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その2 友からの痛い助言
友達、都奈子の連れて来てくれた店は、ずいぶんとおしゃれな所だった。
「都奈ちゃん、なかなか雰囲気いいわね。ここ」
ふたり掛けの丸いテーブル席に、真向かいに座った友に、尚は店内をうっとりと眺めながら、感激を込めて言った。
「でっしょう」
都奈子は、かなりの力を入れて、得意そうに返してきた。
彼女は大学時代からの、尚の大親友だ。
ふたりは教室内で顔見知りになり、徐々に仲良くなっていった。
中身は天然で、ありえないくらいの純情乙女の尚なのだが、男好きのする色香の香る外観を持つために、尚に対する都奈子の第一印象は、「こんな女嫌い」だったらしい。
尚の方も、凛とした雰囲気の都奈子は少し近寄りがたかったし、都奈子は、尚をあまり好いてはいないようだと感じていたから、ふたりが仲良くなるのには、ずいぶんと時が必要だった。
けれど、だからこそ、ふたりは心からの親友と呼べるだけの位置に、いま、お互いを置けるようになったのだろう。
下心をたっぷりと携えた大勢の男が、尚の身体だけを目的に近付いて来ようとするのを、確かな目を持って撃退してくれていたのが都奈子だった。
彼女がいなければ、天然で騙されやすい尚のこと、一度ならず悪い狼の餌食になっていたに違いないのだ。
だが、能天気な尚は、そんな都奈子の陰の苦労を、いまだに何ひとつ気づいていなかった。
「ね、ベイビーちゃんも、今日連れて来ればよかったのに」
拗ねるような口調で言った尚に、都奈子は手にしたナイフの先をすっと天井に向け、凛々しい目を尚に向けてきた。
その凛々しさたるや、まるで西洋の騎士のように見える。
「尚、あの子はもうベイビーじゃないわ。2歳なんだから」
「ベイビーよ。この世に誕生して、たった2年間しか生きていないのよ。すでに26年間生きてる私にとって、2歳はベイビーなの」
「あ、そう」
受け流すように返事をした都奈子に、尚はぷっと頬を膨らませた。
「都奈ちゃん、また会話を捨てた」
都奈子は、言い争うだけの価値はないと思うと、すぐにその話題を切り上げてしまう。
「はいはい。それで? 尚、彼氏とはうまくいってるの?」
「あ、うん」
あやふやな言葉を口にした尚は、誤魔化しのようにロールパンを手に取った。
「何か問題有りなわけね」
尚はぎくりとした。
長い付き合いの都奈子には、なんでもお見通しらしい。
「そんなこと…。このパンおいしいわ、都奈ちゃん」
「尚、あんたまだ口に入れてない。で、何が問題なの?」
尚は手に持っていたパンを慌ててちぎり、事実を隠匿するように口に頬張った。
「ほ、ほわ、おいひいわ。都奈たんも食へてみふぁふぁ?」
口に頬張り過ぎて口が動かせない。尚は何とか言葉にした。
焦って無様さをさらしている尚を、都奈子はなんら表情を変えずに見つめている。
「尚、なんで彼氏の話しになると、はぐらかそうとするわけ。あっ、そっか。…今回ずいぶん長く持ってるなと思ってたんだけど…すでに別れた後なんでしょう?」
尚は口の中のパンをごくりと飲み込み、喉に詰らせて慌てて水を飲んだ。
「わ、ご、ごほっ…別れてない。げほっ、ごほっ」
