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第4話なのにゃ
第4話 『ウルトラハナキック』
「それじゃあ、葉奈、スタートするにゃ。いいにゃ?」
「は…え…い…」
顔を引きつらせた葉奈、カーテンの前に固まったまま救いを求めるように翔を見たが、いまの翔は助けになりそうもなかった。
「貴弘、カメラは準備オーケーにゃ?」
ハナにそう問われた貴弘、赤面つきの仏頂面で頷いた。
彼は、壁を叩きながら笑いこけている翔を、意識から外そうとやっきになっているようだ。
「翔、いつまでも笑ってないで、早くするにゃ」
「え?…ここではライトは必要ないって、さっき言ったろ?」
翔はハナをみて眉を寄せた。
ハナは、椅子にちょこんと腰掛け、いつの間にそんなものを手にしたのか、ミニチュアのメガホンで、肉球をポンポンと叩いている。
肉球に当たったメガホンは、ぽよよんぽよよんと、音を立てずに軽やかに弾んでいる。
「ライトじゃないにゃ。カーテンを開けるのにゃ」
「俺が?」
いただいた役目に不服な様子を見せたが、翔はそれ以上文句を言わずに、それでも眉間に抗議の皺を寄せて、カーテンに近付いていった。
「もっと身体を縮めて、邪魔にならないように引っ込むんだにゃ」
椅子の前に置かれた画面を見つめながらハナが、偉そうに指示した。
「なんで俺が?」
そう小声でぶつくさ言いながら、翔は身体を小さく屈めた。
「まだ入ってるにゃ。もっとうまいこと右側に引っ込むにゃ」
メガホンを右側に振りながらハナが言った。
翔は苛立たしげに舌打ちをし、ハナから貴弘に目を転じた。
「おい、貴弘、お前わざと俺の姿を、入れて撮ってるんじゃないのか?」
貴弘は、おどけたように首を振った。
もちろん彼はわざとやっている。
「おいおい。俺を責めるのはお門違いだぞ。ひとを責めるより、もっとうまくやれよ」
先ほど笑われた怨みだろう、貴弘の言葉は、ずいぶんと卑劣な口ぶりだった。
「兄さん」
見るに見かねたのだろう、葉奈は、たしなめる様に兄を呼んだ。
「翔、ごちゃごちゃ言ってないで、早くカーテンを引くにゃ。ちっともお話が進まないのにゃ!」
翔が動きを止めた。そして大きく深呼吸した。どうやら怒りを押さえ込んでいるように思えた。
カーテンを掴んだ手を精一杯伸ばし、画面の中に入らないようにして、翔はカーテンを引いた。
流れるようにするするとカーテンが引かれてゆく。
「ゆっくりにゃ。いいにゃ、とってもうまいのにゃ翔」
ハナのお褒めの言葉に、翔は緩みそうになる頬にぐっと力を込めている。
どうやら、珍しいハナのお褒めの言葉に、堪えきれない嬉しさが湧いたらしい。
きっと、ネコごときに褒められて、にやついているのを、誰にも悟られたくないのだろう。
「かっ、かっ、かっ」
「ストーップ」
ハナの鋭い声に、カメラが停止した。
「なんにゃ、かっかっかってのは?」
「す、すみません。あ、あがってしまって、心臓がバクバクしちゃってて…」
「葉奈、大丈夫だ。俺がついてるからな」
「は、はい。先生」
またもや葉奈に先生と呼ばれた翔、反射的に怒鳴ろうという構えをみせたが、場を考えて、怒鳴り声を喉元に押し戻したようだった。
「台詞は、鏡よ鏡、鏡さんだにゃ…傲慢そうに言うんだにゃ。自分が一番綺麗だと思い込んでる后にゃんだから、自惚れた目と表情をするのにゃ」
「傲慢で、自惚れた…ですね。わ、分かりました」
葉奈は、ごくりと唾を飲み込んだ。
顔を引きつらせた葉奈が傲慢そうで自惚れの強い顔など出来そうもない。
「葉奈とハナの役どころが、逆だっていうんだよ」
ハナに聞こえないように、自分が掴んでいるカーテンに向けて、翔はぶつくさ言った。
「葉奈が白雪姫で…そしたら俺は、喜んで王子をやったのに…」
翔の言葉は、かなりの小声だったために、ネコの耳にも届かなかったようだ。
「スタートにゃ」
ハナの叫びに、葉奈が生真面目に頷いた。
「えっと。鏡よ、鏡、鏡さん?」
「ストーップ」
ハナの声が鋭く部屋に響き渡った。
「鏡に、遠慮がちに声掛けてどうするにゃ。傲慢に言うんだにゃ、こんな風ににゃ。鏡よ鏡、鏡さん」
ハナは、ひどく横柄で鼻持ちならない顔で言った。
完璧だった。
「おおーっ、凄いな。見事に悪い后を演じきってるぞ、こいつ。ネコのくせに…」
途中まで、貴弘の言葉を気分よく聞いていたハナ、最後の言葉にカッチーンと来たようだ。
椅子からさっと飛び降り、ふた走りで貴弘に飛びいた。
「ギャーッ」
