続 思いは果てしなく 

甘く思惑
その2 あらぬ誤解



弟と父親の力によって、響は夢うつつのまま立たされて、両脇を抱えられて二階へとあがった。

「こんだけされても起きないってのは、よっぽど疲れてんだな、こいつ」

響をベッドにドサリと転がして、成道が呆れ果てたように言った。
その息子の言葉に、なぜか父親がほっとした表情を見せた。

部屋から出て行きしなに、成道は尚に振り返った。

「服、早く脱がせてやれよ。背広、皺になるぞ」

そう言った成道は、宗司にさっと視線を走らせた。
父親の浮べた表情を確認して、成道は悪がきそのものの笑みを浮べた。

ふたりが出て行って、尚はあらためて、ベッドに適当に転がされた響を見つめた。
成道の言うとおり、背広を脱がせてあげるべきだろう。

尚は響にそっと近寄った。
そして、すでに緩んでいたネクタイに手を触れ、外すつもりが、理性とは裏腹にきゅっと締めた。

背広のボタンも嵌めて、少し後ろに下がって、心臓をトクトクさせながら響の全身を見つめる。

カ、カッコイイー!!

めまいがするほどカッコイイー!!

背広とベッドと、意識の無い響の取り合わせ。
明日の朝までだって、尚は飽きず眺めていられそうだった。

響の全身、特に首から顎にかけてのラインが、なんとも言えず色っぽい。
見つめていたら、尚の身体の中心がなぜかむずむずした。

尚を無条件に誘うそのラインに、意志とは裏腹に吸い寄せられてゆく。

響のセクシーラインは、お風呂に入っていないはずなのに、とってもいい香りがした。
その香りが理性をぶちぎったのか、どうしても我慢できずに、尚は響の顎をちょこっと舐めた。

「う…ん」

響の声に、尚ははっとして我に返った。
全身がカッと熱くなった。

色っぽすぎる響の表情と声。
そして自分のとんでもない行動…

それにしても、普段あれほどクールな顔が、どうしてここまで甘くなりえるのだろうか?
尚は、女の寝込みを襲う男達の気持ちが、かなり理解できた気がした。

このままじゃないけない…

尚はブンブンと首を振ると、響を見ずに上掛けを掛け、部屋を出た。
お風呂に入って、少し頭を冷やすべきだと思った。

身を清め、この邪心いっぱいの心も清めてこなければ…
女の身でありながら、響の寝込みを襲ってしまうかもしれない。

尚はまっすぐにお風呂場に行き、二十分で清めを終えて風呂から上がった。

いつもはひんしゅくを買うほど長風呂なのだが、背広を着たまま寝ている響が気になって入っていられなかったのだ。

居間を覗くと、いるはずの成道がいない。
成道のソファには宗司が座っていて、尚を見ると急いで立ち上がって声を掛けて来た。

「な、尚。まだ寝るには早い時間だぞ。…ト、トランプでもしないかね」

「トラ…」

尚がそう言ったところで、キッチンから、諒子の声が槍のように飛んできた。

「あなたっ!」

「は、はいっ」

妻に鋭く呼ばれ、宗司はきをつけの姿勢で少し跳ねた。

「これから、ワイン片手に、一緒に映画観る約束じゃなかったかしら?」

甘くやさしい声なのに、声を運ぶ空気が重たい。

「あ、そうだったそうだった。うっかり失念していたよ。すまない」

喉が絞まってでもいるように、いつもより一オクターブ高い声で宗司が言い、急いで部屋を出て行った。

「ワイン片手に、映画なんていいわね。なんの映画観るの?」

「お子ちゃまには…。…。ま、近いうちに貸してあげるわよ。ふふ」

そう言うと、両手にワインを持ち、諒子もキッチンから出て行った。

「いったい何の映画なのかしら…?」

そう首を捻って考えながら、尚は自分の部屋へと急いだ。

自分の部屋のドアが少し開いているのをみて、尚は眉を寄せた。

きちんと閉めたはずなのだが…
響が起きたのだろうか?

