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『初詣 予想した事態』
「うわぁ、この神社、すっごい賑やかだねぇ」
振り袖姿の詩織が、きょろきょろと周りを見回しながら声を上げた。
正月も、すでに三日目。
今日は、みんなと一緒に初詣にやってきた。
詩織に千里、そして千里の従兄であり啓史の親友でもある敦も一緒だし、森沢に広澤も一緒。
啓史と沙帆子の結婚は、まだ秘密だ。
こういう人が大勢集っているような場所では、ふたりを知る人物と遭遇する可能性は高いわけで、ふたりきりでは来られない。
なので、みんなと一緒に出掛けてきたというわけだ。
カモフラージュに付き合わせてしまうのは申し訳ないかなと思ったんだけど、みんな喜んで集まってくれたようだ。
わたしとしては、こんな風に仲の良いみんなと一緒の初詣は、とっても楽しい。
「あっ、見て見て。たこ焼きの屋台がある、あっ、おうどんまであるよ。すっごい、食べたーい」
テンションを上げた詩織は、屋台の並んでいる方へ走って行ってしまいそうになる。
そんな詩織を、なんと千里は着物の帯を掴んで止める。
「待ちなさい!」
「わわっ!」
勢いよく走りだそうとしていたものだから、危うく後ろにひっくり返りそうになる。
「あっ、危ないでしょう。千里ってばぁ」
「何言ってんの。神社に初詣に来といて、詣でもせずに、たこ焼きめがけてすっ飛んでいこうとするからよ」
「だ、だって……」
「江藤さん、後で行こう。僕も食べたいし」
フォローするように広澤が声をかけた。すると詩織は、ハッとしたように広澤を見て、途端におとなしくなった。
その顔はかなり赤らんできている。
詩織ってば、広澤君が一緒にいるってことを、一瞬忘れたちゃったみたいね。
心の中で苦笑していたら、啓史がみんなに声をかける。
「それじゃ、行くぞ。人混みで迷子になったりしないように、しっかりついてこいよ」
まるきり教師の口調。教え子たちと一緒だと、自然と教師の顔になってしまうようだ。
こういう佐原先生も好ましいけど……
それにしても、着物姿の詩織はとっても可愛らしく、ちょっと羨ましい。
着物を着ているのは詩織だけだ。沙帆子も千里も洋服。
詩織もそのつもりだったらしいのだが、母親に強引に着付けをされてしまったらしい。
せっかく振り袖があるんだから、絶対に着て行けと。
「けど詩織、あんた振り袖着てるっていうのに、たこ焼きなんて食べていいの? 汚したら困るんじゃないの?」
千里の問いに、詩織は苦い顔をする。
「汚さないように気を付ければいいことだもん」
「江藤が汚さずに何か食う確率は、かなり低い気がするが」
啓史が、実にクールに分析する。
啓史の指摘に、詩織はショックを受けた様子だ。
千里は啓史の分析に賛成らしく頷いているが、千里の隣にいる森沢は顔を伏せているが、たぶん笑っているんだろう。
「気を付ければ大丈夫だよ。きっと」
性格のやさしい広澤が、取りなす。だが、彼もそんなに自信はなさそうだ。
日頃の詩織を見ていれば、まあ、そういう反応になるだろう。
その時気付いたが、なぜか敦が得々とした顔をしている。
敦さんなんだろう?
何か企みがうまくいっている時の顔っぽいんだけど……
「食べなければいいことだろう」
そっけなく啓史が言い、さらに詩織のショックを増長させる。
やれやれ。
沙帆子は詩織をかばおうと思ったのだが、そこで敦が間に入ってきた。
「佐原、それは酷だぞ」
敦の発言に、詩織は感激したようだ。
味方を得て、嬉しそうに敦の背後に回る。
「こういうこともあろうかと、ちゃんと用意してきたんだぜ」
敦はコートのポケットから何やら取り出す。
「ほら、こいつを付ければ問題なしだ」
「敦、それ、なんだ?」
眉を寄せて聞く啓史に、敦はにやっと笑い、取り出したものを広げながら説明を始る。
「焼肉屋とかでよくある紙エプロンだ。こういう事態になんとなくなる気がして、用意しといたんだ。なんなら、沙帆子ちゃんと、千里の分もあるぞ」
千里は拒否して首を横に振る。
「わたしはそんなものいらないわよ。汚したりはしないし、もし万が一汚れても構わないし」
「わ、わたしもいいです。これ洗濯できる服なので」
沙帆子も慌てて辞退する。
「わ、わたしも……そ、そんなの付けなくても汚さないので」
詩織は遠慮がちに断る。実は詩織、なぜか敦に対して強い信頼を寄せているのだ。
今回の紙エプロンについても、純粋な好意で用意してくれたと思っているに違いない。
「なんだ。せっかく用意してきたのに……」