咳き込みながらも、尚は急いで首を横に振った。
これまで数々の男性と、薄い付き合いをして来た尚を知っている都奈子は、今年の春に新しい彼氏が出来たと聞いたときも、またかと思ったようで、相手のことに、ことさら触れて来なかった。
ずっと好きだった響と付き合えるようになって、尚は舞い上がっていたけれど、どうしてか、都奈子に響のことを話せなかった。
あまりに、響に恋しすぎているからだ…
もし…もしも…響から別れを切り出されたら…
きっと尚は、もう尚でいられない…
心が破壊してしまうように思えるのだ。
今現在、響と一緒の桃色の世界で、至上のしあわせを満喫しながら、彼女の心の底には、いつもひりつくような危機感が潜んでいた。
響が尚よりも3歳年下のことも、ひどく気になる。
いつか響は、彼にふさわしい可愛らしい年下の女の子を愛するようになるかもしれない…
その考えに、尚の胸は重く塞がった。
彼女は息を詰めたまま、スパイス風味のチキンを口に入れた。
響は尚に結婚に関しての言葉を口にするし、相沢の家族も、ふたりは結婚するものと思っている。
だけど…響はいつまで経っても、特別な指輪をくれないのだ。
成道はずっと以前に、プロポーズとともに、唯さんに渡したというのに…
おまけに…響はいつまで経っても、尚を彼の両親に紹介してくれない…
「尚?どうしたの?」
まだたくさん残っている皿に、意味なく視線を貼り付けていた尚は、都奈子の声に我に返って顔をあげた。
「う、うん。これ、おいしいなって思って、考えながら、味わってたの」
都奈子の口角が、きゅっと上にあがった。
「相変わらず嘘が下手ね」
「お、おいしいわよ」
戸惑い顔でそう言った尚に、都奈子が違う違うというように手を振った。
「そうじゃなくて…何か悩み事あるんでしょ?顔にそう書いてあるわよ」
「え、ほ、ほんと」
自分の顔に慌てて触れた尚を見て、都奈子がぷっと吹いた。
「面白さも相変わらずね。それで?相談してくれないの?私は友として足りてない?」
「そ、そんなことない」
尚は目の前の料理を見つめて、また顔を上げた。
「付き合ってる彼が…その…」
そう口にしたとたん、ひらめくものがあった。
もしかすると、あれがいけなかったのかもしれない。
尚が、貯金をいっぱいしていると、響に匂わせたこと…
結婚するには、それなりの蓄えがないとと言って、やたらと残業ばかりしている響に…思わずそう匂わせてしまったのだ。
響の身体が心配だったこともあるけれど、尚の本心は…
結婚資金は尚の蓄えがあるから、少しでも早く…尚がもっと歳を取ってしまう前に…結婚したいと…
貯金のことを持ち出した時、、あまり表情を表に出さない響の顔は、明らかに曇った。
おいしいものを食べているのに、口の中に苦味が広がり、尚の下瞼に涙が膨らんだ。
「わたしって、嫌な女だわ」
「尚、きちんと話してくれなくちゃ」
「結婚したいの。彼と。でも、プロポーズしてくれないの。きっと、もう嫌になったのかも…わたしが嫌な女だから…」
尚は顔をゆがめ、めそめそ泣き出した。
「あーあ、いい女なのに…ほんと、いつまでたっても未熟な、お子ちゃまなんだから」
最悪というように、都奈子は両手をあげて天井を見上げた。
「そ、そんなぁ」
「でも、良かったじゃない」
良かった?
