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その2 怪奇現象
「なんか、怖いんだよな」
走り出してすぐ、響は呟くように言った。
「何が?」
「成道が何を企んでるのか?」
「企んでる?成道が? 何を?」
響は表情を一時停止させ、くすっと笑って前方を向いたまま微笑んだ。
「いや、いいんだ。せっかくの旅行なんだから、たっぷり楽しもうな、尚」
「うん」
尚の嬉しそうな笑みに、心がとろけそうになる。
響はやたら楽しくなってきた。
成道の動向は、正直物凄く気になるが、そんなものを気にしてせっかくの旅行を楽しまないのはもったいない。
「なんかね。成道に聞いたんだけど」
「うん?」
「露天風呂が、各部屋についてるんですって。24時間いつでも入れるらしいの。いいわねぇそういうの。とってもリッチな気分になれそう」
「へー、楽しみだな」
響は軽く言葉を返した。
家族が一緒なのだ。
まだ正式に婚約していないのだから、尚と同じ部屋なわけがない。
今回の旅行の基盤には、成道のなにがしかの策略があるのだから、同じ部屋で尚を抱いて寝られるなんて、そんなに甘いことが待っているとは思えない。
響は頭の中で部屋割りを考えた。
二部屋なら、男と女。
三部屋なら、響と成道、相沢家の両親、そして尚。
尚がひとりなら、彼女の部屋にしのび…
「卓球台とかもあるかな。きっとあるよね」
妄想の中に尚の言葉が進入してきて、響は我に返った。
卓球…?
「あ、うん。あるんじゃないかな」
「だよね、だよねっ。あるわよねっ」
なんだか知らないが、尚の声にはえらくリキが入っている。
響は尚のリキにつられて、分けが分からないまま思わず強く同意した。
尚は、よほど卓球がやりたいらしい。
野を超え、山を越え、二台の車は田舎道をひた走った。
「なんか、すっごい自然の中にいるね、わたしたち」
「うん。成道の話だとそろそろ着くんじゃないかな」
「なんかお化けとか出てきそうなくらい、おどろおどろしい旅館だったりして」
「尚、口に出して言わないでくれ、現実になりそうで、怖い」
「響君、お化け怖いの?」
まったく平気そうな尚に対して認めるのは嫌だったが、響は素直に頷いた。
「怪奇現象は好きじゃないな。尚だってそうだろ?」
「わたしはそんなに怖くないよ。けっこう慣れてるし」
あっけらかんとして尚が言った。
響は、絶対に、聞き間違えたのだと思い込もうとした。
「わたしが、響君のこと、守ってあげるから心配しないで」
男としての威厳に傷がついた気がして、響は心の体制を立て直した。
「尚、守ってもらう以前の話なんだけど…」
「なに?」
「けっこう慣れてるって…どういうことかな?」
実のところ、聞きたくないのに聞いている自分の首を、響は絞めたかった。
「そのままの意味だけど」
「お化けを見たことあるってのか?」響はぎょっとして叫んだ。
「お化けは見たことないわよ」
尚の返答にほっとして、響は肩から力を抜いた。
「だよなぁ」
「わたしが言ったのは、怪奇現象のことよ」
成道の車が右に曲がった。
愕然としていた響は、もう少しで曲がり損ねるところだった。
木々の枝が頭上を覆い、道ならぬ道という印象だった。
ところどころ山桜があり、膨らんだ花芽の淡い桃色に、尚がはしゃいだ声をあげた。
響の頭の中は、ワビサビの景色を心行くまで堪能する余裕などなく、怪奇現象という文字しかなかった。
うやむやになっているものをはっきりさせたい気持ちと、絶対に聞きたくないという気持ちが、響の中で交錯する。
「あ、意外ー」
響もそう感じた。
車を止めて降り立ち、響は今日の宿の全貌を眺めてほっとした。
真新しい洒落た旅館だった。
見た感じでは、お化けの類や怪奇現象など起こりそうもない。
「わたし…」
尚が旅館の玄関に向かいながら、ひとり言のように呟いた。
響は、嫌な予感がして耳を塞ぎたい思いに駆られた。
「怪奇現象を引寄せやすいみたいなの。何もないといいけど」
尚と同じ部屋でないことが、心底ありがたいと思う響だった。
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