続 思いは果てしなく 

初めて恋づくし
その3 ライバル登場



料理は尚の得意分野ではなかった。
彼女は嬉々とした顔でお弁当の蓋を開ける響を、困って見つめた。

赤いお弁当箱の蓋を開けた響が、愉快そうに微笑んだ。

「尚の愛情がいっぱいだね」

それはつまり、けして見た目が美味しそうではなく、良い匂いがするというものではなかったということだ。
響のやさしさの表現は嬉しかったが、尚はひどく恥ずかしくなってきた。

「ごめんね。いつも母に料理してもらうから、わたしあんまり得意じゃなくって」

「得意じゃないのに、俺のために自分で作ってくれたんだ、ありがとう、尚」

そう言った響が、ピクニックシートの上を見回して苦笑した。

「それにしても、あのバッグのどこにこれだけの物が入ってたのかって、不思議だよ」

響が驚いて大笑いしながらそう言ったくらい、芝生の上でお弁当を食べるのに必要なものはすべて揃っていた。
だが、そうは言っても、芝生の上に広げられたピクニックシートは、けして大きなものではなかったし、お弁当箱を広げた残りの空いたところはあまりなく、ふたりが座る場所はひどく狭かった。

尚はひどく申しわけなかったが、お弁当を喜んでくれた響は、シートの狭さなどまったく気にしていないようだった。

飲み物だけは売店で紙コップ入りのウーロン茶を買ってきた。
あまり美味しいとは言えないお弁当は、響の笑顔のおかげで、尚自身はとても美味しく感じた。

尚の心配を他所に、お弁当箱は空っぽになり、ウーロン茶を飲んで安堵していた尚の目の前に、正体不明の物体が転がってきた。

「い、いったい何?」

驚いた尚は、思わず響に抱きついた。響が尚を守るようにぎゅっと抱きしめてきた。
物体が尚の膝に当たって止まり、その正体がわかった。

「こんにちは」

物体から本来の姿に戻った男の子が、尚に頭を下げて挨拶した。少し顔がひきつっている。
どうも五、六歳くらいだろうか。
どうやら派手にでんぐり返しして、ここに辿り着いたらしかった。

響が転がってきた方向を見つめて眉を潜めている。

「どこの子だろうな?探してそうな親がいないぞ」

響の言葉に尚も周りを眺めてみたが、シートの上でお弁当を食べたり、寝そべったりしているひとばかりで、誰も男の子を捜していそうなひとはいなかった。

「居眠りしてて、気づいてないんじゃないかしら。君、お名前は?」

「あきだ」
緊張してなのか、語尾がにごった。
男の子が、しまったというように顔をしかめた。

「あきだ君?」
男の子が違うというように、一度大きく頭を振りかぶった。
失敗が痛恨の痛手だったような表情で、口をぎゅっと引き結んでいる。

「あきだじゃなくて、あきらなんじゃないのか?」さして興味もなさそうに響が言った。

「ああ、あきら君ね」

男の子が響にさっと振り向いてから尚に向き、うんうんと嬉しそうに頷いた。
眉毛が凛々しくて、ずいぶんと男らしい顔をしている。

「君、いくつなの?」

「四歳です」

「すごーい、四つとかって言わないんだぁ」

「そのくらい言えて当たり前だろ」

「だって、四つだよ。まだ生まれて四年しか経ってないんだよ。すごいなーあきら君」

凛々しい眉のあきらが、嬉しさを滲ませて笑みを浮かべた。
上目遣いに尚の顔を見つめながら、あきらは右手でさっと髪を払った。

その仕草があまりに大人っぽくて、尚は笑い声を上げた。
次の瞬間、あきらが足元をふらつかせ尚に倒れこんできた。
胸の谷間にあきらの顔がばふっと収まった。

尚が驚く暇はなかった。
響の腕がコンマ一秒の速さで伸びてきて、気がついたときにはあきらは響の腕でぶらさがっていた。
ものすごい怒りを発して、あきらが精一杯の抵抗を示す。

「こ、こらっ、静かにしろ」

「放せぇぇ」

じたばたと動く手足に、堪らず響はあきらを下ろした。

あきらはまた響を振り向き、それから尚に向いて、着ているTシャツに襟はなかったけれど、襟を正す仕草をして微笑んだ。
尚は喉奥で、込み上げてきた笑いを留めた。

「名前聞いていいですか?」あきらが軽く頭を下げながら丁寧に言った。

「おい、あきら。お前、四歳って嘘だろ?」響が鋭い目であきらに言った。

「このお兄ちゃん目が怖いよぉ」

そう言うと、尚の服を両手で掴み、響から逃れるようにあきらは尚の胸にすがってきた。

「響君ってば、怖がってるわよ」

そんな尚の言葉など無視して、響はむーっとしてあきらを睨み据えている。

「あのぉ、すいません。うちの子がお邪魔しちゃったみたいで」

遠慮がちな女のひとの声がした。
振り向くと、どうやらあきらの両親らしい男女が立っている。

「ほら、おいで」

「やだ。まだこのひとの名前聞いてない」

「昭ってば」

「昭、もう諦めろ。なんてな」

父親らしきひとがそう言って、ひとり悦に入って笑った。
心底呆れたような顔でため息をひとつつくと、女性は改めて男性を睨んだ。

「お前とこの色っぽいお姉さんとじゃ、釣り合わないんだよ。父さんならともかく」

にへらにへらと笑いながら、あきらの父親は息子のおでこを突っついた。

「勝士」

妻の冷たい声に、男のひとがさっと身を守るように両腕をクロスさせた。
繰り出された妻の強烈なチョップはその腕に阻まれた。

「じ、冗談だよ、冗談に決まってるだろぉ」

「あの、息子さん、おいくつなんですか?」

両腕をクロスさせたままの男のひとに飛び蹴りを食らわす姿勢を取った母親が、響の問いに振り返った。母親は、気勢をそがれたようで、浮かした足を下ろした。

「六歳ですけど」

「そうですか?」
響の声が、毒を含んであきらに向けられた。

「なんだよ。ナンパにはさくじゃくも必要なんだよ。な、父ちゃん」

「あきら、それを言うなら、策略だよ」
首を振りながら、あきらの父が言った。

「だから、さく…じゃく……」

あきらは「じゃく」を三回繰り返し、口を閉じて俯いた。頬がピンク色に染まっている。
あきらの背後では、父親が自分の息子の無様さを見て、必死に笑い声を堪えていた。

「らりるれろの発音、ほんと下手なんだから。すみませんでした。お騒がせしちゃって」

一番強いのは、やはり母だった。
父親は片耳を引っ張られ、あきらは襟首を掴まれて、「いてててて」と叫びながら連行されて行った。
親子三人が芝生の広場から出て行くのを見送ったあと、尚はお腹を抱えて笑いこけた。

「らりるれろが苦手だって。だから、あきだになっちゃってたのね。可愛い」

「どこがっ」

ふてくされた顔で本気の怒りを見せている響に、尚は目を丸くした。

「響君。何で怒ってるの?」

「あきらの野郎。今度逢ったらただじゃおかねぇ」

「響…君??」




   
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