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第7話なのにゃ
で…場面はまた、例のおどろおどろしい部屋に戻る。
第7話 『異変』
「もう休憩は終わりにゃ。さっさと位置につくにゃ」
ハナはいらだたしげに、小さな身体に似つかわしくない大声で叫んだ。
もちろん声はこの部屋に響き渡った。
だが、その叫びを、まったく耳に入れていない人物…気絶したままの男がひとり…
「葉奈、はやく鏡の前に立つのにゃ」
「で、でも。伊坂先生は大丈夫なんでしょうか?」
「そいつは、殺しても死なないにゃ。息してんだから大丈夫にゃ」
ちっとも所定の位置に付こうとしない葉奈に、ハナいささかぶち切れ状態。
だんだん険悪になってゆく視線に、葉奈の兄貴弘は、仕方なく片手にカメラをぶら下げたまま、妹に近付いた。
「翔なら大丈夫だ。そこのソファまで運んでって、寝かしてやるから。ほい、ちょっとこれ持ってろ」
貴弘は葉奈にカメラを手渡し、膝を折ってしゃがみこみ、翔の身体に手を掛けた。
体格はほぼ互角。
貴弘は気合と根性で翔の身体を持ち上げた。
「なにが哀しくて…や、野郎をお姫様だっこなんぞ…し、しなきゃなんないんだか…」
もごもご口の中で言うだけ、力を使うと分かっているのに、文句を言わずにおれないらしい。
貴弘は、やっとのことでソファまで翔を運び、無造作に転がした。
どさりと落ちた翔の身体は、バウンドして危うく落ちそうになったが、なんとか椅子の上に着地した。
「兄さんってば、先生は気絶してるのよ。もっとやさしく扱ってちょうだい」
「多少、刺激与えた方が、早く気づくと思ったんだよ。ほら、それじゃあ、撮影おっぱじめるぞ、な、ハナ雪姫様」
ハナ、その貴弘の声に気づかない。
…なぜか部屋の一点をじっと見つめている。
「どした?ハナさんよ」
「にゃ???にゃんにゃ?」
「にゃんにゃはあんただろ。いったい何を見て…」
貴弘は、ハナの視線の先を追った。
「に、にゃんでもにゃいにゃ。はやくはじめるにゃ」
貴弘、眉をひそめてハナを見つめた。
「お前、なんか、ネコ語の訛りがひどくなってないか?」
「ひどくにゃんかにゃいにゃ」
貴弘、先ほどまでとは明らかに違うハナの様子に、眉を寄せた。
「にゃ、いくにゃ。続きにゃ」
いったいどうしたのか。ハナ、なんだか様子がおかしい?
それでも、大声を張り上げ指示を出しはじめた。
そんな中でも、時折、目玉だけ動かし、先ほどの一点を凝視している。
葉奈が鏡の前に立った。
シーンと静まり返る部屋…
貴弘、担いでいたカメラを降ろして、ハナに振り向いた。
「おい、スタートの掛け声は、どうしたんだよ?」
「あ、にゃ…わ、分かってるにゃ。スタートにゃ」
「早いだろ。周りの状況ちゃんとみて、タイミング読めよ」
「うるさいにゃ、貴弘がぐずなんだにゃ」
「何をぉ。ネコだと思って下手に出てりゃ」
「兄さん」
怒り心頭に発している兄を、葉奈、なんとかなだめ様として声を掛けつつも、彼女の視線はソファに転がっている翔に向けられている。
「わかったにゃ。悪かったにゃ。それじゃ、位置に付くにゃ」
ハナは、貴弘、葉奈、鏡の向こうでぼうっとしているfuuを確めて「スタート」と叫んだ。
葉奈は、ごくりと唾を飲み込み、緊張した面持ちでfuuを見つめる。
「鏡よ鏡、鏡さん。世界で一番美しいのは、だあれ?」
