2020年 新年 特別編『ナチュラルキス』



『初詣 予想した事態』



「うわぁ、この神社、すっごい賑やかだねぇ」

振り袖姿の詩織が、きょろきょろと周りを見回しながら声を上げた。

正月も、すでに三日目。
今日は、みんなと一緒に初詣にやってきた。

詩織に千里、そして千里の従兄であり啓史の親友でもある敦も一緒だし、森沢に広澤も一緒。

啓史と沙帆子の結婚は、まだ秘密だ。
こういう人が大勢集っているような場所では、ふたりを知る人物と遭遇する可能性は高いわけで、ふたりきりでは来られない。

なので、みんなと一緒に出掛けてきたというわけだ。

カモフラージュに付き合わせてしまうのは申し訳ないかなと思ったんだけど、みんな喜んで集まってくれたようだ。

わたしとしては、こんな風に仲の良いみんなと一緒の初詣は、とっても楽しい。

「あっ、見て見て。たこ焼きの屋台がある、あっ、おうどんまであるよ。すっごい、食べたーい」

テンションを上げた詩織は、屋台の並んでいる方へ走って行ってしまいそうになる。

そんな詩織を、なんと千里は着物の帯を掴んで止める。

「待ちなさい!」

「わわっ!」

勢いよく走りだそうとしていたものだから、危うく後ろにひっくり返りそうになる。

「あっ、危ないでしょう。千里ってばぁ」

「何言ってんの。神社に初詣に来といて、詣でもせずに、たこ焼きめがけてすっ飛んでいこうとするからよ」

「だ、だって……」

「江藤さん、後で行こう。僕も食べたいし」

フォローするように広澤が声をかけた。すると詩織は、ハッとしたように広澤を見て、途端におとなしくなった。
その顔はかなり赤らんできている。

詩織ってば、広澤君が一緒にいるってことを、一瞬忘れたちゃったみたいね。

心の中で苦笑していたら、啓史がみんなに声をかける。

「それじゃ、行くぞ。人混みで迷子になったりしないように、しっかりついてこいよ」

まるきり教師の口調。教え子たちと一緒だと、自然と教師の顔になってしまうようだ。

こういう佐原先生も好ましいけど……

それにしても、着物姿の詩織はとっても可愛らしく、ちょっと羨ましい。

着物を着ているのは詩織だけだ。沙帆子も千里も洋服。

詩織もそのつもりだったらしいのだが、母親に強引に着付けをされてしまったらしい。
せっかく振り袖があるんだから、絶対に着て行けと。

「けど詩織、あんた振り袖着てるっていうのに、たこ焼きなんて食べていいの? 汚したら困るんじゃないの?」

千里の問いに、詩織は苦い顔をする。

「汚さないように気を付ければいいことだもん」

「江藤が汚さずに何か食う確率は、かなり低い気がするが」

啓史が、実にクールに分析する。

啓史の指摘に、詩織はショックを受けた様子だ。

千里は啓史の分析に賛成らしく頷いているが、千里の隣にいる森沢は顔を伏せているが、たぶん笑っているんだろう。

「気を付ければ大丈夫だよ。きっと」

性格のやさしい広澤が、取りなす。だが、彼もそんなに自信はなさそうだ。

日頃の詩織を見ていれば、まあ、そういう反応になるだろう。

その時気付いたが、なぜか敦が得々とした顔をしている。

敦さんなんだろう?
何か企みがうまくいっている時の顔っぽいんだけど……

「食べなければいいことだろう」

そっけなく啓史が言い、さらに詩織のショックを増長させる。

やれやれ。

沙帆子は詩織をかばおうと思ったのだが、そこで敦が間に入ってきた。

「佐原、それは酷だぞ」

敦の発言に、詩織は感激したようだ。
味方を得て、嬉しそうに敦の背後に回る。

「こういうこともあろうかと、ちゃんと用意してきたんだぜ」

敦はコートのポケットから何やら取り出す。

「ほら、こいつを付ければ問題なしだ」

「敦、それ、なんだ?」

眉を寄せて聞く啓史に、敦はにやっと笑い、取り出したものを広げながら説明を始る。

「焼肉屋とかでよくある紙エプロンだ。こういう事態になんとなくなる気がして、用意しといたんだ。なんなら、沙帆子ちゃんと、千里の分もあるぞ」

千里は拒否して首を横に振る。

「わたしはそんなものいらないわよ。汚したりはしないし、もし万が一汚れても構わないし」

「わ、わたしもいいです。これ洗濯できる服なので」

沙帆子も慌てて辞退する。

「わ、わたしも……そ、そんなの付けなくても汚さないので」

詩織は遠慮がちに断る。実は詩織、なぜか敦に対して強い信頼を寄せているのだ。

今回の紙エプロンについても、純粋な好意で用意してくれたと思っているに違いない。

「なんだ。せっかく用意してきたのに……」

敦がらしくなく、残念そうに肩を落とす。
どうみても演技っぽい。

そんなわざとらしい演技にだまされるのは、詩織くらいで……

