続 思いは果てしなく 

旅はドタバタ
その6 夜もドタバタ



響は、尚の寝顔を見つめて、幸せなため息をついた。
それでも、残念でなかったなどとは言えない。

ボードゲームが終わりに近付き、やっと響は勝負に熱くなって大切なことを忘れている自分に気づいた。

尚に勝たせてやるはずだったのに…
けっきょく、熱が入りすぎて、響は尚に負けてあげることができなかった。

三人が気づいた時には、早々と破産して暇をもてあました尚は、成道が買ってきた尚用の果実酒をすっかり空にして眠りこけていた。

アルコール度、1%の酒で有り得ないだろうと呆れつつも、成道はえらく嬉しげだった。
その反対に、諒子は成道を睨みつけ、渋い表情をした。

成道と諒子が並んで部屋を出るとき、一言お休みの挨拶をしようと、響はふたりの後について行った。

「母さん、これで勝負はついたよな」

成道が潜めた声で、母親に顔を近づけてそう言うのが聞こえた。えらく朗らかな声だった。

「何言ってんのよ。あんた、尚がお酒飲むように仕向けたんでしょ?」と、これまた潜めた声で諒子が成道に食って掛かった。

「そんな真似…」と成道が言いかけたとき、響はふたりに声を掛けた。

「成道」

響の呼びかけにふたりが驚いて飛び跳ねた。
響が着いてきていたのに、ふたりともまるで気づいていなかったらしい。

「え、あ、お前…」

「勝負とか…」

響の言葉は宙に浮いた。
ふたりは自分たちの部屋にまっしぐらに逃げ込み、あっという間に姿を消した。
そのあまりのすばやさに、響は呆気に取られた。

どうやら、あのふたり、賭けをしていたらしい。
その対象はたやすく想像できた。

部屋に戻って尚の寝顔を見つめつつ、響は憮然としつつも、湧き上がる笑いが抑えられなかった。

部屋は諒子の手で綺麗に片付けられ、布団も敷かれていた。
響は、尚の隣に敷いた布団に転がったまま、長いこと尚の寝顔を見つめ続けた。


どこからか、湯音が聞こえた。
成道が自分の部屋の露天風呂に入ったらしい。

そう言えば、部屋の露天風呂をまだ味わっていなかった。
響は起き上がると庭に出て、小さな露天風呂の湯に手を触れてみた。

響はその場で、ためらいなく浴衣を脱いで湯に入った。
お湯が静かに溢れ、流れる音もひどく心地良い。

昼間とはまったく違う夜ならではの香り、ひんやりとした夜気を頬に感じる。

「よお」と成道の小さな声を耳にして、響は「ああ」と答えた。

成道はそれ以上何も語らなかったが、なんとなくすまながっているのが感じ取れて、響は小さく笑った。

お互いの湯音が混じりあい、響は成道との長い付き合いをしみじみと思った。

人の気配がして、はっとして背後に振り返った響は、心臓がもんどり打った。
驚きすぎて、身体が反り過ぎ、湯の中で後ろ向きにひっくり返りそうだった。

身体にバスタオルを巻きつけた尚は、極度に緊張した様子で露天風呂の淵に立った。

尚は響と視線を一瞬だけ合わせ、すぐに目を伏せ、ゆっくりと湯の中に入ってきた。

隣には、まだ湯に浸かっている成道がいる。

心臓がバクバクと暴走を始めるなか、あいつの存在を忘れてはならないと、響は自分に言い聞かせた。

尚に触れたいのに、触れられない。
早く成道が湯から出て行ってくれないだろうかと、響は耳をそばだてていた。

尚と並んで湯に浸かっている状態で、いつまで耐えられるだろうか?
裸体に近い尚の肢体に、響の下半身はすでに十分なほど熱く硬直している。

「それじゃあな、おやすみ」

成道が言わなくてもいいのにそう言った。

成道の存在など知らなかった尚は、動転してバッと立ち上がり、その拍子に足を滑らせて湯の中に勢いよく沈んだ。

あまりに突然のことに響は唖然として、湯の中で必死に体制を立て直そうとしている尚を見つめた。

「な、尚っ」

尚を助けようと手を伸ばした途端、ばたついていた尚の右手がとんでもないものを掴んだ。
苦しさに、懇親の力で握り締めてくる。

「うわっ、や、やめろ。尚、放せっ」

「何やってんだ、響」

響は、尚の両脇に手を差し入れて、なんとか彼女をお湯の中から救い出した。

空気を求めて苦しげに息をついた尚と視線を合わせ、響は切羽詰った声で言った。

「頼むから、手、放してくれないかな」

尚は驚愕の表情をして、パッと手を開いた。

彼女があたりにとどろく悲鳴を上げる前に、響はさっと動き、尚の口を手で塞いだ。





響の車の助手席に乗るのは酷く抵抗があった。
もう響に嫌われても仕方がないくらいの失態を犯してしまった。

もちろん響は、尚のしでかしたことを責めはしなかったし、成道でさえ、からかいのネタにしてこなかった。

昨夜、あの場から、真っ裸のまま飛んで逃げ出した尚は、トイレにこもった。
響から、そのままでは風邪を引くからすぐに出てくるようにと再三言われたが、あの失態のあと、裸のままで響の前に出て行くくらいなら死んだほうがましだった。

しばらく外で時間を潰してくるからと響が言ってくれ、彼がいなくなった間に、尚は急いで浴衣を着て布団にもぐりこんだ。

しばらく経って戻ってきた響は、狸寝入りしていると分かっている尚の頭に触れ、乾かしきれていなかった髪を、タオルで丁寧に拭いてくれた。

その心地よさと、響のやさしさに、尚は泣きながらいつの間にか寝入ってしまった。

今朝目覚めたら、また響が露天風呂に入っていて、尚は布団の中からずっと響を眺めていた。

自分が死にたいほど情けなかった。それでも響はやさしい。

「響君、あの、ありがとう」

ほんとは、ごめんなさいと言うつもりだった。
でもそう口にしたら、昨夜の尚と同じように、響は嫌がるだろう。

「楽しかったね、尚」

響の微笑みはいつでも甘くてやさしい。
尚は目じりに涙をためながら「うん」と答えた。




End


[おまけに続く]
   
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