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第5話 切ない別れ
どうしよう? どうしよう? どうしよう?
リンちゃんが、こんな獰猛そうなにゃんこちゃんだったなんて。
とてもじゃないけど、お世話なんてできないよぉ。
青くなっている真優の横で、慎也はゲージを受け取った。
その途端、リンの威嚇っぷりはヒートアップする。
「姉貴、こいつもうちょっと、おとなしくならないのか?」
リンの鳴き声に、慎也は弱ったように言う。
「わたしと離れ離れになるのを感じてるんだと思うの。それで神経が過敏になっちゃってるのよ。リンはすごーく繊細だから……」
慎也は重いため息をついた。
それから、さっさとここを去ろうと思ったのか、ゲージを抱えて部屋から出て行った。
真優は慌てて彼に続く。
「姉貴、リンの荷物は玄関にあるあれだな?」
玄関に向かいながら慎也が聞く。
その大量の荷物は、真優たちがここに来たときには、すでに置いてあった。
リンは依然として、わめきながら暴れている。
あれではゲージを抱えているだけでも大変だろう。
「ええ、そう」
慎也がリンを家の外へ運び出し、真優は玄関先の荷物に目を向けた。
「お姉さん、どれを運べばいいんですか?」
「ね、ねぇ、真優ちゃん」
慎也の姉は声を潜めて話しかける。
「はい?」
「慎と、どこで知り合ったの?」
返事に困る。
先ほど会社の駐車場で、突然後ろから突き飛ばされて知り合いました、なんて言えない。
「あいつ、家に引きこもってばかりいるから、彼女なんてできるわけがないと思ってたのよ」
引きこもってばかりいる?
そうなのか? とてもそうは見えない……というか、出会ったばかりのわたしに、にゃんこシッターをすると約束させ、ここまで半ば強引に連れてきたことを考えると、ぐいぐいひとを引っ張っていくリーダータイプの男性に見える。
「でもよかったわ。あなたみたいないい子が彼女になってくれて……」
「あ、ど、どうも」
「でも、あいつ、仕事ばっかりでしょう? ちゃんとデートとか連れていってもらえてる?」
「ああ……まあ、はい」
恋人のフリをすると決めたものの、どう答えていいかわからず、あやふやな返事になってしまう。
するとそこに、慎也が戻ってきた。
「姉貴、リンの荷物はどれ?」
「どれって、ここにあるの全部よ。お願ね」
「はあっ?」
荷物を見て、慎也が呆れた声を上げる。
確かに相当な量だ。
「姉貴の荷物も混ざっているんだと思ってたよ」
「わたしの荷物は寝室に置いてあるわよ。リンのと、混ざっちゃったら困るから」
そうだった。
お姉さんは、明日海外赴任している旦那様のところに行くんだったね。
「明日、出発されるんですよね。お姉さん、気をつけて行ってきてください」
「まあっ、真優ちゃんありがと。なんかもう初対面とは思えないくらい、親しみ感じちゃうわぁ」
嬉しそうに言われて顔が引きつりそうになる。
慎也の姉が自分に親しみを感じてくれているのは嬉しいが……ちゃんとリンのお世話ができるのか、はなはだ不安だ。
リンの荷物をやっと車に運び終え、真優は後部座席に乗り込んだ。
真優の隣にはリンが入っているゲージが置かれている。
走行中、ゲージを支える任務を仰せつかったのだが……
正直、この任務にさえ怯えているわけで……
なんせ、リンは依然興奮していて、ドスのきいた鳴き声を上げ続けているのだ。
「真優、大丈夫か?」
運転席に座った慎也が、申し訳なさそうに聞いてくる。
「大丈夫ですよ」
大丈夫ではなかったが、慎也と彼の姉を少しでも安心させたくて、真優は明るく答えた。
「わたし……やっぱりやめようかしら?」
車の外でふたりのやりとりを見ていた慎也の姉が言う。
「はあっ? 姉貴、いまさら何を言い出すんだ」
「そうですよ。旦那様、すごく楽しみに待っていらっしゃいますよ。リンちゃんなら、わたしに任せて下さい。わたしは猫に好かれる体質なんです。リンちゃんだって、すぐに懐いてくれます」
言いすぎだと思いつつも、この場を収めるためににっこり笑っておく。
きっとなんとかなる。なってほしいっ!
と、切実に祈っていると、リンがひときわ大きく鳴いた。
驚いた真優は、ゲージを支える手を離してしまった。
豪語した手前、ものすごくいたたまれない。
「あの……真優ちゃん?」
ま、まずいかも。
いまのでお姉さんの不安を煽ってしまったようだ。
「だ、大丈夫ですよぉ」
なんとか笑みを浮かべる。
「真優、目が泳いでるぞ」
運転席に座った慎也がぼそりと呟いた。真優には聞こえたが、車の外にいる慎也の姉には届いていないだろう。
バックミラー越しに慎也を見ると、笑いを堪えているのがわかった。
「慎也さん!」
むっとして大声で呼びかけると、慎也が愉快そうに笑い出す。
だが、余裕な感じで笑っている慎也を見て、真優は不思議と気持ちが落ち着いてきた。
猫が苦手な慎也だけど、真優ひとりにリンを押し付けることはしないように思えて、安心したのだ。
「真優ちゃん、ほんと迷惑かけちゃうと思うけど、リンのことよろしくお願します」
「はい。任せて下さい」
今度は、自然と微笑むことができた。真優の笑顔で慎也の姉もほっとしたようだった。
慎也がエンジンをかける。
すると、鳴き続けていたリンが、ぴたりと静かになった。
真優は驚いてリンを見つめた。
「ついに諦めたか」
「そうだと思う。もう無理だってわかったんだわ。リンはすごく頭がいいのよ」
慎也の姉は苦笑交じりに言ったが、その声は微かな震えを帯びていて、真優もじわっと涙が湧いてきた。
車が動き始める。
真優は静かになったゲージを支えながら、遠ざかっていく慎也の姉を見つめていた。
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