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その3 従者はふたり
駐車場にやってきて、優誠は櫻井を振り返った。
振り返ってきた優誠を見て、櫻井がビクリとして足を止める。
「そんなに怯えないでくれたまえ」
「お、怯えては……すみません」
否定しようとして、櫻井は気まずそうに頭を下げる。
「それで、攫われた織姫はどこにいるんだい?」
「それは……とにかく、向かいませんか?」
「どこに?」
「案内しますので……とにかく、車に」
どうやら櫻井はどうあっても説明する気はないらしい。
いや、説明しないように、指示されているのだろう。もちろん桂崎に。
「あ、あの……」
「なにかな?」
「できれば、楽しんでもらえないかと」
「ふむ」
「不破さんを楽しませたいと、早瀬川……いえ、愛美さんは思って、このようなことになっているわけですので」
楽しめるのかもしれないが……さんざん振り回される気がする。
「櫻井君」
「は、はいっ」
「説明を強要せず、従うとしよう。では、車に乗ってくれ。後部座席に」
「あ、はい」
返事をした櫻井は、急いで後部座席に乗り込む。
自分も運転席に乗り込んだ優誠は、何処に向かえばいいのか、櫻井に尋ねた。
「道案内します」
「わかった」
そう答え、すぐに車を出す。
まなは、私の誕生日を祝ってくれるつもりでいるのだろうが……
私としては、ふたりだけで祝えれば、そのほうがよかったのだが。
だが、その場合は、仕事が押してあと数時間は帰れなかったのだな。
こうして早く帰れることになったのだから……よかったと思うべきなのか?
櫻井の案内で走りながら、優誠は自分の置かれた状況を整理することにする。
櫻井と保志宮の口にしたところによれば、櫻井は彦星の配下らしい。
そして、攫われた織姫を救いに行くことになっているようだ。
織姫であるまなは、いったい何処に連れて行かれたというのか?
目的地がまるで予想がつかず、落ち着かない。
「ところで櫻井君」
「なんでしょうか?」
「君は、桂崎さんに弱味でも握られているのか?」
「よ、弱味を握られているわけでは……」
「弱味を握られているわけではないのに、君はどうして桂崎さんに従っているんだ?」
「……不破さん」
「なんだ?」
「あの桂崎を、敵に回したいと思いますか?」
「……ふむ。確かに」
笑いが込み上げ、優誠は運転しながらくすくす笑う。
車は、優誠と愛美のマンションの方向に進んでいる。
なんだ、どこに連れて行かれるのかと思ったら、私たちの家に帰るようだな。
マンションが見えてきた。
地下駐車場に向かう気でいたら、櫻井が「そこを右です」と言う。
「うん?」
眉を寄せ、優誠は右に曲がった。
この先には桂崎家がある。
桂崎の家に行くのか?
桂崎の両親に迷惑ではないのか?
速度を緩め、桂崎家の前に車を停車しようとしたら……
「そこの右の家、駐車場が空いているので、そこに止めてください」
「うん?」
櫻井が車を止めるように指示したのは、道路を隔てた桂崎家の真正面にある、石井慶介の家だ。
石井まで、絡んでいるのか?
愛美によれば、石井は桂崎以上に不思議な人物らしい。
自転車に乗って大学まで通学している石井は、優誠と愛美の乗る車の後ろに着いて来ていたのに、いつの間にやら追い越されていたなんてこともあった。一本道なのに……
あの謎に、なんらかのタネがあるというのであれば、種明かししてほしいものだが……
石井について考え込みながら、優誠は駐車場に車を止めた。
櫻井と車を降りていたら、何時の間にやら石井が姿を見せていた。
「待ってましたよ。さあどうぞどうぞ」
愛想よく促され、家の中に上がらせてもらう。
石井の両親はどうやら留守らしい。
「石井君、君にまで迷惑をかけてすまないね」
「いえいえ、迷惑だなんて思っていませんよ。楽しませてもらってるんですから」
にこにこ顔で言われて、複雑な気分になる。
「それで、君の家で、これから何があるのかな?」
通された二階の部屋には、たくさんの箱があちらにもこちらにも重ねて置いてあった。
なんだろうな、これは?
