シンデレラになれなくて

祖父 徳三編



第四話 過去を辿る道



「待ってると思います。いらしてくださるのを……祖母は待ってると思います」

徳治と愛美の訪問のあと、徳三の胸の中で、この孫娘の言葉はずっと響き続けていた。

「どうして……そうと言い切れる?」

そう問い返した彼に、彼女は「そう……感じるからです」と静かに答えた。

……静音と瓜二つの表情で……

私は赦されるのか?

赦されていいのか?

何度も何度も繰り返した問い……

その答えを得るために……自分は行かなければならないのだろうか?
だが、本当に行っていいのか?

あそこは、自分には、禁じられた場所。

静音の兄、周明によって……

その周明もすでに他界してしまっており、あの墓地には周明の墓もある。

徳三が入り込むのを、誰よりも、周明は忌み嫌うだろう。

そう考えつつも、徳三は立ち上がり、書斎から出ていた。


着替えのために部屋に入ろうとしたところで、康子と鉢合わせした。

「あなた? どうなさいました?」

「あ……ああ。……康子」

「はい」

「行ってくる」

彼の表情から、何もかも読み取ってくれたのか、康子はハッとしたように目を見開き、そして慈愛のこもった笑みを浮かべ、最後に安堵の表情になった。

「着替え、手伝わせていただきますわ」

「うむ。頼む」


着替えを終えた徳三は、躊躇いに囚われる前に、すぐさま車に乗り込んだ。

運転手は昔から仕えてくれている者で、「早瀬川に」のひと言を聞くと、黙って車を走らせた。


早瀬川の家に続く一本道まで来て、徳三は車から降りた。

「旦那様」

運転手は、思わずというように声をかけてきた。

徳三は彼に顔を向け、笑みを浮かべて手を上げると、踵を返して一本道を山の上に向かって辿り始めた。

かなりの道のりだが、徳三は急がずゆっくりと歩を進めた。

空は曇り、どんよりとした天気だった。

やはり彼は、この山に歓迎されていないのだろう。

周明が自分を拒絶するのならば、上には辿り着けない気がする。


だいぶ上がってきたところで、急にあたりが明るさを増してきた。

驚いて空を見上げると、杉の木の間から青空が見えていた。

もちろん、この思ってもいなかった空の変化は、徳三の心を僅かでも明るくした。

なんとなく身体も軽くなり、彼はそれまでより歩みを速めた。

「あれれっ?」

この場にありえない声が聞こえ、徳三は驚いて足を止めた。

道の先に目を向けると、どこかで見たことのあるような若い女性がいて、徳三を見つめて笑いかけている。

「愛美のおじいちゃん! 来たんだ!」

彼女はそう叫ぶと、坂道を全速力で駆け下りてきた。

「君、転ぶぞ!」

思わず飛び出た徳三の警告も、彼女は聞いていない。

あっという間に彼のところまでやってきて、「ふたりとも待ってますよ」と言う。

ふたりとは、もちろん徳治と愛美のことなのだろう。

それに今日は、三次もここに来ているはずだった。

素焼きの作業の手伝いをすると、三次から聞いている。

「森林浴したくて、下から歩いて来たんですか?」

そんなことではなかったが、徳三は違うというのが億劫で、そのまま頷いた。

相手は、彼の心を汲んだように笑みを浮かべて頷きを返してきた。

「それじゃ、行きましょう」

元気よく促され、徳三はためらいながらもそれに従った。

彼がここに来ることは誰も知らないはずだが……康子が知らせたのだろか?

