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23 襲撃のお誘い
「ねぇ、今日は誰だったのかな?」
お弁当をつつきながら、詩織が聞いてくる。
千里は「さあねえ」と返事をする。
どうやら千里は詩織の問いを即座に理解したようだったが、沙帆子はピンとこなかった。
「誰って?」
そう聞くと、「天野っちだよ」と笑いながら答えてくれる。
それでようやくなんのことかわかった。
放送部の昼食突撃隊のことだ。
昨日、一番に狙われたのが、佐原先生だった。
「ほんと、びっくりしたよね」
テレビに映る佐原先生が見られたなんて……
全校、大盛り上がりだったけど、わたしも嬉しかったなぁ。
「雨降ってなかったら、わたしら見逃してたわよね」
ところどころに雲の浮かぶ空を見上げて千里が言う。
た、確かにその通りだ。
もし雨が降ってなかったら、わたしたち、いつものようにこの中庭のベンチでお弁当を食べてたんだろうな。
「うわぁ、よかったぁ」
沙帆子は、思わずほっとした声を上げてしまう。
「ほんとだよ。ザーザー降りのせいで制服もびしょびしょになって、文句言っちゃってたけど……あれは、実はありがたーい雨だったわけだねぇ」
詩織は空を見上げ、両手を合わせて昨日の雨に「ありがとう!」と感謝を捧げる。
そんな詩織を笑いながら、沙帆子も同じように手を合わせて感謝したわけだけど……昨日の雨のせいで、派手にすっ転び、全身どろだらけの情けない自分が浮かんでくるわけで……
ほんと、参ったよね。散々な目に遭っちゃって……
ふたりに話したら、そりゃあもう笑うだろうな?
話そうか、やめとこうか……
「で、今日は誰だったのか、ちょっと気にならない?」
沙帆子が迷っていると、ベンチの真ん中に座っている詩織が、右側の沙帆子と左側の千里を交互に見つつ、聞いてきた。
「詩織が見たかったなら、今日は教室でお弁当を食べればよかったね」
沙帆子がそう言ったら、詩織は笑いながら首を横に振る。
「ちょっとばかし、気になるだけだよぉ。教室じゃ、思うように話しができないもん。超ストレスたまるんだよ」
顔をしかめて唇を突き出した詩織は、さらに続ける。
「口にしてはいけないことを、ポロリと口にしちゃうんじゃないかって不安に思いつつだと、気楽におしゃべりできなくてさぁ」
「ここでも極力声を抑えてちょうだいよ、詩織」
たしなめるように言った千里は、「どこであっても用心しないと」と言葉を結び、周囲に目を配る。
「充分わかっておりますぜ。親分っ!」
詩織は親指を立て、にやっと笑い、千里に軽くおでこを小突かれた。
ケラケラ笑う詩織を見つつ、沙帆子は思わず、ふたりに向けてごめんねと言葉をかけたくなった。が……やめておく。
わたしが申し訳ながったりしたら、ふたりとも嬉しくないだろう。
詩織はプチトマトを箸で刺し、「ねぇ、今日の部活……」と言ってから、口に放り込んだ。
プチトマトは沙帆子のお弁当にも入っている。沙帆子も箸で摘まみ、口に入れた。
甘酸っぱくて美味しいな。
……佐原先生も、もう食べたかな?
視線を物理室の方に向けて、夫がプチトマトを食べる様子を思い浮かべてみたりする。
「ちょっと沙帆子ってば……話聞いてる?」
「あ、ああ、うん」
詩織から脇腹をつつかれ、沙帆子は慌てて顔を戻す。
すると、千里がからかうように言ってきた。
「沙帆子、そっちじゃないんじゃな~い?」
「えっ?」
「啓ちゃんよ」
そう言われて顔が赤らむ。
けど……
「あの、そっちじゃないって?」
「たぶん、昨日と同じで化学室の準備室にいるんじゃないの。昨日も物理室の方にはいなかったし」
「そ、そうなのかな?」
赤らんだ顔が照れ臭く、もごもご口にしてしまう。
「沙帆子、顔真っ赤っかぁ」
詩織ときたら、楽しそうに指摘してくる。
沙帆子は頬を膨らませ、詩織に向かって叩く真似をした。
詩織は笑いながら、沙帆子の動きに合わせて身をかわす。
「啓ちゃん、荻野先生と、ほんと仲が良いんだねぇ」
弁当箱を持ち直し、詩織が言う。
「それにしても、今日の部活も掃除オンリーなのかしら。いい加減、本格的に部活をやりたいものだけど……」
千里は早くロボット開発部の活動を始めたいんだよね。
わたしは、掃除でもなんでもいいんだけど……
「あんなに掃除したのに、まだまだ汚れが取れきれないんだもんね。ほんと、前任の物理の先生、どんだけ怠けてたんだか……困ったもんだよ」
詩織はほとほと呆れたという風情だ。
「掃除をすればするほど、汚れたところが際立ってくるんだろうね。わたしと沙帆子が任されてる部屋も、まだまだ……」
「あっ?」
千里の方を向いていた沙帆子は、人の姿が視界に入り思わず驚きの声を上げた。
千里と詩織も沙帆子の反応に驚き、さっと同じ方を向く。
こちらに歩いてくるのは、元バケ子先生だった。
「篩谷先生」
「やっぱりここにいたわね」
歩み寄ってきた篩谷は、笑みを見せて話しかけてきた。
「わたしたちに用事でも?」と、千里が尋ねる。
「用事というか……話がしたくて……お邪魔だった?」
まずかったかしらという顔で篩谷が言うので、沙帆子は慌てて首を横に振った。
「そんなことないです。あ、あの、篩谷先生、話しというのは?」
相手は教師なので、どうしても緊張した受け答えをしてしまう。
すると篩谷は苦笑した。
「やっぱり、やめておくわ。お邪魔したわね」
すまなそうに口にして、背を向けてしまう。
沙帆子は焦ったが、なんと言葉をかけていいやらわからない。
「篩谷先生、待ってください」
引き止めたのは千里だ。
「わたしも、篩谷先生とお話したかったんです。あっちのベンチ持ってきます。ほら、沙帆子手伝って」
「あ、うん」
沙帆子は急いで立ち上がり、千里に従ってベンチを運んできた。
篩谷は「ありがと」とお礼を言い、運んできたベンチに腰かけたが、目の前に座っている三人を改めて目にすると、照れた様子で笑う。
ほんと、篩谷先生、ケバイお化粧をやめたら、慎ましやかな女性になってしまって……どうにも、同一人物に思えないんだよね。
校内でも、もう篩谷先生のことをさして、バケ子先生と呼ぶ生徒はいないようだ。
みんな、わたしと同じで、同じ人だと思えないのかもしれないな。
「それで、篩谷先生の話しって?」
「ええ、その……」
篩谷は何か言いたそうにしているが、なかなか切り出さない。
よほど言い難いことなんだろうか?
