思いは果てしなく 

クリスマス特別編
その4 恋する不安はふたりのもの



「えーっと、どこだったかなぁ」

クローゼットの中に頭を突っ込み、尚は泣きそうになりながら、目当ての靴を捜していた。

銀色のハイヒール。
ぜったいにどこかにあるはずなのだ。捨ててはいないのだから。

今日の尚は、黒いのシックなデザインのワンピースを着ていた。

ほんの30分前まで、もっと若々しくて愛らしいデザインの桃色のドレスを着てゆくつもりでいたのだが、姿見に全身を映して眺めていたら、物凄く違和感を感じてきて…

歳よりも若く…せめて響と同じ歳くらいにみてもらえるようにという、自分のせこい考えがたまらなくなって…

桃色のドレスは、床に脱ぎ捨てたまま…

尚は後ろに振り返り、桃色のドレスを見て唇を噛んだ。

見るたびに自分が嫌になる…

尚はドレスを掴んでくるくる丸め、ベッドの下の見えない場所に押し込んだ。

いま着ている黒のドレスは、きっと響よりも年上の尚そのままにしか見えないだろう。
けれど、これが本当の尚なのだ。

響より年下になんて実際なれないし、年下のふりをしようなんてする自分は好きじゃない。

しっくりこないデザインのドレスを着て、響とイブの日を過ごしたくない。

今夜は、響と過ごす初めてのイブなのだ。

すでに家族みんな出かけてしまい、家の中には誰もいない。

尚も、あと30分もしないうちにやってくる響とともに、出掛けることになっている。

彼女は銀色のハイヒールの行方をじっと考え込んだ。

そう言えば、母に貸して欲しいと言われて…

尚は部屋を飛び出し階段を駆け下り、玄関の靴箱を開けた。

両親専用の靴箱だが、母の靴がずらりと並ぶ中、父の大きな靴は申し訳なさげに隅っこに突っ込んである。

母の靴の列をざっと見回した尚は、目的の銀色の靴を見つけた。

「やったー」

尚は思わす歓声を上げ、靴を取り上げて頬にすりすりした。

靴を手にして彼女は階段を駆け上がり、ファッション雑誌を床に置き、その上に靴を履くと、さっそく全身のバランスを確めた。

尚の瞳は満足さに潤んだ。

これでいい。彼女らしいと思うし、違和感も感じない。

嬉しくなった尚は、左右に身体を動かしながら気の済むだけ自分のコーディネートの出来を楽しんだ。

夢中になっていた尚は、はっと気づいて時計に目を向けた。
約束の時間まで残り15分。

ほーっと息を吐く…充分だ。

これからバッグの中身をもう一度確認して、階下に降り、この靴を履き、迎えに来てくれた響を出迎えればいい。

「あ、そうだ。コート、コート」

黒のワンピースはそんなに厚地ではない。絶対にコートは必要だ。
白のあったかい厚地の、あのコートがいいだろう。

尚は頭の中でコートを選び、雑誌の上で靴を脱ごうとして、眉をひそめた。

なんだか靴の底におかしな感覚が…

靴を履いたまま違和感のある方の足を上げてみると、なぜか雑誌の表紙が靴にぴったり張り付いてあがってくる。

引き剥がそうして思い切り足をあげたら、見事に表紙は破れた。

靴裏には、破れた紙がくっついたままだ。

「なによ、これ。いったいなんなの?」

尚は混乱して叫び、靴を脱いで靴底を確めた。

ビリビリと紙をはぎとってみると、なんと靴底にチューインガムらしきものがくっついている。

「な、なによこれぇー」

尚は情けない顔で靴の底を見つめた。

どうやら、あの母親、やってくれたらしい。
ならば、くっ付いたガムを取っておいてくれればよかったのに…

尚は靴を抱えて洗面所に行き、洗面台で必死になってガムをこそぎ落とした。
なんとか許せるくらいまでには取れ、尚はほっと息をついて顔をあげた。

