続 思いは果てしなく 

旅はドタバタ
その4 気後れの決意



大浴場の露天風呂は、それなりに広くて楽しめた。
小さな旅館ながら露天風呂と内風呂があって、ジャグジーも完備されていた。

「掛け流しの温泉は最高ねぇ。お肌もすべすべ。さすが成道だわ。いい宿をみつけたこと」

ほこほこと温まった肌に浴衣を着ながら、諒子が言った。
ジャグジーも楽しかったし、露天風呂の清清しさが堪らず、尚は少し茹り気味だった。

「あー、気持ちよかったけど、あついー」

「尚はお湯に浸かりすぎよ。冬じゃないんだから、出たり入ったりして体温調節しなくちゃ」

「ね、ね、お母さん、コーヒー牛乳あるかなぁ?」

「尚、それは銭湯でしょ」

「えーっ、そんなぁ、あると思って楽しみにしてたのに」

「なくてちょうど良かったんじゃないの。そんなもの飲んでたら、せっかくのご馳走が食べられなくなるわよ」

それは一理ある。
母の言葉はいつだって一理あるのだが…

「でも気持ちよかったわね。ところで、尚」

あまり役に立たない手うちわで、ほてった顔を扇いでいた尚は母に向いた。

「今夜は頑張りなさいよ。いいわね」

「…何を、頑張るの?」

「響君だって可哀相よ。分かってるの?」

「響君が可哀相…なんで?」

尚は、意味が分からず眉をひそめた。
諒子の眉が険悪に潜められ、尚はびくりとした。

「あなたはすでに生娘の年齢じゃないってこと。分かる?男と女が同じ布団に寝たら、やることはひとつってことよっ」

「お、お母さん、声が大きいわよ」

脱衣所には尚と諒子のほかに、数人の女性がいた。

すぐ傍にいる女性は聞かなかったことにしてくれたらしく、忙しげに服を脱ぎ始めたが、鏡の前で髪を乾かしていた中年の女性とは、鏡越しに目が合い、尚は真っ赤になって顔を伏せた。

「ほんとに、身体は熟れすぎるぐらいなのに…」

「だからお母さん、声が大きいってばぁ」

尚の懇願になど耳を貸さず、自分の荷物を持つと諒子は外に出て行った。
尚は慌てて衣服を掻き集め、母親のあとに着いて出た。

「いいわね、尚。今夜こそ絶対に、本物の女になるのよ」

部屋の前で別れる時、諒子は強く念を押した。

部屋に入りながら、尚は大きくため息をついた。
今夜のプレッシャーが、母の言葉でまた大きくなってしまった。

この旅行に来る前、成道に母と同じようなことを、さんざん言われた。

響は尚を大切に思って手を出さないんだろうけど、それに甘えてたら、響が可哀相だぞ。と。

「尚、どうした?ため息ついて、なんかあった?」

窓のところに立って、外を眺めていたらしい響が、尚に近付いてきながら言った。
尚を気に掛けてくれる響のやさしさが、胸にぐっと迫る。

尚は、成道と母の言葉を胸に誓った。
今夜は何があろうと、必ず。

「尚?」

「お風呂に入りすぎちゃって、ちょっと茹っちゃったの。喉乾いちゃった」

「だと思った」
響がにっこりして室内に装備されている冷蔵庫を開けた。

「コーヒー牛乳!それ売ってたの?」

「うん。ロビーの自販機。きっと尚が飲みたがると思って買っといた」

「なんで分かったの?」

「なんでって、なんとなく…だけど」

尚は、片手にコーヒー牛乳の瓶を持っている響に抱きついた。
響の驚いた顔には、喜びが満ちていて、尚の胸は切なさにきゅんとした。

コーヒー牛乳も、なんにもなくていいと思った。響さえいてくれれば…

「尚」と呼びかけられ、尚は響を抱きしめたまま顔を上げて視線を合わせた。
響の唇がゆっくりと降りてきた。

口づけが深まる中、響をぎゅっと抱きしめていた尚は、ふっと唇が離れた一瞬に、響の身体の異変に気づいて、うろたえた。

響がそれと気づいたらしく、すっと身体を引こうとし、尚は思わず響に身体を寄せた。

「尚?」

響のその一言には、たくさんの問いが含まれているようだった。
尚は何も言葉に出来なくて、無言で頷いた。
身体全部が暑すぎて、全身から汗が吹き出てくる。

響がやさしく微笑んだ。
尚の何もかもを包み込むような笑顔だった。

「コーヒー牛乳、飲まないと、温まっちゃうよ」

キスの間中、手に持っていたらしい瓶を、響が差し出してきた。

「うん。ありがと」

栓を開けるのにもたもたしている尚に、さりげない仕草で響が開けてくれる。

甘い苦味が、乾いた喉を心地よく潤してゆくのをじんわりと感じながら、響の存在のあたたかさに、尚は泣きたくなった。

ドアがノックされた。
返事を返すと、宗司が顔を覗かせた。




   
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