ナチュラルキス ハートフル
natural kiss heartful



22 抜けていた記憶(荻野サイド



ほんとに、いい顔するようになったよな。

目の前で弁当を食べている啓史を見つめ、荻野尚樹はそんなことを感慨深く思う。

教育実習生として啓史がこの学校にやってきたとき、少しの期間だが共に過ごした。

あの時の彼は……とても熱心で前向きだったが……

うん?

ふと気になることが頭をかすめ、尚樹は眉をひそめ、そして考え込んだ。

いたんだよな?
あのとき、一年生の中に、彼女が……

いま、啓史の妻となっている女性……この学校の生徒……いまは三年生となっている榎原沙帆子が……

二年前、一年生だった彼女のことは、残念なことにまったく記憶にない。

俺の担当は化学で、彼女のクラスとはまるきり無関係だったからな。

もしかすると、校内のどこかですれ違ったりしたことがあったのかもしれないが……

記憶にないのが、なんとも惜しい気がしてならない。なんせ、この佐原啓史の妻となった女性なのだ。

どんな女性が、この特別感満載の男の心を掴むのだろうと興味深く思っていた。

それが、現役の女子高校生だったとは……

しかも、すでに結婚までしているとは……

事実を知ってかなり経つってのに、いまだに信じられないんだよな。実感を伴わないというか……

うーーむ。

まじまじと啓史を見つめてしまっていたら、ふいに顔を上げてこちらを向いた。目がばっちり合い、意味もなく焦る。

「荻野先生?」

怪訝な顔で呼びかけられ、「あ、ああ」なんて不自然な返事をしてしまう。

そのせいで、啓史の眉が寄り、さらに訝しそうな眼差しを食らう。

「いや、その……に、二年前……」

「はい?」

「い、いや、いいんだ。それより、今日の弁当もうまそうじゃないか」

「荻野先生の弁当も旨そうですよ。あ……」

何か思い出したように啓史は声を上げ、苦笑しつつ小さく頭を下げてきた。

「すみません。昨日は……」

その言葉に顔をしかめてしまう。

昨日、放送部の昼食突撃隊なるものの襲撃を受けた。襲撃を受けたのは啓史なのだが……おかげで多大なる被害を被った。

「そうだったな。君に大好物のシャケを奪われたんだった」

わざとねちっこく文句を言うと、啓史は気まずそうに、「すみません。咄嗟に……」と苦笑いする。

シャケを奪われた訳は、もちろん理解している。

妻と同じ弁当を、全校に放映するわけにはいかないわけで、啓史は尚樹と自分のおかずを、咄嗟に入れ替えたのだ。

まあ、仕方がなかった。……とも思うのだが……

畜生、旨そうな紅シャケだったのに……
思い出すたび、惜しくなるな。

「他にも色々入っていたってのに、なんであれを奪うかな」

つい愚痴のように言ってしまう。

「目立ってたんで」

「なあ、詫び代わりと言ってはなんだが、ひとつ教えてくれ」

そう言ったら、プチトマトを箸で摘まんでいるところだった啓史は、いくぶん身構える様子を見せる。

「なんですか?」

答え辛いことを質問するつもりだなと思ったんだろう。もちろん、その通りなのだが。

「君の妻と、二年前、俺は会ったりしてないか?」

さすがにぎょっとしたのか、口に運ぼうとしていたプチトマトが箸の先から飛んだ。弧を描き落下していく。

床に落ちたと思ったら、寸前で、啓史はプチトマトをキャッチしていた。

そして元の姿勢に戻ると、何事もなかったかのようにプチトマトを口に放り込む。

相変らず見事な身体能力だ。

感心しつつも、尚樹の口から出た言葉は「執念だな」だった。

「執念?」

「たかがプチトマトであろうと、愛妻が入れてくれた大事なものだものな?」

からかってやったのだが、啓史はまったく動揺することもなく肩を竦めた。こっちは肩透かしだ。

「なんだよ。この場合は、恥ずかしがるとか、照れるとかだろ……いや、君の場合、照れたらむっとして睨む……か」

「照れるほどのことではないと思いますが」

「そうかあ? まあいい、それで話を戻すが、二年前のあの頃、君らはすでに付き合っていたのか? それとも、まだだったのか? いったいいつから……」

「そのたぐいの質問には、何度聞かれても答えるつもりはありませんよ」

確かに、何度もしつこく尋ねているわけだが……

「気になるんだ。物凄く知りたくてならないんだ。なあ、教えてくれ」

熱を込めて両手を合わせ、頼んでいるのに啓史はガン無視だ。

くそぉ、やっぱりダメか。

尚樹は仕方なく諦め、弁当を食べながら自分で考えてみることにした。

二年前……一年の生徒と絡むような何かはなかったかな?

