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その3 真剣勝負
旅館の雰囲気は明るく清潔で、外の景色ともぴったりマッチしていて、とてもいい感じだった。
お化けや怪奇現象なんてものからもほど遠い感じで、響はそれだけで嬉しかった。
成道たちの後に続いて、響は尚と並んで旅館に入った。
響に申し訳ながって、自分の荷物を自分で持つと言ってきかない尚に少し手こずったが、尚の荷物は無事、響の手にあった。
「それじゃ、部屋割りだけど」
案内された一室にみなを集めて、成道が邪気を感じさせない笑みを浮べて言った。
「この一番端の部屋は東側に窓もあって景色がいいし、一番広いから父と母な。この右側の部屋は俺、その隣が尚と響」
その発表に響は驚いた。
普通ならば、嬉しさにはちきれただろうが、怪奇現象の一件で、響の嬉しさも半減だった。
「えっ、成道、それはちょっと修正の必要がありはしないかね」と、一歩前に出た宗司が言った。
「わたしはいいと思うけど」
諒子は、こりゃあ、楽しくなってきたわと言わんばかりの笑顔を浮べている。
「いや、だが、諒子さん。尚と響君が一緒というのは…なあ、響君」
「あ、そ、そうですね」響は複雑に表情を変えた。
「わたし、響君と一緒がいい」
頬を染めて遠慮がちに尚が言った。
響は「えっ」っと叫んで尚に振り向いた。
「賛成が四、反対、一。決まりだな」
成道はそう言って、納得などしていない父親の肩を、「決定」と言いながらトンと叩いた。
「だが、いや、やはり」
同意を求めるようにみんなを見回しながら、宗司が呟き続けている中、響は成道からキーを手渡された。
「頑張れよ、響」
成道のひそひそ声に、思わず「何を」と聞き返しそうになって、響は歯を噛み締めた。
与えられた部屋に入ってすぐ、尚は庭に直行して行った。
パンフレット通りに、自分たちの部屋にも露天風呂があるのか、確かめに行ったのだ。
「わぁー、響君、みてみて本当にあるよ」
たしかに、あった。
それほど大きくはないが、露天風呂と呼ばれるに相応しい装飾をほどこされた作りになっている。
湯船の中も、色のついた小石が敷き詰められていて、透明なお湯はとても滑らかそうだ。
もちろん、プライベートな湯船は、のぞかれる心配がないように、適度な高さの塀で囲ってあった。
塀の上からは、木々の細い枝が垂れ、緑の葉をそよそよと揺らしている。
梢のささやきを聞きながら、湯に浸かるなんて最高だろう。
尚はお湯に手を入れて、ただただ楽しげな声をあげている。
彼女は、本当にこの風呂に入るつもりなのだろうか?
ふたりで?それともひとりで?
尚は事態をはっきりと認識していないに違いないと、響には思えた。
「ね、これから卓球、行く?行くよね?」
露天風呂のことばかり考えていた響は、尚に問いかけられて、あまり考えもせず「ああ」と答えた。
彼の答えを聞いて、尚は自分のバッグのところに駆け寄り、中を掻き回した。
「えーと、これと、これと、これも出しておかなきゃね」
バッグの中からはいろんなものが出てきて、尚の周りに並べられていった。
「尚、この…スリッパはなんなの?」
取り出されたものの中に、ボードゲームの箱があるのを見て苦笑していた響は、尚が大きな袋から出した真新しいスリッパの数に驚いた。
「もちろん、卓球のよ」
「は?卓球の…って?」
響の鈍い反応に笑って、尚がしたり顔でこう言った。
「卓球のラケットよ。ほら、旅館の卓球はスリッパでやるんでしょ?」
響は返答に困った。
…スリッパ…。そういうもの…だったのか?
響は前髪を掻きあげながら、そう自分に問いかけた。
そこで新たな疑問が湧いた。
「尚、スリッパだとしても、旅館のスリッパを使うんじゃないのかな?」
「だって、手に握るのに、履いてるの使ったらバッチくない。だから新品のやつ買ってきたの。ほらみて、裏側に滑り止めがついてるのよ。これだったらラケットくらいの使用感があると思うのね。いいでしょう?ねっねっ」
尚の瞳が、期待にきらきらと輝いている。
どうやら、褒めてもらいたいようだった。
響の胸のあたりで笑いの虫が騒ぎ出した。
尚以外に、卓球に新品のスリッパを持参するやつがいるものだろうか?
だが笑いを求めているわけではない尚に対して、笑い声を上げるわけにはゆかない。
「うん。いいんじゃないかな。きっと、すごく楽しいよ」
笑いを押し殺しているために、喉の辺りが引きつって痛かった。
「でしょでしょ」
尚の笑顔に、笑いの虫を噛み殺しながら、響はもうなんでもいいかと思った。
スリッパ卓球は、驚くほど白熱した。
もともと相沢家の面々は、熱くなりやすく、マジになりやすい家族なのだ。
卓球台の使用許可をもらうときに、ピンポン球とともに、人数分だけのラケットも借りられた。
どうやら尚は、旅館のラケットは使いすぎのボロボロで、使用不可能に近い代物に違いないと思い込んでいたようだった。だが、渡されたラケットは新品に近かった。
それを目にした尚は、響が手に提げているスリッパ入りの大袋を、途方に暮れたように見つめた。
「尚考案の、スリッパ卓球大会。はやくやろうぜ、成道」
響はそう言うと、袋からスリッパを取り出して、すばやくみんなに配った。
スリッパを手にした諒子は、ウケにウケて大笑いし、成道は呆れ顔で尚に向いた。
「なんだぁ、尚、そんなもの持ってきたのかよ…」
響は成道の胸に、スリッパを軽くパシンと叩き付けた。
「成道、俺に負けて泣くなよ」
成道は、響に勝負魂を煽られて、すぐに第一試合が始まった。
それから先は、みんな勝ち敗けしか頭になかった。
成道は思ってもなかった三位という地位に甘んじるしかなくなり、仏頂面で決勝のカウントをした。
けっきょく、成道以上に姑息なテクニックを多用して、諒子が響から勝ちをもぎ取った。
最下位は宗司だったが、どうも部屋割りのことがまだ頭から離れないようで、試合に集中できなかったようだった。
ブービーに輝いた尚は、最下位でなかったことに涙を流しそうなほど感激していた。
どうやらこれまで、トランプとかボードゲームなど、家族との勝負で、最下位以外になったことがなかったらしかった。
これから、尚とふたりきりでトランプしたら、絶対に負けてやろうと、瞳を潤ませて嬉しがっている尚を見つめながら、響は心に誓った。
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