ナチュラルキス ハートフル
natural kiss heartful



25 文句は胸の中で



「はー、やっと片付いたわね」

第一準備室を全体的に見回し、千里は疲れを帯びた声で口にした。

そんな千里の手には、汚れた雑巾が握られている。

雑巾を洗っていた沙帆子も、疲れた声で「うん」と答えた。

啓史から指示された器具は、全部磨き終えた。

そして室内も、汚れをふき取り、ピカピカとまではいかないが、呼吸がしやすくなった感じ。

埃まみれだった窓を綺麗にしたから、光もたっぷり差し込んでる。

触らないようにと言われていた器具たちも、すでに啓史の手で綺麗にしてあり、棚に整然と並んでいる。

これなら出し入れもしやすそう。

先生って、かなり几帳面だよね。
怠けてるようなところとかも、見たことないし……

そんな思案をしつつ、雑巾をぎゅっと絞り終えたら、千里も雑巾を洗い始めた。

バケツの水、かなり汚れてるな。

「千里、水、入れ替えてこようか?」

「とりあえずこれでいいわ。物理室で洗い直そう」

「うんそうだね」

千里はすぐにバケツを持ち、準備室を出ていく。沙帆子もそれに続いた。

物理室では、楽しそうな笑い声が上がっていた。

矢島君と詩織だ。

「あら、ずいぶん仲良くなってんじゃない」

入り口のところで立ち止まり、千里は小声で笑いながら耳打ちしてきた。

すると、先に沙帆子たちに気づいた矢島がこちらに向き、「おっ」と声を上げた。それで詩織もこちらに向く。

「そっちも終わったの?」

そう問いかけてきた詩織に、千里が答える。

「なんとかね。こっちも終わったみたいね」

「もうどんなに探したって、ほこり一つ落ちてやしないよ。ねぇ、矢島君」

「おお」

跳ね返るようなバネのある声だった。
その顔も、それはもう明るい。

これでついに本格的に部活が始められると、嬉しくて仕方がない様子だ。

矢島君、部長の広澤君以上に、やる気満々だな。と、笑えてくる。

けど詩織、もしここに藤野君がいたら、こんなに朗らかじゃなかっただろうな。

ほんと、この部活、色々あるなぁ。

「よーし!」

急に矢島が大声を出し、沙帆子はぎょっとしてぴょんと跳ねた。

「もおっ、矢島君、びっくりしたじゃん」

矢島の隣にいた詩織が、目いっぱい顔をしかめて文句を言う。

「うん? ああ、わりぃ。嬉しくてつい。わはははは」

楽しそうに笑った矢島は、いそいそとした足取りで移動していき、大きな紙袋をいくつも取り上げて戻ってきた。

袋の中から取り出し、まず机の上に乗せたのはパソコンだ。

「それ、矢島君の?」

「ああ」

返事をした矢島は、さらに紙袋の中身を取り出し、次々と机の上に置いていく。

何冊ものファイル、そしてノートの束に専門書の数々。

どれもこれも使い込んであるようだ。
さらに、ノートの間にはたくさんの付箋。

「凄い!」

思わず口にしてしまう。

「それ全部、ロボットを作るためのものなんだよね?」

詩織も目を丸くして尋ねる。

「もちろん」

「矢島君、それで試作品は?」

千里が興味津々のまなざしで聞く。

「いま、取りに行ってくれてる。佐原先生も一緒に」

「佐原先生も?」

「掃除、先に終えたからって。そろそろ戻ると思うけど」

そんな会話をしているところに、こちらへと向かってくる複数の足音が廊下の方から聞こえてきた。

話し声もする。啓史たちのようだ。

ガラガラとドアが開けられ、段ボール箱を抱えた森沢が入ってきた。啓史、広澤と続いて入ってくる。このふたりも段ボール箱を抱えている。

どれも大きな段ボール箱だ。

彼らは空いている机の上に、段ボール箱を並べて置いていく。

もしやこれって、ロボットの試作品なのかな?