「うっ、わっ、やめろっ」

成道の怒鳴り声だった。
おまけに、最後にボコンという何かを殴ったような音まで聞こえた。

驚いた尚は、パッと部屋に入った。

響と成道がベッドの上で絡み合っていた。

「こ、このっ、いい加減にしろ、この変態男、俺は尚じゃねぇ」

「成道…な、なにしてん…の?」

「えっ…げっ!」

響に首をがっちりと抱えられたまま、成道が尚に振り返った。

「ち、違う。これはっ、まったくの誤解だ」

「誤解って…何が?」

「だからその、俺はまったくの潔白だってことで…」

「潔白? 響君の服脱がせてくれたのね、ありがとう成道」

「あ…そ、そうなんだよ。尚ひとりじゃ大変だろうと思ってさ。そしたらこいつが…」

「響君。なんか寝相凄いよね」

尚は、自分に続いて響の餌食になった成道に、同情を示して何度も頷いた。
成道が、今度はムッとして怒鳴りつけてきた。

「分かってんなら、早くこっち来て助けてくれよ。いらぬ誤解受けたと思って焦ったじゃないか」

「誤解って何?」

「まあ、いい。もう、いい。とにかくこいつなんとかしてくれ、本物の尚を手に入れれば俺のこと離すはずだから。それにしても寝てるくせに、すげえ力だな。こいつ」

尚はふたりに近付いて、響の手に触れて離そうとした。だが、響はかっちりと成道の首を抱えている。

「離しそうにないね」

「馬鹿か、尚、そんなんで諦めんなよ」

「ご、ごめん」

「そうだ。こいつにキスしてみろよ、尚。そうすれば俺のこと離すさ、たぶん…」

「キ、キス…。人前でなんて出来ないわよ」

「それじゃ、今夜一晩、俺はこうやって響に抱かれてろってのかよ。冗談じゃねえぞ」

「しーっしーっ。声大きいわよ、成道。お父さんとお母さんが飛んできちゃうわ」

「いいから、尚、早くキスしろっ」

成道は、よほど、むかっ腹が立っているらしかった。

「わ、分かったわよ。それじゃ、みないでね」

「金もらったって見ねえよっ」

さらにでかい声で、成道が怒鳴りつけてきた。

「だから、声が…」

「早くしろっ」

尚は成道の剣幕の凄さに恐れをなし、響の唇に急いでキスした。
キスをした尚には分からなかったが、響は即座に反応したようで、腕が緩んだ隙に成道は逃げ出した。

「あー、もう一度風呂入ってこなきゃ。俺様が穢れちまったぜっ」

穢れたのは、響君の方だ。と尚は正直思ったが、黙っていた。

成道は、「ふん」と激しく鼻を鳴らして出て行った。


ベッドに転がった響は、先ほどまでのことが嘘のように、静かな寝息を立てている。

上半身はワイシャツのボタンがすべて外されてはだけ、その下の黒いTシャツが見えていた。下半身には上掛けが掛かっている。

床に落ちている背広やシャツ、ネクタイを拾い、尚はハンガーに掛けた。

やることがなくなった尚は、それからしばらくの間、響の寝顔を見て過ごした。

響に触れて、幸せすぎる餌食になっても良かったのだが、尚は自分に自信がもてなかったのだ。

寝ている間に、あちこち触られたと知ったら、きっと響は良く思わないに違いないと思えた。
それに、口元の緩んだ響のあどけない寝顔は、見飽きるものではない。

十二時を過ぎているのに気づき、尚はやっとベッドに入ることにした。
響に触れるのが憚られ、始めはふたりの間に数センチの間を空けて横になった。だが、眠りは訪れてくれない。

尚は響に少しずつ擦り寄って行った。

せっかく響と同じペッドにいて、羽交い絞めにあって眠れるチャンスなのに、それをみすみす逃すのは、もったいないような気もしてきた。

尚はぴったりと響にくっついた。だが、響はまったく身動きしなかった。
そのあと、尚が額をぴたぴたと叩いても、身体をぎゅっと抱きしめても、ピクリとも動かなかった。

ひどく残念な気持ちと、ほっとした気持ちを抱えて、尚はくすくす笑った。




   
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