悪い后だというのに、そのイメージをぶっ壊す、おどおどとした呼びかけだったが、ハナのいちゃもんは入らず、葉奈と貴弘、fuuの3人は事態に戸惑った。
が、数秒過ぎて、どうやらNGは出ないらしいと悟る。
葉奈は、fuuを促すように小さく頷き、鏡の中のfuuも頷いた。
そして台詞は先へと進む。
「それは、白雪姫です。白雪姫が…あ、ち、違いましたぁ。ハナ、ハナ、ハナ雪しめですぅ」
見事すぎたとちりっぷりに、カメラを抱えていた貴弘、顔を歪めて笑いを浮かべた。
目に涙まで浮かんでくる。
彼が吹き出さなかったのは、ハナの怒号が飛んでくると確信していたからだった…のだが…
怒号は飛ばなかった。
震え上がっていたfuuは、おずおずと顔をあげた。
3人は、ハナに視線を向けた。
ハナは、なぜか椅子の上で、目玉をかっぴらぎ、完全にフリーズしていた。
「ハ、ハ・ナちゃん?」
葉奈は急いでハナに駆け寄った。
目を見開いているハナの顔の前で手を振ってみたが応答がない。
「ハナちゃん、いったい、ど、どうしちゃたの?」
「さあ。なんか固まってるな。おかしなネコだな。こいつ」
葉奈の隣にやってきた貴弘、ハナの鼻の頭をつついた。
固まったままのハナ、突かれて後ろへ倒れそうになったが、反動で元に戻った。
「お、おもしれー」
「兄さん。駄目よ。ハナちゃんで遊んだりしちゃ」
「分かったよ。それにしても、こいつなんで固まっちまったんだろうな?」
「うっ」
その声に、葉奈が即座に反応した。
「せ、先生、気づいたの?」
葉奈は翔に駆け寄り、彼の頬に手のひらを当て、顔を覗きこんだ。
翔、葉奈の顔をじっと見返す。
「葉奈?俺、どうしたんだろう。…なんか、変な夢を見てた気が…ハナのやつが白雪姫になって…俺に狩人になれとか…まあ、いいか」
まだ意識がしつかりと戻っていないらしい翔、そう言いつつ手を差し出し、葉奈の後頭部を抱えた。
どうやら、翔、自分たちのほかにも人がいると気づかないらしい。
「葉奈、唇…味わいたい」
これまで耳にしたことがないほどの、翔の甘い囁き。
ぎょっとして抵抗できないでいる葉奈を、翔は自分にぐっと引き寄せた。
「だ、だめ…」
現実に戻りきっていない翔の力は、葉奈が抗えるレベルではなかった。
葉奈はあっさり唇を奪われ、彼に抱き締められたまま抜け出せず、じたばたともがいている。
もちろん貴弘は、親友と妹のキスシーンを、おとなしく黙ってみているような男ではない。
貴弘、さっと翔の身体を眺め、一番無防備そうな脛を、思い切り靴の先で蹴り上げた。
「あ゛がっ」
ほっぺたを真っ赤に染めた葉奈は、自由になった途端、重なり合ったカーテンのところに駆けてゆき、姿を隠そうとやっきになった。
だが、膨らんだドレスは、容量が大きすぎて、とても全部は隠れない。
「な、なんだいったい。く、くそー。いってぇ」
「ハナがフリーズしてんだけど」
「は、葉奈がなんだって?」
ハナと葉奈を勘違いした翔、慌ててソファから飛び上がった。
目が血走っている。
「違うって。フリーズしたのはネコの方。で、俺ら、これからどうする?」
翔の視線は、カーテンの隙間からたっぷりのぞいているドレスに向けられている。
たったいま、葉奈の唇を味わっていたのは夢だったのだろうか?
それにしても、なぜ葉奈は、あんなところに頭を突っ込んでいるのだろう?
