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第2話 顔の赤らむ、お約束
片付けを終え、真優はキッチンを出た。
慎也の部屋まで歩いてゆき、閉じたドアを見つめる。
なんか緊張する。
スー、ハ―、スー、ハ―……
少し落ち着こうと、急いで深呼吸をしていたら、ふいにドアが開いた。
「わっ!」
びっくりし、思わず後ろに飛び退る。
「あっ、驚かせたか、ごめん。足音がしたから……君かと思って待っていたけど、なかなか入って来ないんで、気になって開けた」
「そ、そうでしたか。すみません」
「どうした?」
「は、はい? 何が……ですか?」
「いや、なんか落ち着かないみたいに見えるから……」
まさにその通りなのだが……
「いえ。慎也さんの話というのが、なんなのかなぁと……気になって」
「そうか。ともかく入ってくれ。あそこでは、青井がいるから話せなかったんだ」
「はい? 康弘君ですか? ……ということは、彼に関連した話なんですか?」
「いや、その逆。あいつとまるで関係ない話だ」
関係ない話?
慎也に促がされるまま、彼と並んでベッドに腰かけたが、慎也の言う意味がわからない。
首を捻っていると、慎也が笑った。
えっ、どうして笑ったの?
「あ、あの、慎也さん、何がおかしいんですか?」
どこかおかしなところがあるのかと、慌てて探していると、慎也に手を握られた。
「いや、君が可愛くて」
かかか、可愛い?
し、慎也さんってば、そんな言葉をストレートに貰うと、どんな顔していいやら困るんですけどぉ。
反応に困り、視線を逸らしていると、慎也が頬に触れてきた。
「し、慎也さん」
抗議するように口にすると、唇が触れ合った。
う……
重なり合った唇が動くたび、なんとも恥かしい音が立つ。
どうしていいかわからなくなり、真優は慎也の胸にしがみついた。
長かったのか短かったのか、時間の経過がわからぬままに、キスが終わる。
「はあっ、君の唇は甘すぎるな」
うわーっ!
そ、そんなこと言われたら、どう返せばいいの?
恋愛初心者のため、いちいちフリーズしている自分が恨めしくなる。
こんなことじゃ、慎也さんに呆れられちゃうんじゃないだろうか?
「さっきの話の続きだけど……」
「は、はいっ」
「『エンジェル・カフェ』に行く話だ。次の週でどうかってことになったんだ」
エ、エンジェル・カフェ?
『エンジェル・カフェ』は、真優が以前バイトをしていたコスプレ喫茶だ。
「それって、村形さんと一緒にって話の……ですよね? えっ? あの、でも、青井さんがいると話せないって……どういうことなんですか?」
「あいつにコスプレ喫茶体験は、できればさせたくない。あいつ、とんでもなく嵌りそうだからな」
「ああ。そういうことですか」
確かに、ゲームに目のない青井だ、コスプレ喫茶も気に入るかもしれない。
もし、嵌りすぎたりしたら……バイトがおろそかになるかもしれないと、慎也たちは心配しているのだろう。
「それで、英嗣と基樹まで一緒に行くことになってしまったんだ」
「そ、そうなんですか」
なんと、あの頃『エンジェル・カフェ』に来ていた三人が一緒に行くというのか?
真優としては、なんとも複雑。
彼女が顔をしかめると、慎也も同じように顔をしかめる。
「できれば、俺たちと村形さんの三人で行きたかったんだが……村形さんが基樹に話してしまったんだ。いや、たぶん、基樹のほうが、村形さんから聞き出したんだろうけどな。さらに基樹は、英嗣に話したってわけだ」
「そうですか……」
困った。どうしよう!!