うわーっ、どんなものなんだろう?

最大に期待していた沙帆子は、出てきたものを見て戸惑った。

ロボットが出てくると思ったのに、よくわからない機械みたいなのが出てきたのだ。

「ロボットじゃなかったの?」

沙帆子の胸の内を詩織が代弁してくれた。

すると、「ロボットだよ」と森沢が答える。

「えっ? ロボットって、手も足も頭もないけど」

詩織が眉を寄せて言う。沙帆子も同じ気持ちだ。

すると男子三人が笑い出した。

「えっ? なに?」

「詩織、人型のロボットだけがロボットじゃないわよ」

「え?」

千里の説明に、詩織と同じように思っていた沙帆子も、「え?」と声を上げてしまう。

すると啓史がこちらに向き、目が合うと小さく笑った。

ガ、ガーン!

佐原先生に、わ、笑われた!

「えーっ、もしかして、これから作るロボットって、こんなやつなの?」

詩織は拍子抜けしたように言う。

「やれやれ、まずはロボット競技大会がどんなものか説明しないとだな」

ひどく呆れたように矢島は言った。

「矢島、彼女たちがわからないのは当然なんだぞ」

「あ……だ、だよな。ごめん。僕のいまの言い方、よくなかったな」

矢島は反省を見せ、頭を下げてきた。
やっぱリ、いい人だな。

詩織もそんな矢島に、好感を持ったみたいだ。

「広澤、実地規則を見せてやるといい。それでどんなものかだいたいわかる」

啓史が広澤に声をかけた。が、広澤は啓史に何か言いたそうな表情をする。
そんな広澤を見て、啓史は「なんだ?」と言いつつ、眉を寄せた。

「佐原先生、だいたいわかるかは、微妙ではないかと思いますが」

広澤に代わって森沢が返事をした。

彼は机の上に置いてあるファイルの一冊を選び取り、はさんであった用紙を一枚ずつ、沙帆子たちに手渡してきた。

目を通してみるが……

な、何、これ?

情けないことに、知らない単語がちらほら。
残念ながら書いてある内容は読み取れず、まるで理解できない。

せ、専門的すぎるんですけど……
佐原先生、これを読めばだいたいわかるって思うとか……無理だし。

「これ、チンプンカンプンなんだけど」

詩織がちょっとむっとして言った。

「だろうな」「なんでだ?」

森沢の言葉に啓史の言葉が被った。啓史は森沢を振り返る。

「そんなに難しくないだろう?」

啓史がいくぶん戸惑ったように言う。

「じゅうぶん難しいと思いますよ」

「そうなのか?」

啓史ときたら、沙帆子に向けて聞く。顔が引きつりそうになる。

理解できると言いたいけど……嘘はつけない。

「すみません。難しいです」

肩を落として正直に告げる。

「どこがわからないんだ?」

啓史は沙帆子の隣にやってきた。そして沙帆子が持っている用紙をのぞき込む。

ち、近い!

距離が近い。近すぎる!

「榎原?」

「は、はいっ」

反射的に気を付けの姿勢を取ってしまう。

「どこがわからないのか、言ってみろ」

「は、はい。こ、こここ……」

「こここ?」

うわーっ、佐原先生ってば、もおっ。
なんで動揺してどもっちゃった言葉を、いつも繰り返すんですか、あなたは!

胸の中で文句を叫ぶが、声には出せない。

「い、いえ、その……この単語……とか」

「ああ、それか、それはな……」

「佐原先生」

「江藤、なんだ?」

「沙帆子ばっかりじゃなくて、わたしにも教えて下さいよ。わたしのほうが、何倍もわかんないんですからね」

詩織ときたら、なぜか胸を張って言う。

「お前、自慢げに言うな」

呆れたように啓史が言い、その場は笑いで満ちたのだった。





つづく





  
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