シンデレラになれなくて

番外編 蘭子視点


「ご機嫌な眠り」



自室のドアをノックする音と、「蘭子お嬢様」との呼びかけに、机にかじりついていた蘭子は、しかめた顔のまま顔を上げた。

「はい」

「夕食の支度が整いました」

「わかったわ。ありがとう」

そう返事をしつつ、顔のこわばりを解き、蘭子は肩を上下に動かして凝りを取った。

もう夕食の時間なのか……だが、たいして食欲はない。

両親も姉も留守で、どうせひとりきりなのだし……

「はあっ」

蘭子は眉間に皺を寄せ、苛立ちのこもったため息をついた。

イライラは募る一方だった。
何もかもうまくゆかない。

櫻井と静穂、あのふたりをぎゃふんと言わせなければ、腹の虫が収まらない。

気を重くして、食堂に入ってゆくと、姉の橙子が座っていて蘭子は驚いた。

「姉様、今夜はいらしたの」

ひとりきりでないことに嬉しくなり、蘭子は姉に駆け寄って行った。

蘭子より二つ年上で、いま大学二年の橙子は、演劇サークルに誘われ、女優の真似事をしている。
その練習で、このところ夕食時にいることは少なかった。

蘭子はこの姉が大好きだった。
物静かで奥ゆかしくて、たおやかな日本女性の見本のような姉。
さらに芸術などの才能にも恵まれている。

特にピアノは素晴らしい。
蘭子も三歳くらいの頃、ピアノを習ったのだが、どうにも性に合わなくて、すぐにやめてしまった。

「たまには蘭と一緒にと思って、今夜は断ってきたの」

姉のやさしさに嬉しくて、胸が熱くなる。
きっと、両親が今夜いないことを知り、蘭子のために無理をして戻ってくれたのだろう。

「姉様、大好き」

蘭子は橙子の首に抱きついた。
姉は、蘭子が肩肘張らずに素直に甘えられる貴重な存在だ。

ふたりきりの夕食は楽しかった。蘭子は時間を忘れて姉とおしゃべりした。
この最近の腹立ちについても、ことこまかに…

「それなら、今度の日曜に行われるパーティに参加してはどう?」

「ああ。そう言えば…そうだわ」

なぜ思いつかなかったのだろう。

あのパーティなら…

「そうよ、静穂の彼氏なんかに負けない、グレードの高い男がわんさかやってくるわね」

「わんさかはどうかしら?」

「いいの、いいの」

苦笑いしている姉に向けて、蘭子は軽く手を振った。

「性格とかに関しては、多少の欠点なんて、このさい目を瞑るわ。見目がよければいいの。とにかく静穂と櫻井をぎゃふんと言わせれば気が済むんだもの。それが終われば、お払い箱にするんだから…」

「蘭、それはよくないわ。恋人という大切な存在を、ゲーム感覚に捉えすぎではない?」

「そういうことじゃ……つまりね、姉様、ほんとの恋人じゃないのよ。単なるボーイフレンドよ。真剣につきあうつもりなんかないんだもの、わたしたちの求める相手は、ゲーム感覚で丁度よいの」

「わたしたち?」

「そう。わたしだけじゃ駄目なの。奥谷達三人が相手なんだもの、愛美に百代も彼氏を作ってもらわなきゃ、奥谷一派に一矢報いられないわ」

「まあっ。で、でも、おふたりは、それに同意しているの?」

同意?