尚は、友を見つめてぽかんとした。
「何が?」
「やっと本気になれる相手が現れたってことでしょ?」
「あ、う・うん」
「いやねぇ、歯切れ悪いじゃないの。そうなんでしょ?」
「あの…現れたっていうか…彼は…ずっと…好きだったひとで…」
「いま、なんて言ったの?小さすぎて聞こえなかったわ」
「だからその…は、初恋のひとなの」
顔を真っ赤にして、彼女はやっとの思いで口にした。
「うん。そうなんだろうね」
あっさり納得した都奈子に、尚はびっくりした。
「都奈ちゃん、し、知ってたの。わたし、い、いつ話したの?」
「知ってたってなんのことよ。これまで、付き合った相手の誰にも、恋なんてしたことなかったんだから、これが初恋ってことになるじゃない」
「あ…え?…あぁあ」
尚は納得して頷いた。
どうやら、意志の疎通によじれがあるらしい。
このよじれを修正する必要があるという思いにかられた尚は、無意味に、人差し指でテーブルにののじを書いた。
「つまりその。初恋は高校の一年生の時でね」
「はあ?高校一年?初恋が?それじゃあ、まるで、今付き合ってる彼が、その時の初恋の相手だと言っているように聞こえるわよ」
「そう、そうなの」
尚は力強く頷いた。
「はい?初恋のひとをずっと思ってて、いまになって彼に思いが通じたってわけ?」
「まあ、そう」
「で、その彼と付き合い始めて、尚はその気なのに、彼はプロポーズしてくれないと?」
「まあ…そういうこと」
「26だもんね。もう少ししたら27だし」
歳のことを持ち出されて、尚はうなだれた。
それを一番気にしているというのに…
「ところでさ?」
「何?」
尚は上目遣いに、恨みがましい目を都奈子に向けた。
都奈子は、尚のことを観察するような目で、じーっと見つめてくるばかりで何も言わない。
尚は居心地の悪さにもじもじした。
「何?」
「うん、そのさあ」
都奈子は、眉を寄せて首を傾げた。
「都奈ちゃん、いったいなんなの?」
「いや。あまり変わりないから…」
「変わりないって、何が」
「あんたがよ」
「わたし?」
「もしやと思うけど…尚…」
「だから…なんなの?」
「あんた…本命の彼をゲットしたってのに…まさか、まだなんてことないわよね。かれこれ…えーと」
都奈子は、指を追ってなにやら数え始めた。
「都奈ちゃん、何を数えてるの?」
「10ヶ月か…」
10ヶ月?
尚を見つめていた都奈子が、口元に指先を当てて、ぐっと顔近づけてきた。
「この目、この顔、男を知ったと思えないのよ。でも…まーさか、まだバージンなんてことないわよねぇ?」
恥ずかしい暴言に、尚は思わずのけぞった。
「な、なんてこと口にするの。都奈ちゃんてば、こ、こんなとこで」
「まさか、マジ、無経験?いい歳こいた男女が?すでに10ヶ月も付き合ってんのに?」
都奈子は、信じられないと言うように目を剥いた。
「相手の男もあんたも、いったい何やってんのよ」
「都奈ちゃん、食事中だよ。お店の中だよ。この話はやめようよ」
「呆れたわ。芯から呆れたわ。ありえないでしょう」
都奈子の目が細まった。
「相手のひと、あんたに求めてこないの?」
真っ赤になった尚は、目を逸らした。
その仕草で、都奈子は悟ったようだった。
「尚、あんた、残酷」
「ざ、残酷?」
「男を分かってなさすぎ。でも…そんなあんたでも別れを切り出さないんだから、相手の彼も、よほど尚を好きでいてくれてるってことではあるよね」
「そ、そうかな?」
嬉しさに顔をほころばせて、ぐいっと顔を突き出した尚は、無防備な頭のてっぺんを、思い切り良く手のひらで叩かれた。
「おぎょっ」
「彼が好きなんでしょう?だったら出し惜しみなんぞしないでさっさと…セッ…」
そこまで言った都奈子の頬が、みるみる赤く染まってきた。
尚は友の不可解な変化に、首を捻った。
「都奈ちゃん、さっさと、…何?」
「こんのぉ〜続きを催促すんなっ!悟れよ、これくらいっ。 んなこと、口にできるかっちゅーの」
都奈子の手は、先ほどと比べ物にならないほど強烈な平手打ちをかましてきた。
尚の頭頂部にすごい衝撃が走った。
「い、痛いよー」
尚は両手で頭を抱えた。
「まったく、この天然馬鹿娘、付き合ってらんないわっ」
激した都奈子はぶつぶつ吐くと、そっぽを向いて食事を再開してしまった。
プリプリしながら、バクバク料理を口に運んでいる都奈子は、話し掛けられる雰囲気でなく、尚は仕方なく自分も食事を再開したのだった。
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