勢でもやれるし……ただ、四人でやるには少々でかいかもしれませんが」
「そうなんだろうが……今後、お客さんが大勢来る予定がすでにあるからな」
「大勢? なら、種類の違うやつをふたつ買うのも手ですよ。あそこの庭は広いから、二台で違うものを焼けば……」
「おっ、それいいじゃないか、啓史」
幸弘は啓史の意見に弾んだ声で言う。
「ほんとね。幸弘さん、そうしましょうよ」
「よし。なら、ひとつはこれにするとして……もう一つはどれにする?」
その言葉に、沙帆子は勢い込んで、「これっ!」と叫んだ。
三人が沙帆子に向く。
ここにきて一番に目についたやつなのだ。
丸いドーム型をしていてとっても可愛い。
「ああ、それなら、手軽に使えていいかもな」
啓史に賛成してもらえ、嬉しくなる。
「俺と芙美子ちゃんのふたりでやるのにも、それならよさそうだな」
みんなの意見が合い、そのふたつを購入することになった。
バーベキューに精通している啓史がいるおかげで、必要な道具もすぐに揃えられた。
それにしても、先生、なんかとっても張り切ってるようなんだけど。
そんな啓史が気になり、沙帆子は幸弘と芙美子がレジで支払いをしている間に啓史に話し掛けた。
「先生、バーベキュー好きなんですね?」
沙帆子の問い掛けに、啓史は眉を上げ、じっと見つめてくる。
「……え、えっと……」
「確かにな」
「は、はい?」
「夕飯の中では一番好きだった。俺の誕生日はいつもバーベキューにしてもらってたし」
へーっ、そんなにバーベキューが好きなんだ。
「なら、わたしたちも果樹園の家でバーベキューやっちゃいます?」
「俺とお前のふたりでか?」
「ふたりじゃダメですか?」
「いや……お前となら、ふたりでも楽しいだろうな」
うわっ!
な、なんか、すっごく嬉しい言葉をいただいたような。
「なあ、沙帆子。俺がバーベキューを好きな理由、わからないか?」
喜んでいる沙帆子に、啓史はそんな問いかけをしてきた。
なぜか笑いを堪えていらっしゃる。
「えっと?」
バーベキューが好きなわけ?
「バーベキューを好きなことに、理由があるんですか?」
「ああ。……甘い味付け……されなくてすむだろ?」
その言葉に沙帆子は納得した。
そっ、そういうことか。
「だから、バーベキューだと、俺、自然にハイになるみたいだな」
そんなことを口にして苦笑している啓史に沙帆子も笑ったが、バーベキューにハイになってしまうわけを考えると、ちょっと切ない気持ちになる。
沙帆子は思わず啓史の手を取り、ぎゅっと握り締めていた。
「うん?」
啓史は手を握り返してきたが、首を傾げて沙帆子の顔を覗き込んでくる。
「……なんだ、もしかして俺、同情されてるのか?」
「そっ、そんなつもりは……」
焦って首を横に振ったが、啓史は沙帆子の頭に手を置いてきた。
「わかりやすいやつ」
啓史はくすくす笑いながら、沙帆子の髪をやさしくくしゃくしゃっとする。
切なさを感じていた胸は、甘いもので満ちてキュンとしたのだった。
つづく
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