「もっちろんよ」

蘭子は笑みを浮かべ、力強く請け合った。

これから同意させればいいのだ。その予定なんだし。これは嘘じゃない。

「それで、姉様の方はどうなの?」

「わたし?」

姉の目が落ち着きなく動いたのを見て、蘭子は笑いを堪えた。

橙子にはいま、素敵なお相手がいるのだ。

母から聞くところでは、順調に縁談が進んでいるという。

姉の橙子は、妹の目から見ても、素晴らしい女性だ。
そして、縁談相手の男性は、姉にお似合いな、とびきりの男性。

その名は不破優誠。
優兄様も、そろそろ姉にプロポーズするつもりでいるに違いない。

周りからお膳立てされた縁談に、そのまま乗っているようなひとではないもの。
きっと、乙女が夢見るような素敵なプロポーズを、姉にしてくれるに違いないわ。

ああ、楽しみ。

「蘭、あ……あのね」

困ったように視線を逸らし、姉はぼそぼそと言う。

その表情を見て、どきりとした蘭子は、橙子に向けてわざと大きなため息をついてみせた。

嫌な予感がし、その予感を受け入れたくない。

姉は恥ずかしがり屋なのだ。恋愛の話になって、はにかんでいるのだ。

そう自分に言い聞かせる。

優兄様が、姉様対して、もっと積極的に行動してくれればいいのに、仕事ばかりにかまけてないで……そしたら、姉様も……昔の恋なんて……

蘭子は眉を寄せ、心に浮かんだ思いをきっぱり払い捨てた。

「優兄様のこと、姉様から積極的に誘わなきゃ。あのひとってば、仕事の鬼なんだもの」

「……それは仕方のないことよ。優兄様は、抱えているものが大きすぎるんですもの」

苦笑しながら橙子が言う。苦笑であっても、笑みに救われた気持ちで、蘭子も笑い返した。

「でも、そろそろ結婚ということになってもおかしくない歳でしょ?……えーっと、わたしよりいくつ年上だったかしら優兄様?」

「十ちがうと思うわ。わたしとは八つ違うから」

優誠の歳をことさら意識したことのなかった蘭子は、あらためて優誠との年の開きに驚いた。

彼がそんなにまで年上だと、感じないのだ。

散髪に行くのが面倒なのか、それとも行く暇がないのか、いつだって長めの髪をうっとうしそうにかき上げている優誠。

すっきりとした顎のライン、形の良い眉と眼力のある瞳。
なにより、髭が濃くないところがいい。

感情を表に出さず、冷たい男だという評判が立っているが、それは見た目だけのことだ。
蘭子にも橙子にも、とてもやさしい。

「ねえ、優兄様は、きっと歳が上すぎることを気にしてるんじゃないかしら? それで、姉様に申し込めないのよ」

「蘭ったら、優兄様は、はわたしのことを、別になんとも思っていないとは考えないの」

橙子はくすくす笑いながら言う。

蘭子は呆れて首を振った。

「姉様を好きにならない男なんていないわ。それはわたしが保証するわ」

蘭子は胸元をドンと叩いた。
あまりに強く叩きすぎてしまい、彼女はケホケホと咳き込む。

「まあっ、蘭ってば……ありがとう」

愉快そうに橙子が笑い声をあげ、蘭子は姉とともに笑った。

「ねぇ、姉様。ちょっと頼みたいことがあるんだけど」

「私にできること?」

「もちろんよ。姉様のセンスをお借りしたいの」

蘭子はデザートを食べ終わると、姉を急かして自分の衣裳部屋にひっぱっていった。

そして大量のドレスの中から、愛美と百代にぴったり似合いそうなものを、姉と探した。

さらに蘭子は、パーティの当日、友達ふたりの髪のセットとメイクを藤堂家専属の美容師に手配してくれるよう、橙子に頼んだ。


ふふっ。
これで静穂に一泡吹かせてやる算段はついたわ。

フランスに行った両親からのお土産である赤い薔薇模様のネグリジェを身にまとい、蘭子は晴れ晴れとした気分でベッドに潜り込んだ。

「みてらっしゃい、静穂」

にやつきながら口にし、上掛けを首までかけて目を瞑る。

頭の中で、先ほど百代と愛美のために選び出したドレスを、彼女たちに身に着けさせてみる。

まあまあよね。

そう思った蘭子だが、愛美の黒縁眼鏡が邪魔になってならない。

ああん、もおっ。あんなダサい眼鏡してるからっ!

呆れてため息をつき、脳内でメガネを外してやる。

だが、眼鏡を取った後の愛美の顔を、なぜか想像できない。

どうやら、蘭子の中で、ダサい眼鏡、イコール愛美になっていたらしい。

外したら、顔がなくなった。

もおっ。

愛美、どんな目をしてたかしら?

眼鏡の黒い縁が目になっていて、一生懸命思い出そうとしても、無理だった。

もういいわ!

思いどおりにイメージできないことにさじを投げ、蘭子は愛美のイメージをぽいっと捨てた。そして今度は百代に切り替える。

えーと、ピンクのドレスを百代に着せて……

ひらひらのいっぱいついたピンクのドレスは、蘭子が小学校の高学年の頃に着ていたものだ。

もうちょっと大人っぽいデザインにしてはどう? と、橙子に言われたが、百代の武器はあの可愛らしさだ。

ロリータ趣味のイケメンってのは、案外コロコロと転がっていそうな気がする。

ちょっと地味だけど、聖女のイメージの愛美に、可愛い百代。
そして、真っ赤なドレスを着た、色気のある、わ、た、し!

三者三様で、男たちの趣味を網羅したようなもの。

これで、静穂一派よりも、グレードの高い男を、パーティで必ずゲットできる。

その夜、蘭子はひさしぶりにご機嫌な眠りについたのだった。




 
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