いくら考えても何も思い浮かばない。

結局、この一年のことなのか?

だが、たかが一年で結婚まで行くってのもなぁ……

あっ、そうだ!

あいつがいるじゃないか。
啓史の友人の飯沢敦。

彼はこの学校の卒業生で、尚樹の教え子だ。啓史の方はここの生徒ではなかったが、伯父である学校長との繫がりで、敦と親しくなったようだ。

敦の携帯番号は知っているんだが、番号を変更してないだろうか?

研究機関に転職してから、あまりに忙しくて連絡を取れていない。

尚樹は啓史に悟られないように、ちらりと彼を見た。

啓史に敦の電話番号について聞くのは止めるべきだな。この流れでは、敦に電話する用件はバレバレだ。

もし敦が俺の知りたい情報を持っているとしたなら、先回りして口止めするに違いない。

学校長なら敦の電話番号を知っているかもしれないし、後で聞いてみるとするか。

「荻野先生、いったい何を考えて納得したように頷いていらっしゃるんですか?」

我知らずこくこくと頷いていた尚樹は、啓史に声をかけられ、ぴたりと動きを止めた。

「いや、別に」

「誰に聞こうかと、考えていたんじゃないですか? たとえば、学校長とか、敦とか?」

見事に言い当てられ、ちょっと頬がひきつる。

「顔が引きつってますよ」

こうなると、苦笑いするしかないわけで……

「それより、部活の方はどうなんだ? まだ掃除が続くのか?」

話を逸らす目的もあり、気になっているロボット開発部について聞いてみる。

金曜日の初日も昨日も物理室の掃除をしたらしい。

前任の物理の教諭は、まったくやる気のない人物で、物理室も手入れされず酷い有様だった。啓史でなくても、とにかく掃除をと思うだろう。

部員たちは文句も言わずに掃除に精を出しているようだが、男どもは早く本格的な活動を始めたくてならないはず。

生徒会長の森沢をはじめ部員の顔ぶれが凄くて、これからどんな部になるのかも楽しみである。

「かなり頑張ってくれたので、明日で解放してやろうと思っています」

「そうか」

広澤たちにとっては朗報だな。

「あのメンバーなら、秋のロボットコンテストまでにはいいものを創り上げられるかもしれませんね」

「だな。君がついてるんだから、優勝は我が校のもんだろう」

「萩野先生、まだ始まってもいないんですよ」
呆れたような啓史の言葉に笑い、尚樹は真顔になり眉を寄せた。

「けど、秋か……学園祭があるよな。ロボット開発部も、部に昇格したからには何か出し物をやらなきゃならないだろうし……コンテストとかけもちだと大変じゃないか?」

「大変なくらいがちょうどいいと思いますよ。やつらには」

学園祭のことを考えながら頷いた尚樹の脳裏に、一つの記憶が蘇った。

そう言えば……二年前、啓史君を学園祭に誘ったんだったな。

あちこち見て回って、最後に劇を観た。
飯沢千里が主役の舞台もあって……

「あっ!」

尚樹は思わず叫び、啓史を見る。

思い出したぞ!

「なんですか?」

「思い出したんだ。学園祭の演劇。君と観たあの時、飯沢千里が主役で……とんでもなく大人びた綺麗なのがいた。紫のドレスを着ていた妖艶な美女!」

あのとき、俺が先に見つけて、啓史に教えたんだった。

そうだ。なんで忘れてたんだろうな。

彼女を見た時の啓史の変化……

「啓史君、君、滅茶苦茶あの子に見惚れてたよな?」

やっぱ、こいつも綺麗な女を見れば見惚れたりすることもある普通の男だったんだな、なんて、俺は苦笑したんだった。

けど、あの時の俺は自分の受け持ちの生徒たちのことが頭にあったものだから、あまり深く考えず、記憶からも抜けていた。

妖艶な美女の顔は、はっきりとは覚えていないのだが、あれが榎原沙帆子だったのではないのか?

そして、啓史はあの時、彼女に一目惚れしたのではないのか?

「なあ、あれがそうだったんだろう?」

思わず興奮して啓史に問い正す。

「え?」

尚樹は、目の前の啓史の様子に目を見開いた。

淡く染まった顔を、狼狽えたように片手で隠そうとしている。

いつもクールすぎる啓史の珍しい狼狽ぶりに、尚樹は呆気に取られたのだった。





つづく




プチあとがき
ようやく更新。けど、荻野先生サイド。笑
書きたくなったので、書いてしまいました。
少しでも楽しんでいただけたらなら嬉しいです。
読んでくださってありがとうございました(*^^*)

fuu
   
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