思いは果てしなく 
その8 切ない口づけ



求めても求めても得られないもの。
尚にとってこの男こそがそうだった。

それなのにいま、彼の全身がここにある。

額に乗せた手のひらはずっと同じ位置で添えたままだった。
ピクリとも動かさないものだから、いい加減痺れてきたけれど、それでもぐっと我慢する。

彼に起きて欲しくなかった。
この寝顔をずっとずっと見ていたかった。
そのくせ、彼の瞳が見たいという複雑な思いが交差する。

半開きになった無防備な唇が尚を誘う。

彼女はぶるぶると頭を振った。
それでも数秒経つと、また視線は響の唇に釘付けになった。

どうしてもいま味わいたかった。
衝動が止められない。

尚は彼にかがみ込んだ。
あと少しというところで響の瞳が薄く開き、尚は固まった。

「あ、しまった」
と眠たげな声と瞳で彼が呟いた。

「俺、また寝るから、そのままキスして」とふたたび目を閉じる。

「ばかっ」

尚は顔から火が出るほど恥ずかしかった。
怒鳴ったのは彼に向けてではなく、自分に向けたものだ。
でもそんなこと彼が知る由もない。

「なんだ、お預け?」
真剣な顔で響は言うと、右手を彼女の後頭部に当てて、そっと自分に引き寄せた。

唇が重なる。
軽いキスだった。
それでも、八年の歳月が一瞬で消えたように思えた。





家まであと少しのところに来て、響が車を止めた。

尚は、胸が震えた。
そうして欲しいと願っていたけれど、本当にそうなった今、頭の中がパニックに陥ってもいた。

肩に手を添えられて、思わずビクンと肩を震わせてしまう。
彼の指が顎にそっと触れ、自分の方に向かせ、尚は、促されるまま首を回した。

望みは、今日一日で戸惑うほどに叶えられた。
それでももうひとつ、一番の望みをまだ手に入れていない。

彼の顔が近づいてきた。
その唇を早く味わいたいと思う一方で、望みの言葉が得られないままなのが切なかった。

響は口づけがうまかった。
とても巧みだった。

女性遍歴を重ねていなければ、これほどうまくならないだろうと尚には思えた。

「なんで泣くの?嫌だった?俺、無理強いしたかな?」

途方に暮れた響の顔を見つめていると、またどうしようもなく涙があふれてくる。
尚は無言で首を振り続けた。




   
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