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3 真似事にお誘い
「つまり、ハネムーンってわけね?」
芙美子が楽しそうに口にし、沙帆子は口にしていたプリンを喉に詰まらせそうになって咳き込んだ。
夏休みになり、つい先ほど両親の家にやってきたところだ。
今回は二泊して帰る予定でいる。
そしてこのプリンは、沙帆子と啓史が買ってきたお土産。
平日なので幸弘は仕事に行っている。
「あらあら沙帆子、大丈夫?」
「う……ご、ごほっ、ごほっ……」
ようやく咳が収まり、沙帆子は怖々と隣にいる啓史を見る。
啓史は芙美子をじーっと見つめ返しているが……
うひゃーっ、やっぱり顔が引きつっていらっしゃるっ‼
もおっ、ママったら!
別荘に行くって話しただけなのに、ハネムーンだなんて先生が拒絶反応を起こすだろう単語をわざわざ使ったりして!
絶対ワザとだし。
「マ、ママっ!」
沙帆子は冷汗を掻きつつ、小声で母親を諫めた。
「いいわねぇ、ハネムーン。思い出すわぁ」
娘の諫めなどどこ吹く風、芙美子は啓史の反応に気をよくした様子で、そんなことを満足そうにのたまう。
「芙美子さんたちは、新婚旅行、どこに行かれたんですか?」
顔を引きつらせていた啓史だが、気を取り直したように芙美子に尋ねた。
ハネムーンではなく、新婚旅行と口にした啓史の声には、警告に似た響が含まれているような気がしたが、きっと沙帆子の気のせいとかではないだろう。
しかし、両親のハネムーン話か……
わたし、すでに耳にタコってくらい何度も聞かされてるんだよね。
幸弘と芙美子のふたりは、二週間の予定で、行き当たりばったりで日本各地を回ったのだそう。
行く先々でいろんなことが起き、素敵な出会いあり、トラブル有りだったらしい。
沙帆子が一番好きなのは、親切な老夫婦との出会いなのだが、芙美子はさっそくその話を啓史に始めた。
風景が綺麗だと地元の人から聞き込み、片田舎の場所を訪ねた。
だが、その帰り道で夜が更けてしまい、野宿かと覚悟したその時、老夫婦に助けられ、両親は一泊させてもらったのだ。
そうだ、アルバム。
沙帆子は立ち上がり、リビングの棚に並べてあるアルバムから、ハネムーンというピンクにハートがプリントされたラベルの貼られものを探し出して戻った。
「あら沙帆子、気が利くじゃないの、ありがとう」
アルバムを手に取った芙美子は、目的のページを開いて啓史に見せた。
沙帆子も覗き込んでみる。
ちょっと頑固そうなおじいちゃんと、まるっこくて可愛い笑顔のおばあちゃんと、若々しい芙美子が並んで映っている。
思わずふふっと笑みを浮かべてしまう。
「このおじいちゃんとおばあちゃん、元気にしてるのかな?」
芙美子に問うと、ちょっと考え込んでから芙美子は口を開いた。
「年賀状のやりとりはずっと続いてるんだけど……会いには行けずにいるのよね」
そう言って頬づえをついた芙美子は、瞳に懐かしそうな色を称えて天井を見上げる。
「あの時間があまりに特別で……再会することで思い出が塗り替えられてしまうのが惜しいって……わたしも幸弘さんもそんな気がして……。おかしなものね」
芙美子はそう言って、照れたような笑みを浮かべる。
母の気持ちは、沙帆子にはわかるようでわからない。
わたしがもっと年を取ったら、ママやパパの気持ちを理解できるようになるのかな?
それからしばしアルバムをネタに楽しみ、リビングで涼んだ後、沙帆子は芙美子から布団を干すように言われて、自分たちの部屋に足を運んだ。
沙帆子の後ろには荷物を持った啓史がついてきている。
「先生、暑いからリビングで涼んでいていいですよ。わたし、お布団ちゃちゃっと干して戻りますから」
「俺も手伝うさ。それにしても、こっちは昨日まで雨が続いてたんだな」
そうなのだ。それで布団を干す機会がなかったらしい。
けど、今日はとっても良い天気だ。
「向こうはずっと晴天だったのに……ずいぶん違うもんですね?」
「そうだな」
部屋につき、沙帆子はドアを大きく開けて啓史が入るのを待った。
七月はやって来られなかったので、約一か月半ぶりだ。
「なんでか、この部屋って、不思議とほっとします」
「俺もだ」
啓史が同意して笑う。
その笑顔に、沙帆子の胸はくすぐったくなる。
なんでだろう?
笑顔が爽やかすぎるから?
ああ、そうか。
年上の佐原先生が、ぐんと近づく感じがするからかも。
「向こうじゃ、どこにいても無意識に緊張してんだろうな。さて、布団干すか?」
「はい」
返事をした沙帆子は、薄い羽毛の掛け布団を掴み、持ち上げた。
啓史の方は、重い敷布団を引き受けてくれる。
軽すぎる掛け布団を抱えてベランダに出て行ったら、下から芙美子が「沙帆子ぉ」と呼びかけてきた。
手すりまで歩み寄って下を見下ろすと、一階の窓を開けて母が手を振っていた。
「なあにぃ?」
「布団を干す前に、手すりを拭かなきゃダメよ。お布団が汚れちゃうわよ」
確かに、そうだわ。わたしってば、気が回らなかった。
「わかったーっ」
返事をして啓史の方に振り返ったら、敷布団を手にしていた彼は、「雑巾、取ってこよう」と部屋に引き返す。
そんな啓史を見て、なんか、こういうやりとりいいなぁ、と思ってしまう。
無事布団を干し、リビングに戻ろうとしたが、啓史がベッドに仰向けに転がった。
「先生?」
「お前も、こっちに来い」
ベッドの空いているところを叩いて、啓史は命じてくる。
ちょっと頬を赤くしつつ、沙帆子は啓史の隣に転がった。
すると啓史は肩肘をついて上体を起こし、上から沙帆子を覗き込んできた。
顔の近さにもじもじしてしまい、沙帆子は慌てて口を開いた。
「スプリングが利いてるから、お布団がなくても寝心地悪くないですね」
慌てている沙帆子を見て、啓史は笑いを堪えていたが、「だな」短い返事をしたあと、笑いを消した。
何か言いたそうにしている。
「え、えっと……先生?」
「なあ沙帆子」
「は、はい」
「芙美子さんと幸弘さんの、新婚旅行の真似事、してみるか?」
「えっ?」
新婚旅行の真似事ってことは、先生とわたしで、日本各地を行き当たりばったりで巡ってみるってこと?
「もちろん、あそこまで無謀はしない。行けても二泊だしな。実はな、伯父貴の南の別荘、さっき話に出た県内なんだ」
「えっ、そうなんですか?」
「あの写真の風景を目に収めたいと思ってな。お前はどうだ? 行ってみないか?」
その誘いに、沙帆子の胸は大きく膨らんだ。
結婚したばかりのパパとママが目にした景色。
これまでアルバムでしか見たことのなかった景色を、この目で見られるの?
もしかしたら、あのおじいちゃんやおばあちゃんとも会えるかもしれないよね。
「行きたいです!」
興奮気味に声を上げた沙帆子は、素敵なお誘いをしてくれた啓史に思い切り抱き着いたのだった。
つづく
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