「どうするって?」
翔、葉奈への疑問を抱きつつも、貴弘に問い返した。
「もうネコの暇つぶしなんてどうでもいいし、トンズラしないか?」
「ハナはどうしたんだ?」
「だから、フリーズしてんの。ほら、みてみろよ」
翔、椅子の上で完全に固まっているハナを、近付いて行って、しげしげと見つめた。
「もしかして、出た?」
「もしかして?…で、出たってなんだよ、翔?」
貴弘、翔の言葉に、頭の中で、怖い妄想爆発中。思わず声が裏返る。
「だから…」
翔、目を細めて部屋の中を窺いだした。
「お、おい。翔。なんだよ。冗談止めろよ。俺、そういうの本気で怒るぞ!」
恐怖に駆られた貴弘、両手を合わせて縮み上がっている。
そんな貴弘の肩に、背後から魔の手が忍び寄る。
そっと…ふれた…
「ぎ、ぎゃーーーーーーーーー!」
すさまじい悲鳴に、貴弘の肩に手を掛けた葉奈も、驚いて飛び上がった。
「に、兄さん。私よ、私」
貴弘、妹の声にパッと後ろに振り返った。
その顔は恐怖に歪んでいる。
葉奈、いけないものを見てしまったように思えて、さっと視線を外した。
「に、兄さんが、怖がってたから…慰めようと思って…」
「な、慰める。この俺を…か…」
ギ・ギ・ギ・ギ・ギ・ギ・ギ・ギ…360度、貴弘のプライド軋む
どうやら、修復不可能なほど、貴弘の自尊心はぼろぼろになったらしい。
「俺、もう帰りてぇ」
後ろを向いて、ドアに向かって歩き出そうとした貴弘の襟首を、翔、ガシッと掴んだ。
「うぐっ」
「そんな猿芝居したって…終わるまでは絶対に帰さないぞ」
「お、俺は本気で傷ついたんだぞ」
貴弘、恨みがましく叫べども、翔は聞いちゃいなかった。
彼はまた、きょろきょろと辺りを見回し始めた。
「だーかーらー、お前、いったい何を探してるんだ?」
「ねずみ」
「ねずみ?」
「ああ。ハナの、天敵」
「こいつネコだろ?ネコがなんでねずみを怖がる?」
「怖がってるってわけじゃない。実は玲香が、友達の家でハムスター生まれたって、もらってきたんだ。こいつが根性の悪いやつで、根性の悪いハナと、相性が合わなくて」
「同じ根性悪なら、相性あってそうなのにな」
貴弘はそういうと、自分で言ったことがツボにはまったらしく、ケラケラ笑い出した。
「互いに敬遠しあってたんだけど、ある日、ハムスターのやつが、ハナの寝込みを襲ったんだ」
翔は、いまだフリーズしているハナを貴弘がやったと同じに、ツンと突いた。
ハナは、前後に少し揺れて、止まった。
「で、そのハムスター、ハナに何をやったんだ?」
「馬乗りになったんだ。ハナの背中に。で、1時間あまりもハムスターを背中にくっつけたまま、屋敷の中を走り回った。それから、ハムスターはハナの天敵になったってわけ」
「ハ、ハナちゃん、なんて可哀想なの」
いつの間にやら、カーテンの中から出てきた葉奈、瞳をうるませている。
「それで、ハナちゃん、ハムスターが怖くって、気配を感じただけで、フリーズしちゃうようになったのね」
「いや。だから、怖いんじゃないんだ。これは、ハナの戦闘態勢突入時の兆候。こいつ変わってるからな」
翔、ハナの頭をちょいちょいと、また突いた。
「戦闘態勢…?」と、眉を寄せた貴弘。
「突入…兆候?」と、きょとんとした葉奈。
「うん。変身前の一時停止みたいなもんだ」
「変身?するの?ハナちゃん」
「まあ、なんだ。野獣化するっていうか…」
「にゃがっ」
野太い声に、ぎょっとした3人、同時に振り返ったのだった。
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