詩織は顔を引きつらせて、千里と沙帆子に視線を向けてくる。

「あの、さすがにそれはないかと思うんですが……」

また広澤が取りなす。

「ハンカチくらいでいいんじゃないかな」

沙帆子も黙っていられず、意見を言う。

だって、いくらなんでも振り袖に紙エプロンとかないよ。

敦さんってば、詩織をからかって楽しみたいだけなんだもの。

「敦、お前いい加減にしろよ。ほら、行くぞ」

啓史は敦を叱責し、さっさと歩き出した。みんな彼の後をぞろぞろついていく。

手水舎で、敦の礼儀作法のうんちくを聞いて、みなで手と口を正しく清め、たくさんの人が列をなしている神殿前へと進む。

そしていよいよ順番が来た。
沙帆子は啓史の横に並び、賽銭箱にお金を入れ、真剣に参拝する。

沙帆子の一番の願いは、啓史とずっと一緒にいられますように。


そのあと、屋台を見て回った。
この神社を選んだのは敦で、屋台がたくさんあるからという理由だったらしい。

詩織は紙エプロンを申し訳なさそうに拒否し、結局着けなかった。

敦はひどく残念そうにポケットに戻していたけれど、実際に着けてくれるとは思っていなかったはずだ。

ほんと、敦さんって困った人だ。

「榎原。お前もたこ焼き食いたいか?」

敦を見て苦笑していたら、啓史が尋ねてきた。

「はい」

沙帆子は喜んで返事をし、たこ焼きの列に並ぶ。すると、広澤が沙帆子と啓史の間に割り込んできた。

「佐原先生、僕も食べたいです」

「は?」

「榎原さんだけは、ダメでしょう」

森沢がひょいと顔を出してきて、これまた間に入ってくる。

さらには千里までも。

「数人いますよ」

千里の言葉に、啓史の顔に納得の表情が浮かんだ。

沙帆子は緊張してしまう。
佐原先生か、わたしたちを知っている人物が、この場にいるってことらしい。

「仕方ない。おごってやるよ。うん? 江藤と敦のやつはどこ行ったんだ?」

「もうたこ焼き買って、向こうの方に……ほら、あそこ」

森沢が指をさす方へ、みんなして視線を向ける。

「なんか……お約束の事態になったみたいね」

千里の言うとおり、予想した事態と言うか……なったらしかった。





「詩織、ママにめちゃくちゃ怒られたみたいです。しょげちゃってかわいそうでした」

家に帰った詩織とメールでやり取りし、詩織のことを気にしてくれていた啓史にも報告する。

「そうか」

ここは啓史の実家だ。
啓史の私室ではなく、啓史と沙帆子のために用意してもらっている部屋にいる。

啓史はこの部屋が落ち着かないようだが、母親がふたりのためにと特別に用意してくれた部屋なので、嫌がるそぶりを見せられないようだ。

こういうところ、ほんと先生やさしいんだよね。

そっけない態度の内面では、人の気持ちを何より大事にしてくれる。

「まあ、怒りが収まるまで、仕方がないだろう。それにしても、江藤はもう少し慎重に行動するようにすべきだな」

「そうできるなら、そうしてると思います。けど、詩織ですから」

顔をしかめてそう言ったら、啓史が噴き出した。

「噴き出さないでください。笑わそうとして言ったんじゃないんですよ」

「悪い」

苦笑して言った啓史は、そっと沙帆子の頭に触れてきた。

心臓が鼓動を速める。

「あと、三ヵ月だな」

その言葉に、沙帆子は無言でうなずいた。

三ヵ月経ったら、わたしはもう高校生ではなくなる。

まあ、その前に、入試という大事が控えているが……

沙帆子専用家庭教師に、スパルタにしごかれている毎日だ。

頭の回路が焼ききれそうになったりもするが、今が正念場。
楽しい大学生活を送るために、いま頑張るしかない。
 まあ、詩織のほうがもっと大変そうだけど。

そっか。今日の初詣。三人同じ大学に入学できますようにってことも、お祈りしとくべきだったな。

なのに、わたしってば、佐原先生とのことだけ……

「どうした?」

眉を寄せていたら、啓史が気にして問いかけてくる。

「あの、今日の初詣。先生は神様に何をお願いしたんですか?」

「さあな」

やはり、教えてはもらえないか。

「お前と同じだと思いたいな」

「え?」

啓史を見つめると、彼は苦笑し、そっと顔を寄せてきた。

軽く唇がふれる。

沙帆子の頬は途端に真っ赤になった。

啓史の指が、熱を楽しむように頬に触れる。

その甘い感触にいたたまれず、沙帆子は目を閉じた。

この夢のような時を与えてくれた神様に、深く感謝しつつ……








                               
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