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おまけ 再来
結局、響の引越しの手伝いを、尚は全面的に手伝ってくれ、響の撲滅作戦は、中途半端なまま終わる形になった。
それでも、完璧に近いくらいにはクリーンな部屋になったはずだ。
あとは、手をつけていないダンボールから、少しずつ出して片付けてゆくしかないだろう。
ベッドなどの大物の据え付けも終わり、響は満足げに新しい住まいを見渡した。
ここならば、尚とふたりきりの甘い新婚生活を送るにも、支障は無さそうだ。
そう言えば…
「尚?」
「なあに?響君」
響に呼ばれ、キッチンに数少ないカップや皿を入れていた尚が、楽しげに振り向いた。
このシチュエーションに、響の妄想が再発し、彼の頭の中でだけ、尚の姿が真っ白なエプロン姿に変化してゆく。
もちろん、下には…何も…
響は、自分の妄想に負けじと声を張り上げた。
「俺と北海道に行くって、尚、泣きながら言ったよね。仕事辞めて着いてくって…」
尚が手にしていた鍋が滑り落ち、ガラガランと派手な音を立てて転がった。
いたたまれなくなったらしい尚は、風呂場の方へと駆け込んでゆく。
響はその後を追いかけた。
尚を風呂場の手前で捕まえ、響は尚の頬を両手で挟んでキスをした。
いくらキスしても、唇が離れると、満足が不足に変わる。
「俺が世界のどこに行くことになっても、尚、着いてきてくれるね。俺、尚と絶対に離れたくない」
「わたしも…」
尚が潤んだ瞳で響を見返してくる。
その瞳を見つめて、響の胸は尚への愛ではちきれそうになった。
ふたりの唇がもう一度重なろうとしたとき、馴染みのない呼び鈴の音が流れた。
呼び鈴に邪魔されて、響が鼻の頭に皺を寄せたのをみて、尚が噴き出した。
「大家さんかな。尚、続きは後で…」
響はそう言うと、弾む足取りで玄関に向かった。
ここに越してきて良かったと心から思った。
響は、スペアキーを尚に渡すつもりだった。
ふたりして同じ部屋の鍵を持つなんて、なんだかすでに新婚の気分だ。
「はい」
響は口元に笑みを浮べてドアを開けた。
「こんにちはぁ。おとなじの野本です。これ、かいだんばんでーす」
なんだか、なじみのある発音…
響は、眉を潜めて来訪者の顔をしげしげと眺めた。
「あ゛…お前…」
「え?なんですか?」
相手はきょとんとした顔をして響を見返した。
その顔には、けして許せない想い出がある。
「あきだだろ、お前」
「あきだじゃなくて、あきだですけど…、でも、お兄さん、なんで僕のこと知ってずの?」
響は、自信の無さから小さくなったらしい『だとず』の言葉に、堪らずプッと噴いた。
「ライバルになどならない、記憶力の無さだな。昭」
「え?なんの?あ、あ゛ーーー、お、お姉さん」
昭の叫びに、響の後ろに尚がやってきたのがわかった。
「あら、もしかして、動物園で逢った?」
「は、はい。またお目にかかれずなんて、こ、光栄ですっ」
昭は、背筋を伸ばして顔を輝かせた。
「この野郎、俺のことは忘れてたくせに…」
響のそんな文句など、昭の耳にはまったく入らないようだった。
輝くその目は、尚だけを捉えている。
「お姉さんが、僕のとなじに越してくるなんて…運命感じづなぁ」
響は、昭の言葉に鼻を鳴らした。
相変わらずの昭のラ行の発音に、尚も我慢できなかったらしい。
響に「駄目よ」と諌めつつ、必死で堪えたようだが、尚の唇から、くすくすと笑い声が零れた。
「わだい顔、最高にいどっぽいですね」
「お前、分かってるのか。もうフォローできないくらい言葉が完全に可笑しいぞ」
響はライバルの無様さに、ため息をついた。
「お前にそんなこと言わでず、すじあいないやい」
「いわでずじゃなくて、言・わ・れ・る」
「わかってだい」
「ますます無様だな」
「響君ってば、あきら君、そんなに苛めないで、泣いちゃうわよ」
「お姉さん、やっぱ優しい」
昭はそう言って嬉々として尚に抱きつこうとした。が、予想のついていた響は、寸でのところで昭の身体を掴まえてぶら下げた。
響のものであるはずの尚の胸に、二度とこいつの顔なんか埋めさせてたまるか…
「離せ、離せ。この野郎、離せぇー」
ここでのこれからの暮らしが、響はずいぶんと思いやられた。
バタバタと暴れる昭を抱え上げたまま、響はため息と一緒に笑いを洩らした。
End
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