貴弘はカメラを抱えたまま、ハナに顔を引っかかれて悲鳴を上げた。
「いてぇー」
顔を上げた貴弘の顔は、綺麗な赤と肌色のストライプ柄になっていた。
よほど痛かったのだろう。その目は涙で潤んでいる。
「さあ、さっさとやるにゃ。葉奈。貴弘、カメラスタートにゃ」
「ち、畜生。ネコ鍋にして食ってやる…」
貴弘、恨み言を言いながらも、カメラを葉奈に向けた。
葉奈の引きつった顔は、いまや真っ青になっていた。どうも、兄貴弘の運命に、自分の未来を見たのかもしれない。
「かっ…鏡よ鏡、鏡さん。この世で一番綺麗なのは、だーれ?」
葉奈はめいっぱい凄味を利かせた声で、台詞を口にした。
ずいぶんと無理をしているようで、額に汗が光っている。
だが、頑張りの甲斐あってか、その演技は、なんとかハナの眼鏡に適う範囲だったようだ。
部屋がシーンと静まり返った。
静けさの中、みながそれぞれ不審そうにきょろきょろと様子を窺っている。
「この鏡、どうして答えないんだ?」
「知らないにゃ。鏡役はどうしたにゃ?」
ハナの視線は、fuuに向いている。fuuは、ぎょっとしたように目を見開いた。
「そ、そんなの聞いてませんけど…」fuuはおどおどと言った。
「あんたが気を回して見つけてくるべきなのにゃ」
「そ、そんなぁ」
「いいにゃ、fuu、あんたがやるにゃ」
「え、わ、わたし、でも、マイクが…」
「マイクは、うまいこと固定しとけばいいにゃ。部屋の中なんだから、、大声出せば拾えるにゃ」
鏡には、薄くぼやけたフィルムが張ってあり、鏡の後ろに立ったfuuの顔は、ずいぶんとみすぼらしく、みっともなかった。
葉奈は、目の前の鏡の中にいるfuuを見つめて、なぜかお辞儀をした。
「それじゃ、鏡、スタートにゃ」
「…それは、白雪姫です!」
「違うにゃ。ふたつも間違ってるにゃ」
ハナが肉球で、肘あてをぽよんぽよんと叩きながら怒鳴った。
「ふたつ?何が?」
fuu間違いが分からずに、きょときょとと、鏡のフィルム越しにみなを見回した。
「台本を読んでないから、間違うのにゃ。真剣さと勉強が足りないにゃ」
こっぴどく罵られたfuuは赤黒いほど赤面し、みじめったらしいまなざしをハナに向けた。
「始めはお后様だって言わなきゃいけないのにゃ。それに、白雪姫じゃなくて、ハナ雪姫なのにゃ」
「へー、そうですかい」
ひねくれた顔でfuuは身体を揺らし、不良のようにその場でよたった。
「ひねくれるのは、百年早いにゃ。やることやってからひねくれろってのにゃ」
カーテンのところでぶふっという笑いが起こった。
カーテンを掴んだままの翔だ。貴弘も、カメラを揺らしながら笑っている。
fuuは、翔と貴弘を睨んだ。
ふたりは、鼻につくほどにやついている。
fuuは声に出さずにぶつぶつ言い、心の態勢を立て直した。
「この世で一番綺麗なのは、お后様です」
かなり棒読みの感はあったが、いい加減進まない話に苛立ちを感じていたハナは、オッケーを出した。
葉奈が、その様子を見て、自分の出番だと悟ったようだ。
ハナを見て、自分に向いているカメラに横目を向け、ぎこちない動きで、カメラに真正面に向いた。
「おーほほほ。…お…おーほほほ。お…お…おーほ…ほ…ほ…」
どうやら葉奈は、続きの台詞を失念したらしい。
彼女は、笑いの台詞を泣き声で言いながら、助けを求めるように翔に視線を向けた。
「葉奈…なんて正直な鏡かしら…だ」
台本を急いで開いた翔が、小声で続きの台詞を教えた。
「な、なんて正直な、鏡かしら」
「おーほほほ」
翔が台詞を付け加え、葉奈は翔を一途に見つめながら頷いた。
「おーほほほっ」
翔の応援を得たエネルギーのおかげか、葉奈のその高笑いは、一番うまかった。
「はーい、オッケーよ」
ハナの声に、葉奈がほーっと息を吐いた。
翔は掴んでいたカーテンを離し、すぐに葉奈に駆け寄り、頑張りを称えて、ぎゅっと抱き締めた。
正直、見ちゃいられない…
「まあいいとするにゃ。じゃ、次、行くにゃ」
ハナの言葉は、翔の耳にはまったく届いていないようだ。
いらっと来たハナは、前足を床に蹴り付け、助走を付けた。
「この忙しいのに、いつまで、いちゃついてるにゃ」
翔は腰のツボに、またしてもウルトラハナキックを食らった。
グギッと鈍い音がした。
翔は、声を出さずに膝を折り、無様に床に倒れたのだった。
「せ、先生っ!」
葉奈の悲鳴が、部屋中に響き渡った…
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