慎也さんは、私も一緒に行くものと思っているようだけど……実のところ、あの店には足を向けづらい。
行かずにすんだら、そのほうがいいんだけど……
「あの……わたしは」
「君は、あの後、『エンジェル・カフェ』に顔を出したりしていないのか?」
「は、はい」
あそこでのバイトを辞めてしまってからは、一度も顔を出していない。
それでも、店長の妻である香織は、辞めた後も真優のことを気にかけてくれ、電話やメールでのやり取りをいまも続けていたりする。
すでに会社に就職した今ですら、いつでも帰って来てねと言われるし……もちろん、冗談なのだろうけど。
「それじゃ、ひさしぶりで懐かしいだろう?」
懐かしくはあるのだが……
「あの、大城さんや坂之下さんも行かれるのでしたら、今回わたしはご遠慮します」
「えっ、行かないのか?」
「はい。村形さんに、コスプレ喫茶を体験してもらうのでしたら、男性だけで行かれたほうが、絶対にいいと思います。わたしは……その……また改めて行かせていただくことにします」
敷居が高いし、あの店に客として行くなんて……どんな顔をして行けばいいやらわからない。
「なんだ……君も一緒に行くと思ってたのにな」
慎也は残念そうに肩を落として言う。
「だ、だって。恥ずかしいですよ。あの頃のことを思い出しちゃって……」
「恥ずかしいのは俺だと思うけどな。ずっと顔を隠してて……君から見ても、俺はおかしな客だったろう?」
慎也は照れくさそうに顔をほんのり赤らめている。
照れ具合がすごーく可愛く見えて、胸がきゅんきゅんする。
できるものなら、きゅっと抱きしめたいけど……
恋人同士になれたものの、まだ付き合い始めたばかりで、そこまで大胆なことはできない。
「そ、そういえば……慎也さんについては、色々な噂が飛び交ってましたよ」
「俺についての噂?」
「はい。実は、すっごい有名人なんじゃないかとかって、お店の女の子たちが。正体を知られちゃ不味い立場のひとに違いないって……わたしも、そうなのかもって思ってました」
真優の話を聞き、慎也が派手に噴き出した。
「それが実は、ただの引きこもりの情けない一般人だったってわけだ」
慎也は笑いながら言うが、これについては異議を唱えたい。
彼はただの一般人ではない。「シンキエイ」という、名の知られたゲーム制作会社の代表なのだ。
彼と付き合っていても、真優にとって彼は雲の上のひと。
そんな凄いひとと付き合っていることが、いまだに信じられない。
「なあ真優、ほんとに一緒に行かないのか?」
慎也は諦めきれないようで、再度誘ってくる。真優は首を横に振った。
「はい。みなさんと行って来てください。わたしが混ざるより、そのほうがいいですよ」
説得するように言うと、慎也はしばらく考え込んでいたが、「わかった」と頷いてくれた。
ふいに抱きしめられた。
しかも、そのままベッドに押し倒されてしまう。
真優に覆い被さっている慎也の瞳を見つめ返すも、すでに余裕ゼロで頭は真っ白だ。
どくんどくんと大きく心臓が躍動し、緊張から身を硬めてしまう。
「真優」
甘い響きで呼びかけられ、真優は瞳を覗き込んでくる慎也の眼差しに魅入られ、我知らず見つめ返す。
胸の膨らみに慎也の手のひらが当てられたのを強烈に意識していると、唇がゆっくりと近づいてきて、真優は焦って目を瞑った。
コンコン!
大きなノックの音が響き、彼女はぎょっとして目を開いた。
「ボース」
「なんだ?」
「そろそろ戻ってこい!」
青井が怒鳴りつけてきた。
突然の怒号に驚き、びくりとする。すると慎也が頭を撫でてきた。それと同時に、青井が笑いながら声をかけてきた。
「以上、大城さんからの伝言でしたぁ」
ふたりを驚かせて、青井がにやにやしているだろうことが容易に想像できる。
「すぐ行く」
不機嫌そうに返事をした慎也は、青井が歩み去る足音を聞き、「はあっ」と吐息を漏らす。
真優が顔を赤らめていると、彼は目を合わせて、顎の下に指を当ててやさしく顔を上げさせた。
「この続きはまたあとで。……今夜はもちろん泊まれるんだよな?」
「は、はい」
顔がボボボボボッと燃える。
みっともないほど赤くなっただろう顔が恥ずかしくてならない。
心臓が暴走してどうにもならない真優は、顔を隠して俯き、こくりと頷いたのだった。
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