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第4話 騒々しい昼食
「慎也、そろそろ飯を食おうぜ」
仕事場の自分の席に座り、パソコンのキーを叩いていた慎也は、英嗣の呼びかけに意識をわずかに向けた。
「もう少しやっておきたい。……お前たち……先に食べてくれ」
仕事の手を止めず、単調な返事をする。
「何言ってる。ダメに決まってんだろ」
その言葉とともに、慎也の隣の席に座って仕事をしていた基樹が机をドンと叩く。
さらに、「午後の予定を忘れちゃいないだろうな?」と耳元でがなられた。
さすがの慎也も顔をしかめ、仕事の手を止めてしまう。
乗ってやっていた仕事の邪魔をされ、慎也はむっとして基樹を睨んだ。
「せっかくいい調子で進められてたのに、邪魔するな!」
「なんだとぉ!」
「はいはい。慎也君、基樹君。喧嘩はやめようなぁ」
まるで幼稚園の保父さんのように英嗣が間に入ってきた。
ポンポンとなだめるように肩を叩かれ、慎也と基樹はふたり同時に英嗣を睨みつけた。
「おー、怖い、怖い」
英嗣はわざと震えながら、パッと離れる。
「お前、その性格、もう少しなんとかしろ、英嗣」
慎也は呆れて言った。
「いやだなぁ。この性格じゃなくなったら、大城英嗣の消滅だぞ♪」
拳に固めた両手を顎の下にくっつけて、英嗣は腰をしならせてかわい子ぶる。
うっ……
慎也は顔を歪めた。
以前、この男も女装をしたことがあるのだが、どう頑張っても、女に見えなかった男だ……
「き、気持ち悪っ……」
口を押さえた基樹が吐きそうに言う。
それについては、まったく同感だ。
「失礼だねぇ、基樹君」
ぷりぷりして言い返した英嗣だが、次の瞬間、にやっと笑う。
「さあ、冗談はこのくらいにして……慎也、もう仕事の手を止めたんだ、機嫌を直して昼飯を食おうじゃないか」
言葉とともに伸びてきた英嗣の手を、慎也は邪険に払った。
「予約した時間まで、まだ二時間はあるじゃないか。『エンジェルカフェ』までは三十分あれば着けるんだ。つまり、ここを十二時二十分までに出れば、村形さんと落ち合い、一時には到着できる。逆算して、あと五十分は仕事ができるということになる」
「お前なぁ、昼飯はどこに入るんだ?」
「十分残ってる。五分で昼飯を食えば、まだ五分ゆとりがある」
「馬鹿言え」
「何が五分だ」
基樹と英嗣から同時に怒鳴られた。
その直後、慎也はふたりに腕を掴まれ、仕事場から引きずり出された。
もちろん抗ったが、ふたり掛かりでこられては敵うはずもない。
結果、慎也は超不機嫌な表情で食卓に座った。
数分で、レトルトの昼食が目の前に並ぶ。
「ありがとう」
用意して貰った礼を素直に言い、慎也は大人しく食べ始めた。
すでに仕事を中断してしまったのだ。いつまでも機嫌を損なっているのは、意味がない。
「お前って、ほんと面倒でむかつく性格してるよな、慎也」
イラついたように基樹が言い、慎也は基樹を見つめた。
「まあな」
あっさり答えたら、英嗣がかくんと顎を落とす。
「真優ちゃん、こんなお前を知らないんだよなぁ。かわいそうに」
基樹が気の毒そうに言う。さすがに聞き捨てならない。
「なんで、彼女がかわいそうなんだ?」
「お前さ、真優ちゃんの前では、猫被ってるよな?」
はあ? 基樹のやつ、何を言い出してんだ。
「俺はそんなもの被っていない」
「いーや、被ってるね。騙されてる真優ちゃんが不憫だぜ」
なんだ、これは? やっかみというやつか?
「……ふん、敗者の戯言なんて痛くもかゆくもない」
わざと挑戦的に言うと、基樹が歯ぎしりした。
慎也と基樹のやりとりを黙って聞いていた英嗣が、笑いを堪えているのに慎也は気づいた。
「何を笑ってる?」
咎めるように聞くと、英嗣は笑いながら首を横に振る。
「いやいや、真優ちゃんに関しては、慎也はとてもよく頑張ったぞ。お兄ちゃんは嬉しいぞ。慎也」
「いつ、お前は俺の兄になった?」
「気持ち的には、ずーっと兄だけど」
英嗣が俺の兄?