いったい、何が言いたいのか、気になってきてしまう。
「何かまずいことでもありました?」
不安に思い尋ねたら、「ああ、そういうことじゃないのよ。榎原さん、安心して」と言ってもらえ、沙帆子は胸を撫で下ろした。
「あの、篩谷先生。わたしから質問してもいいですか?」
「……飯沢さん、あなたどんな質問をするつもり?」
いくぶん警戒気味に篩谷は問い返す。
「色々聞きたいことはあるんですけど……先生は、どうしてここの臨時教師になったんですか?」
その問いに、詩織が前のめりに出てきて口を開く。
そして、「それは、聞かなくてもわかるじゃん」と言い、篩谷に向けて、「もちろん荻野先生がいたからですよね、篩谷先生?」と、詩織は内緒話するように言う。
沙帆子もそうなのだろうと思ったが、意外にも篩谷は否定して手を横に振る。
「へっ? 違うんですか?」
「逆よ。ここにだけは来るつもりなかったの」
哀愁の漂う瞳で、篩谷は周囲をゆっくりと見回す。そして、三人に顔を戻して、くすりと笑った。
「そんなに意外?」
そう言われて、三人して顔を見合わせる。
どうやら三人揃って、意外を顔に貼り付けてしまっていたらしい。
「ま、まあ……なら、どうしてここに?」
「言い難いことを聞くわねぇ。もちろん他では雇ってもらえなかったからよ」
「そ、そうなんですか?」
三人ともなんと言っていいかわからず、もじもじしていたら、篩谷は楽しそうに笑い出した。
「でもね、ここなら新任で入れたと思うわ。校長先生初め、他の先生方にも、一目置いていただいていたし……わたしって、意外にも優等生だったのよ」
「生徒会役員を務めていらしたんですよね?」
千里が言うと、篩谷は「まあね」と答え、昔に思いを馳せるような眼差しになる。
そこで会話が途切れてしまった。不自然な感じで、数秒沈黙が続く。
「あっ、そ、そうだ。あの、篩谷先生、今日の昼食突撃隊は、誰を突撃したんですか?」
詩織が問いかけてくれ、沈黙が破れて沙帆子はほっとした。
「金山先生だったわよ」
「ええっ、金ちゃんだったんですか? えーっ、なら見たかったかもぉ」
詩織はかなり残念そうだ。
沙帆子としても、金ちゃんならば見たかった。きっと面白かったに違いない。
「佐原先生の次に、金ちゃんはないと踏んでたんだけどなぁ」
話題が金ちゃんの話になり、そのあとの会話はずいぶんと盛り上がった。
「さてと、それじゃ、わたしはこれで行くわ。昼食のお邪魔して悪かったわね」
「篩谷先生、またいつでもどうぞ」
詩織が気安く誘う。沙帆子も千里も歓迎の気持ちを込めて頷く。
「ありがと」
笑みを見せる篩谷は嬉しそうで、こちらも嬉しくなる。
すぐに去ろうとした篩谷だったが、少し躊躇いを見せる。
篩谷先生、何か言いたいことがあるようだけど……
「先生?」
「あ……えっと……ま、まあいいわ」
曖昧に口にし、行ってしまいそうになった篩谷を千里が引き止めた。
「ちょっと待ってください。気になるんですけど……何か言いたいことがあるなら」
千里の言葉を受け、篩谷は「笑わない?」なんて言ってくる。
笑う?
「笑いません」
千里が真面目に答える。
篩谷は苦笑いしたが、考え込んだ末にようやく口を開いた。
「その……実はね。化学準備室をみんなで襲撃しないって誘おうと思ってきたのよ」
「ええっ?」
みんなして目をぱちくりさせてしまう。
「ほ、ほら……昨日の昼食突撃隊見てたら……あの場に加わってみたいなぁとか、思わなかった?」
いまや篩谷の顔は真っ赤。照れと気まずさを感じているみたいだ。
年上だし、自分たちにとって教師という立場の女性だが、どうにも可愛いと思ってしまう。
「お、思いました」「加わりたいです!」
沙帆子と詩織は同時に声を上げていた。千里も遅れて「もちろんですよ」と口にする。
「なら、行っちゃう?」
篩谷は喜びを滲ませ、弾むような声で聞いてくる。
三人は一緒に、大きく頷いたのだった。
つづく
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