「不破さんには、これから彦星に変身してもらいます」
石井から、涼しい顔でそんなことを言われ、優誠は面食らった。
「なんだって?」
「織姫を救いに行くのは彦星ですから」
石井は当然のことのように言う。
まさか彦星の格好をさせられるとは……
だが、優誠が彦星の姿になるということは?
「まなも織姫に?」
石井は「そういうことです」と言う。
「楽しみでしょう?」
確かに、それは楽しみだが。
自分も彦星の姿になるというのでは……単純に喜べない。
「さあ、ここにあるのが不破さんの衣装です。そんなに複雑ではないらしいですが、着替えを手伝わせてもらいますよ」
「……正直、従いたくないのだが……」
「そうですか。ですが、着替えない限り、先に進めませんよ。それに、変身するのは僕らも同じです。不破さんだけじゃありませんから」
「君らも?」
「はい。僕と櫻井は、彦星様の従者になるので……僕らもコスプレを強要されてます」
ずっと黙り込んでいた櫻井に視線を向けてみると、彼はひどく渋い顔をしていたが、優誠と目を合わせて渋々といったように頷く。
ひとりではないとわかり、少し気が楽になったが……
「石井君、ひとつ聞かせてくれないか?」
「なんですか? 答えられる質問であれば答えますが」
「織姫は攫われたらしいが……いったい誰に攫われたのか教えてもらえるのか?」
「それはあとのお楽しみにしたほうが、不破さん的にも面白いと思いますよ」
「ならば、向こうにはいったい誰がいるんだい?」
「織姫と、織姫の侍女と、攫った犯人たちですね」
やれやれ、たいした情報はもらえないか……
まあ、いい。
もう選択肢がないのであれば、彦星に変身するとしよう。
優誠は苦笑いしつつ、目の前に広げられた彦星の衣装を、諦めの境地で見つめた。
「不破さん、似合いますよ」
彦星に変身した優誠を見て、彦星の従者に変身した石井が楽しそうに褒めてくる。
「君もよく似合っているよ、石井君。それに櫻井君も」
櫻井は石井と違い、彦星の従者という立場を、本心では受け入れられていないようだ。
顔をしかめて肩を落としている。
「なんだ櫻井君。君は以前、まなにとんでもない格好をさせて、写真撮影会などというものを主催した、張本人だったと思うが……」
たっぷりと嫌味を込めて言ってやったら、櫻井が顔を引きつらせる。
「言いますねぇ、不破さん」
石井が愉快がって笑う。
「か、勘弁してくださいよ」
「ならば、もう腹を括ってはどうだ」
「だ、だって……この格好で外を歩くことになるんですよ。万が一通行人がいたらこの姿を晒してしまうんですよ。ありえませんよ。まったく桂崎は……彼女たちはいいよな、家から出ないんだからさ」
「そんなに嫌か? 俺は楽しいけどな」
「石井……お前、やっぱり変わってるな」
櫻井が睨むと、石井は楽しそうに笑う。
本当に、この石井は大学一年なのだろうか? と、疑いがもたげる。
人生をすっかり達観した人物のように感じる。
「さて、支度も整ったし、では行きましょうか?」
「あー、頭痛くなってきた」
「ほら、櫻井」
石井は何処から出したのか、刀を手渡す。
「へっ? こっ、こんなものまであるのか?」
「当然だろう。武器を持たずに姫様を救いにはいけないぞ。さあ、彦星様も」
石井ときたら、優誠の前に跪き、両手に抱えた刀を捧げ持って差し出してくる。
櫻井に渡したものより、格段に立派な刀だ。
「石井、お前さあ、俳優になれるんじゃないか?」
「それも楽しそうだな」
櫻井に向けてにやっと笑った石井は、すぐに表情を改めて優誠に向き、姿勢を正して恭しくお辞儀する。
「彦星様、さあお供いたします。いざ、攫われし織姫様のもとへ」
石井が畏まって宣言する。
ふたりの従者を従えて、彦星は愛する織姫の救出に向かうのだった。
つづく
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