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9 訪問は好戦的に
見慣れてきた道の風景に気づくたび、沙帆子は笑みを浮かべた。
右にカーブする道の右側には川、左側には畑があり、作業道具でも入れておくためなのか、手作り感満載の小屋がある。
ここをもう少し行くと、橋があって、その橋を渡ると今度は川が左側になる。
それからはずっと川に沿って進むんだよね。
けっこう大きな川で、この前通った時には鳥を何羽も見た。
それからトンネルをふたつくぐって……
「あれっ、一つだっけ?」
思わず口から声が漏れてしまい、啓史が「うん?」と声を出す。
「あ……トンネル、いくつあったかなって思って……」
「二つだな。長いのと短いの」
「そうでしたっけ? 」
確かに二つあった気がするんだけど……
「なんか、あやふやです」
悩んでしまっていたら、啓史がくすっと笑う。
「お前、前回往復した時、うつらうつらしてたからな」
ああ、そうか。前回は行きも帰りもうとうとしちゃってたんだっけ。
運転している先生に悪いから、寝ないでいようと頑張ってたけど、睡魔に勝てなくて……
あのときは、色んな事が起きたあとで、それがすべて丸く収まって……ほっとしちゃってたからな。
バケ子先生に結婚がバレた時には、本当に不安だらけだった。
覚悟を決めても、不安までは消し去れなかった。
佐原先生と別々に暮らすことになるかもしれなくて……
けど、今、果樹園の家で一緒に住んで、学校にも行けてる。
こんな未来にいられることは、本当に奇跡だと思う。
……新学期が始まって、今日で五日目になるんだなぁ?
このまま、来年の三月まで無事に過ごせるのかな?
やっぱり、少し不安だな。
でも、気にして過ごすのはやめなさいって、パパとママに言われたものね。
普通にしてればいいって……
少し気持ちが軽くなり、沙帆子は視線を外に向けた。
山間の道で、山の緑には、ところどころ薄桃色が交じってる。
あれは桜だよね?
「先生。この辺り、まだ桜が咲いてますね」
「ああ、あれは桜か。こんな山の中でも桜の木があるんだな。誰かが植えたわけでもないんだろうな」
「山桜ですよ。山桜は花の色が白っぽいんです。普通の桜と違って、葉と花が同時に出るんですよ」
なんてね。つい偉そうに説明しちゃった。全部ママの受けうりだけど。
「お前、結構物知りだな」
「そ、そうですか?」
それって、本気で褒めてくれたの?
それとも、『偉そうに説明してんじゃねぇ、生意気だ』って思っての言葉だったり?
「俺は植物にはさほど詳しくないが、植物の生態ってのは面白いもんだぞ」
そう言われて、ハッと気づいた。
そっ、そうだった。先生、理科系の先生じゃないか。
理科には生物も含まれてるんだ。
「わ、わたし、物知り顔しちゃって……ごめんなさい」
「うん? お前、なんで謝ってんだ?」
「だ、だって、先生山桜のこと、知ってたでしょう?」
「いや、知らなかったぞ」
「えっ、でも先生、理科系の先生で……」
「お前なぁ、理科の教諭だからって、なんでも知ってるわけじゃないぞ。知らないことだってある。だいたい、植物の種は二十万種とか三十万種あると言われてるんだ。よっぽど好きでなきゃ、覚えてられるか」
おっしゃるとおり、ごもっともだ。それにしても……
「三十万種もあるんですか?」
「そのくらいはあるだろう。なんたって、地球は広いぞ」
啓史がそう言って笑う。
「ですね。地球は広いです」
「ああ。世の中、知らないことばっかりだ。生物学者だって、全部を知ることはできないだろう。だからこそ、生きていて楽しいんじゃないか? 探求心を持ち続けてられるんだから、幸せなことだよな」
うわーっ、なんか先生の言葉を聞いてたら、生物学者になって、全部の種を調べてみたくなってきた。これぞまさしく、佐原先生マジックだな。
化学の授業を受けていて、もっと知りたいと向学心をくすぐられた生徒は多い。わたしもその一人だけど。
「偉そうなことを言ったな」
啓史はそう言って笑う。
「全然、偉そうなんかじゃなかったですよ。今の言葉を聞いて、わたしも何かを探求したいって思っちゃいました」
「そうか」
「はい」
元気良く返事をしたところで、橋にさしかかった。
「この川、けっこう大きいですね。それに水がとってもきれいです」
「ここらあたりまで来ると、ほんと澄んでるよな。覗き込めば、魚が泳いでるのも確認できるんじゃないか」
「うわーっ、確認してみたいです」
「また今度な」
そう言って啓史は、愉快そうに笑う。
「今度は、現実になるんですか?」
思わず尋ねたら、啓史が「もちろんだ」と答えてくれる。
「やりたいなら体験すればいい。それにふた……」
啓史が途中で言葉を止めてしまい、沙帆子は運転している啓史の顔を覗き込んだ。
「先生?」
「おっ、鳥が大群で飛んでるぞ!」
前方を見て啓史が教えてくれ、慌てて空を見上げたら、沙帆子も鳥の大群を確認できた。
「ほんとだ。凄い。何羽いるのかな?」
「十五……くらいか?」
「先生、まさか飛んでる鳥を数えられたんですか?」
「なわけないだろ。大体だ。目算」
「大体でも、見当がつくのが凄いですよ」
沙帆子は、すでに水辺に降り立っている鳥を数えようとしたが、すぐに通り過ぎてしまった。
「あー、数え終わる前に通り過ぎちゃった」
残念なんて思っていたら、啓史がくっくっと笑っている。
「何もおかしくないですよ!」
「そうか? 俺はおかしかったぞ」
啓史ときたら、きっぱりと言う。
「ええーっ」
抗議するように叫んだら、啓史は、今度は声を上げて笑い出した。
それがあまりに楽しそうで、文句を言いたい気持ちは消えてしまった。
楽しいドライブは終わり、両親の家に到着した。
車を降りた沙帆子は、じっくり家を眺めた。啓史が隣に並んでくる。
「よし、行くぞ、沙帆子」
なぜだか啓史は戦に赴く戦士のように力強い言葉を掛けてきた。
「先生?」
「こら、先生はやめろ」
「あっ、ごめんなさい。け、啓史さん」
「五十点だな。まあ、いい。ほら、幸弘さんが俺らを待ち構えてるぞ」
「ああ、そうでした」
それで先生は、好戦的になってるわけか。
パパ、この派手なペアルックを着て来いって命令してきたんだった。笑ってやろうと、今か今かと、わたしたちを待っているはず。
よし、敵の大将に打ち勝ってやるぞぉ。
沙帆子は楽しそうに呼び鈴を鳴らす啓史を、満ち足りた気持ちで見守ったのだった。
つづく
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