まあ、確かに、いろんな面で世話を焼いてもらっているか……?
こいつがいなけりゃ、俺は飯も食わず、ベッドに寝ることもせず、仕事を続けているだろう。
それにしても、今日の英嗣は、いつものこいつじゃないな。
「英嗣、お前ずいぶんと機嫌がいいな。何を企んでいる?」
こいつの性格は、誰より付き合いが長く、すでに熟知している。
態度や行動で、だいたい把握できる。
ゆえに、こいつが何かを企んでいる確率は、九十五パーセント以上。
「うはーっ!」
わざとらしく驚き、英嗣はくすくす笑い出した。
「だってな。三人して、また『エンジェルカフェ』に行くわけだぞ。テンションも上がって当然じゃないか? おまけに、村形さんという、コスプレ喫茶なんて一生縁のありそうになかった人物まで一緒に行くってんだものな。面白いことになりそうじゃないか」
「あのひと、本当に行くのか疑問だが」
ハンバーグをプラスチックのフォークで丁寧に切りながら基樹は言い、上品に口に入れる。
「疑問って……行かないって言い出したわけじゃないんだろう?」
「まあな。ただ、今日に至るまでの間に、やめておこうか行くべきかと、彼が迷っていたのは確かだな」
そうか……
「行かないなら、それでもいいけどな」
慎也はあっさり言った。
「慎也。誘ったお前がそれを言うのか?」
ハンバーグに添えてあるスパゲティーを口に入れようとしていた慎也は、英嗣の問いに、いったん手を止めて答える。
「誘いはした。人生観が変わるきっかけになると勧めたが、最終的に行くか行かないかは本人次第だろう。俺は、強制はしない」
「まあ、それはそうか」
英嗣が納得したように言う。すると基樹がじろりと慎也を見る。
「基樹、なんだ?」
「いーや。真優ちゃん、なんでお前なんか好きになったのか、不思議でならん」
慎也は基樹の目をまっすぐに見つめ返す。
「お前がそういう考えに至った理由を、教えてもらいたいが」
「不器用は不器用だよな。そういうところが乙女心をキュンとさせるだろうことはわかるが……お前の不器用さは可愛くないのにな」
慎也の質問を無視し、基樹は慎也をじろじろ見ながら言いたい放題だ。
「俺は可愛くなどない」
そこはきっぱり言っておく。ただ……
「真優が俺のどこを好きになったのかについては……正直、俺にも謎だ」
断言すると、なぜかふたりは同時によろけた。
「お前たち、どうした?」
「い、いや……なんか、いまのでわかった気がしたよ。なあ、基樹」
同意を得るように英嗣は基樹に話しかけたが、基樹は面白くなさそうに「ふん」と鼻を鳴らす。
慎也は眉をひそめた。
「何がわかったんだ?」
何を言っているのかよくわからず尋ねたが、英嗣は笑うばかりで答えてくれなかった。
それにしても……せっかくの週末、真優に会えないのは物足りない。だが、明日は会える。
慎也は目の前の昼食に集中することにした。
さっさと食べて、『エンジェルカフェ』に顔を出してくることにしよう。
真優のいない『エンジェルカフェ』など、まったく魅力を感じないが、仕方がない。
これも村形氏のため……
うん?
慎也はくいっと眉を上げた。
「……考えてみたら、今回の『エンジェルカフェ』行きは、村形氏のためだろ。彼がキャンセルするのであれば、もう我々が行く必要はないんじゃないか?」
「彼は行くさ。……いや、もし行かないなんて言い出したなら、首に縄をつけてでもひっぱってゆく」
英嗣は断固として言う。慎也は首を傾げた。
「どうして?」
「俺は今日という日を、指折り数え、楽しみにしていたんだぞ。村形氏の我が侭で阻止されてたまるかってんだ」
英嗣は珍しくムキになって言う。
慎也は、そんな英嗣を見つめて眉を寄せた。
こいつ……やはり何か企んでいるな。
それはわかるが、何を企んでいるのかまではさすがにわからない。
まあ、いいか。
こいつの標的は村形氏のようだ。好きにやらせておくとしよう。
結論を出した慎也は、残っているハンバーグの欠片を口に放り込んだ。
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