だが、彼を迎えに来るならば、この娘ではなく、三次か孫娘あたりが来そうなものだが……

孫娘には酷いことばかりしたからな。……とことん嫌われたか……

せっかく病気見舞いに来てくれたときも、迷惑そうに対応してしまった。

自嘲しつつ、そんなことを考えて坂道を上っていると、道の先にその当人である孫娘が姿を見せた。

彼女ひとりではなく、婚約者である不破家の子息、優誠を連れていた。

「愛美だ。グッドなタイミング」

おどけたように、楽しそうに口にする彼女に、徳三は視線を向けた。

「君の名は、なんだったかな?」

この娘は、麻生の部屋に孫娘が来たとき、確か一緒にいた少女だ。

徳三に問いかけられたのが嬉しいというように、彼女は彼に振り向いてきた。

「わたし、百代です。桂崎百代」

「そうか」

なんとなく、ひとをほっとさせる子だ。

「愛美さんの友達かね?」

「ええ。愛美はとってもいい子ですよ」

「ああ。そうだな」

素直にそう言葉にできた自分に、徳三は驚いた。

「言う必要なかったですね」

百代はそう言って笑う。

そんな娘とともに、徳三は坂道を上がって行った。

彼らがやってくるのを並んで待っていた愛美たちのところまでやってきて、自然と立ち止まる。四人は互いに向かい合って、対面することになった。

静音そのもののように見える孫娘の顔は、やはりまだ直視できなかった。

いたたまれない思いに駆られ、さらに罪の意識に苛まれる。

「墓を参りに?」

優誠の言葉に、徳三は「ああ」とだけ答えた。

「ともかく上に行こう。ここは寒いよ」

徳三の立場をまるでわかっていないのか、百代という娘は、この場にそぐわない軽い調子で言う。

「そ、そうね。それじゃ」

百代の促しに、愛美はほっとしたような顔になり、そう言うと上に向って歩き出す。それに優誠が従い、百代もまた歩き出す。

徳三はほっとして、三人について歩き始めた。

彼の前を優誠と肩を並べて歩いていた愛美が、ふいに振り返ってきた。

愛美のその動きは、昔の一こまを切り取ったかのように酷似していて、一瞬、胸が切り裂かれたような鋭い痛みが走った。

「あの、ここまでどうやっていらしたんですか?」

あまりに普通の問いをもらい、無性に苦いものが口の中に湧く。

「車で。この道は幅が狭いから……下で返した」

強張った声で、徳三は愛美の問いに答えた。

「わたしと同じで、森林浴しながら歩こうって思ってたんだって」

彼の言葉に補足するように百代が言う。

徳三は、不思議なほどおかしさが込み上げた。

百代という少女……おかしな娘だ。

「気持ちのよい道ですからね」

優誠が賛同するように言う。

「凍えるほど寒いがな」

彼は思わず、冗談交じりに言葉を返していた。

徳三の冗談に、優誠はくすくすと声を出して笑う。

やはり、この男、父親によく似ている。

歩くうちに、徳三の心はだんだんリラックスしてきた。

隣を歩く娘のおかげなのか?

……そんな気がしてならなかった。

車を降りて、この道に足を向けたときの気の強張りと、心の重さが嘘のようだ。

彼はいまさら、ゆっくりと周りに目を向けてみた。

すでにかなりの年月が過ぎ去ったというのに……

「この道は、変わらない……」

「最後に来たのはいつなんですか?」

そう問いを向けてきたのは、百代だった。

徳三は考え込んだ。

いつのことだっただろう?

静音が壮絶な死を遂げたあと、ふぬけのようになってこの道を歩いてのぼった。

そして周明から、人相が変わるほど殴られた……

たぶん、歩いて下りたのだろうが……そんな記憶はなかった。

「覚えてはおらん」

「あ、あの。お身体の具合は? 風邪はもう大丈夫ですか?」

振り返ってきた愛美が聞いてきた。

「ああ」

感情のこもらない冷たいとも思える声で答えたのに、孫娘は彼の返事にほっとしたようで、また前に向いた。

孫娘には酷いことばかりしてきた、なのに僅かな恨みも責めも、この子からは伝わってこない。

孫娘のありえない温かな心に触れ、そのぶん、徳三は自分を責めた。





早瀬川の家を、徳三は無心で見つめていた。

窯から立ち上る煙が、彼を過去に引き戻してゆく。

この風景の中に、きびきびと周明のそばで動き回っている自分、そしてはにかみながら彼を見つめている静音がいた。

しあわせだった。

あの頃は……言葉にできぬほど……

「父は工房かも……」

孫娘の声に、彼は現実に引き戻された。

「いや」

彼は工房へと駆け出そうとする愛美を引き止めた。

「墓に……すまないが……できればこのまま行かせてもらいたい」

徳三は、頼み込むように口にしていた。

愛美から承諾のような頷きを得た徳三は、ほっとして墓地に向けて歩き出した。






   
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