敦がらしくなく、残念そうに肩を落とす。
どうみても演技っぽい。
そんなわざとらしい演技にだまされるのは、詩織くらいで……
詩織は顔を引きつらせて、千里と沙帆子に視線を向けてくる。
「あの、さすがにそれはないかと思うんですが……」
また広澤が取りなす。
「ハンカチくらいでいいんじゃないかな」
沙帆子も黙っていられず、意見を言う。
だって、いくらなんでも振り袖に紙エプロンとかないよ。
敦さんってば、詩織をからかって楽しみたいだけなんだもの。
「敦、お前いい加減にしろよ。ほら、行くぞ」
啓史は敦を叱責し、さっさと歩き出した。みんな彼の後をぞろぞろついていく。
手水舎で、敦の礼儀作法のうんちくを聞いて、みなで手と口を正しく清め、たくさんの人が列をなしている神殿前へと進む。
そしていよいよ順番が来た。
沙帆子は啓史の横に並び、賽銭箱にお金を入れ、真剣に参拝する。
沙帆子の一番の願いは、啓史とずっと一緒にいられますように。
そのあと、屋台を見て回った。
この神社を選んだのは敦で、屋台がたくさんあるからという理由だったらしい。
詩織は紙エプロンを申し訳なさそうに拒否し、結局着けなかった。
敦はひどく残念そうにポケットに戻していたけれど、実際に着けてくれるとは思っていなかったはずだ。
ほんと、敦さんって困った人だ。
「榎原。お前もたこ焼き食いたいか?」
敦を見て苦笑していたら、啓史が尋ねてきた。
「はい」
沙帆子は喜んで返事をし、たこ焼きの列に並ぶ。すると、広澤が沙帆子と啓史の間に割り込んできた。
「佐原先生、僕も食べたいです」
「は?」
「榎原さんだけは、ダメでしょう」
森沢がひょいと顔を出してきて、これまた間に入ってくる。
さらには千里までも。
「数人いますよ」
千里の言葉に、啓史の顔に納得の表情が浮かんだ。
沙帆子は緊張してしまう。
佐原先生か、わたしたちを知っている人物が、この場にいるってことらしい。
「仕方ない。おごってやるよ。うん? 江藤と敦のやつはどこ行ったんだ?」
「もうたこ焼き買って、向こうの方に……ほら、あそこ」
森沢が指をさす方へ、みんなして視線を向ける。
「なんか……お約束の事態になったみたいね」
千里の言うとおり、予想した事態と言うか……なったらしかった。
「詩織、ママにめちゃくちゃ怒られたみたいです。しょげちゃってかわいそうでした」
家に帰った詩織とメールでやり取りし、詩織のことを気にしてくれていた啓史にも報告する。
「そうか」
ここは啓史の実家だ。
啓史の私室ではなく、啓史と沙帆子のために用意してもらっている部屋にいる。
啓史はこの部屋が落ち着かないようだが、母親がふたりのためにと特別に用意してくれた部屋なので、嫌がるそぶりを見せられないようだ。
こういうところ、ほんと先生やさしいんだよね。
そっけない態度の内面では、人の気持ちを何より大事にしてくれる。
「まあ、怒りが収まるまで、仕方がないだろう。それにしても、江藤はもう少し慎重に行動するようにすべきだな」
「そうできるなら、そうしてると思います。けど、詩織ですから」
顔をしかめてそう言ったら、啓史が噴き出した。
「噴き出さないでください。笑わそうとして言ったんじゃないんですよ」
「悪い」
苦笑して言った啓史は、そっと沙帆子の頭に触れてきた。
心臓が鼓動を速める。
「あと、三ヵ月だな」
その言葉に、沙帆子は無言でうなずいた。
三ヵ月経ったら、わたしはもう高校生ではなくなる。
まあ、その前に、入試という大事が控えているが……
沙帆子専用家庭教師に、スパルタにしごかれている毎日だ。
頭の回路が焼ききれそうになったりもするが、今が正念場。
楽しい大学生活を送るために、いま頑張るしかない。
まあ、詩織のほうがもっと大変そうだけど。
そっか。今日の初詣。三人同じ大学に入学できますようにってことも、お祈りしとくべきだったな。
なのに、わたしってば、佐原先生とのことだけ……
「どうした?」
眉を寄せていたら、啓史が気にして問いかけてくる。
「あの、今日の初詣。先生は神様に何をお願いしたんですか?」
「さあな」
やはり、教えてはもらえないか。
「お前と同じだと思いたいな」
「え?」
啓史を見つめると、彼は苦笑し、そっと顔を寄せてきた。
軽く唇がふれる。
沙帆子の頬は途端に真っ赤になった。
啓史の指が、熱を楽しむように頬に触れる。
その甘い感触にいたたまれず、沙帆子は目を閉じた。
この夢のような時を与えてくれた神様に、深く感謝しつつ……
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