鏡に映っている自分の姿に、尚はぎょっとした。

髪を振り乱し、いささか化粧の剥げた女がいる。

「わーーーん」

パニックに襲われた尚は、一声叫ぶと、洗面台から飛び出た。

自分の部屋に入って鏡の前に座り、引きつった顔の化粧を直しはじめた。
だがどんなに化粧を直しても、みすぼらしくみえる。

尚が青い顔で自分を見つめていたその時、玄関の呼び鈴が高らかに鳴り響いた。

彼女はぎょっと目を剥いて、しばらくフリーズした。

シーンと静まり返った時が数分過ぎ、また呼び鈴が鳴った。

尚は我に返り、夢中で部屋を飛び出した。

階段を飛ぶ勢いで降りていた尚の足は、徐々に速度を落としていった。

髪を梳いていない…
化粧はみすぼらしい…

さっきまであんなに余裕を持って、響を迎えられるはずだったのに…

どうしてこんなことになっちゃったのだ。

尚は頭を抱えた。

玄関のドアを叩くコンコンという音が聞こえ、彼女は顔をあげた。

ちっとも尚が出てこないからだろう。

急くようなノックの音に、尚の名を呼ぶ響の声が重なる。

「は、はーい」

「尚?」

響の声には心配そうな色がある。きっと尚の返事に元気がなかったのだろう。

尚は玄関の鍵を開けてドアを開いた。

尚は響のあまりのカッコ良さに気が遠のきそうになった。
黒っぽい背広に尚が贈った渋い柄のネクタイ。

このネクタイを選んだ時の、彼女の予想以上によく似合っている。

尚の全身の血は、響への熱情で、どくどくと沸き立ち始めたようだった。

なんだかやたら熱く、額に汗まで浮かんできた。

かたや、響の人間離れしたようなこのクールな姿…

なんて響は素敵なんだろう。

そして、冷たくみえる端整な顔立ちの彼は、歳相応で、それ以上には見えない。

尚は響の年齢にくだってゆけないし、響もまた尚の年齢に迫りあがって来てはくれない。

彼女では…響に相応しくない…

「尚?」

「わたし…」

尚の下瞼に涙が湧きあがり始めたその時、響が尚を抱き締めてきた。

「響…君…」

「綺麗だ。尚、あんまり綺麗で、心臓が破裂するかと思った」

綺麗?心臓が破裂?

う・そ…

「ほ、ほんと?」

「けど…」

「け、けど…何?」

「心配になるんだ」

そう言った響の瞳が、不安をたたえて暗く翳った。
あまりにもセクシーな響の表情…

彼女の心臓こそ、破裂しそうだ。

「し、心…配?」

やたら暴れまわる心臓のせいで、まともに言葉に出来ない。

「そう。俺なんかじゃ、尚に足りてない気がして」

尚は響の肩に顎を載せたまま、唇を驚きにすぼめて、目をぱちくりさせた。

足りてないのは響でなくて、尚の方なのに…

「で、でも。だ、だって、わたしの化粧みすぼらしいし…靴にはガ、ガムが…」

事態についてゆけず、あわあわと口にしていた尚を、響はさらに強く抱き締めてきた。

「こんな尚を連れて、出掛けたくないな。他の男の誰にも、尚を見せたくない」

響の言葉は、みすぼらしくみえる尚を慰めてのものなのでは…ないのだろうか?

「あの…響君」

「うん。何?」

尚は響の胸に両手をつき、顔を上げて響の瞳を見つめた。

「わたしでいいの?」

響は、ひどく戸惑った瞳で見返してきた。

「尚?」

「わたしなんかでホントにいいの?」

「いいに決まってるだろ。どうして?」

尚は、響の言葉に、ほんの少しほっとした。

響を見上げていると、響の顔がゆっくりと近付いてくる。

響の特別すぎる体温を感じている尚の唇に、響の特別すぎる唇が、ゆっくりと重なった。




   
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